~糸井side~
宇佐見が復活した。
結局、俺に風邪は移らなかった。
あんなに至近距離にいて、キスまでしたというのに。
「最強だから大丈夫、なんて言ったけど……」
正直、少しだけ残念だと思っている自分に苦笑する。
宇佐見の風邪を移されて、数日間寝込むくらいが、あの夜の証としてちょうど良かったのに。
そんなことを考えている時点で、俺の宇佐見への執着は、自分でも引くほど重症なのだと自覚させられる。
宇佐見と両想い。
一週間経った今でも、朝起きてスマホに届いている「おはよう」のメッセージを見るたびに、これが夢なんじゃないかと頬を抓りたくなる。
宇佐見斗亜という人間は、とんでもない男だった。
この男、自分がどれだけ顔が良くて、どれだけ周囲の目を引いているかにあまりに無自覚だ。
だからこそ、俺がいないところで誰かにさらわれないか、いつも気が気じゃない。
「連絡先……教えて」
と、柄にもなく緊張しながら聞いたのに、あいつは「ん」とあっさり俺にスマホを向けた。
宇佐見が休んだ日、俺はあいつの住所は知っているのに、電話番号ひとつ知らない自分に猛烈に腹が立った。
無事に交換できた今の俺の連絡先リストの最上部には、飾り気のない『宇佐見』の名前がある。それだけで、世界が昨日よりずっと価値のあるものに見えるんだから、俺も単純だ。
メッセージアプリのアイコンが初期設定のままなところがまた宇佐見らしくていいと思った。
俺も真似しようと本気で思ったのに、なぜかそこは宇佐見に止められた。
「同じだと……恥ずかしいだろ」と変なところで照れる宇佐見がかわいくて抱きしめたら、抱きしめ返された。
俺の背中に細い腕を回して、ぎゅっと。
……一生大事にする。
居るかも分からない神に、そう誓った。
そして、何よりの誤算は――。
「好きだよ、糸井」
放課後の誰もいない渡り廊下で、宇佐見がさらっとそう言ったとき、俺の心臓は危うく止まりかけた。
こいつは、不器用で口が悪い。
だから「好き」なんて言葉、一生かかっても俺が言う側なんだろうなと覚悟していた。
不安にさせないように、俺から何百回、何千回と言葉を尽くすつもりだった。
なのに、
宇佐見は驚くほど真っ直ぐに、そして頻繁に「好き」をくれる。
それも、呼吸をするのと同じくらい自然なトーンで。
「……宇佐見。お前さ、そういうこと……さらっと言うよね」
「? 思ったことを言ってるだけだろ。……迷惑?」
「……まさか。もっと言って」
生意気で、毒舌で。けれど誰よりも優しくて、些細なことにも「ありがとう」を忘れない。
そんな宇佐見がくれる「好き」は、俺が不安になる隙間を一ミリも残してくれない。
俺が必死に抑えている激重な感情も、こいつは「そうなんだ」「僕もだよ」と淡々と受け止めて、面倒くさがる素振りも見せない。
その懐の深さに、俺の余裕は、宇佐見と一緒にいるときだけ綺麗に霧散してしまう。
以前までの宇佐見は、帰りのホームルームが終わるチャイムが鳴るなり、誰とも目を合わせず教室を飛び出していた。背負い慣れたリュックを揺らし、一秒でも早く『ここ』からいなくなろうとする、孤独な野良猫みたいな後ろ姿。
けれど、
付き合ってからのあいつは、椅子から立ち上がった俺のシャツの裾を、指先で小さく掴んでくる。
「……糸井、帰ろ」
上目遣いで、ボソリと呟く。
「少しでも糸井と長くいたいから」と、耳まで真っ赤にしながら絞り出すように言われた時、
俺の心臓は間違いなく一度止まった。
そのまま幸福死してもおかしくなかったけれど、宇佐見を一人残していくわけにはいかないし、
俺が死んだ瞬間に他のやつに掻っ攫われるのは死んでも死にきれないから、なんとか思いとどまった。
本当に、あのツンツンして触れることさえ拒んでいた宇佐見なのかと疑いたくなるほど、付き合ってからのあいつの甘え方は凄まじい。
無自覚なのが一番タチが悪い。
そんなわけで、俺のルーティンは一変した。
宇佐見がバイトの日は、自転車を引くあいつの隣を歩いて店まで送り、バイトが終わる時間を見計らってお迎えに行く。
正直、最初は断られる覚悟だった。
宇佐見のことだから、気を遣って「わざわざ来なくていい」「迷惑」なんて、不愛想に突き放されるんじゃないか。
そう思って、断られた時の言い訳をいくつも頭の中で並べていた。
でも、
バイト終わりに駐輪場に出てきて、俺の姿を見つけた瞬間、あいつは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
「……糸井。来てくれたんだ」
あの日、下駄箱でプリントを返した時と同じ、春の陽だまりみたいな笑顔で「ありがとう」と言った。
疲れなんて一瞬で吹き飛んだような、本当に嬉しそうなその顔。
…………天使かよ。
あまりの眩しさに、俺は危うくその場で拝みそうになった。
あんな顔をされたら、もう一生迎えに来るしかない。
あの日、あの笑顔に落ちた瞬間の直感は、間違っていなかった。
「……宇佐見。今の顔、他のやつに見せてないよね?」
「? 普通にしてるだけだろ。早く帰るぞ、お腹空いた」
俺の葛藤なんて露知らず、宇佐見はまたいつもの不愛想な顔に戻って歩き出す。
でも、俺の手をぎゅっと握り返してくる指先が、何よりも饒舌に宇佐見の気持ちを伝えてくれていた。
バイトが休みの日は、
二人で少し遠回りをして帰るのが日課になった。
「……ん。これ、うまい」
寄り道したカフェで、期間限定のスイーツを口いっぱいに頬張る宇佐見。
チョコチップメロンパンを食べている時も思ったけれど、こいつは好きなものを食べる時、本当にハムスターみたいに口を動かす。
そんなに小さな口に詰め込みすぎだろうと思いながら、
幸せそうに咀嚼する姿を見ていると、俺の胸の奥は甘い熱で飽和状態になる。
……ダメだ、可愛すぎる。このままどこか、俺しか知らない場所に連れ去りたい
そんな独占欲が、学校でも抑えきれなくなる時がある。
休み時間、いつも通り宇佐見の方を向いて話していた時、ふと、宇佐見と触れ合いたくなった。
指先を絡ませるだけじゃなくてもっと宇佐見に触れたい。
「ねえ宇佐見。ここ、座ってよ」
半分冗談のつもりで、自分の膝を叩いて誘ってみた。
「死ね」とか「バカか」とか、いつもの罵倒が飛んでくるのを期待していた。
あるいは、真っ赤になって拒絶されるのを。
なのに、
宇佐見は「……重くない?」と首を傾げただけで、迷いなく俺の膝の上に腰を下ろした。
「っ……!」
焦ったのは、誘ったはずの俺の方だ。
膝に伝わる宇佐見の体温。細いけれど確かな重み。
嫌な顔一つせず、当然のように俺に身を預ける宇佐見に、クラスメイトの視線が集まるのも忘れて理性が飛びそうになる。
「……宇佐見、お前。……そういうこと、普通にするんだな」
「お前が座れって言った」
不思議そうに見上げてくる瞳。
こいつ、
自分がどれだけ俺を追い詰めているのか、本当に分かっていない。
そんな余裕のなさは、帰り道、人気のない住宅街の路地裏でピークに達した。
繋いだ手から伝わる鼓動がうるさくて、俺は不意に足を止め、宇佐見の身体を壁との間に閉じ込めた。
「……なに」
「……お仕置き」
驚いて目を見開く宇佐見の唇を、不意打ちで塞ぐ。
今度こそ、驚いて顔を真っ赤にするはずだ。
照れて逃げ出そうとするはずだ。
そう思って、数秒後、意地悪く笑いながら唇を離した。
けれど、宇佐見は逃げなかった。
熱を帯びた瞳で、じっと俺を射抜くように見つめ返してくる。
「……もう一回、する?」
小首を傾げ、少しだけ潤んだ瞳で、無自覚な上目遣いを向けてくる宇佐見。
その破壊力は、俺が用意していたどんな『余裕』も一瞬で木っ端微塵にした。
「…………宇佐見。お前さ、本当に、勘弁して」
顔を覆って天を仰ぐ。
返り討ちだ。完全に俺の負けだ。
今まで必死に我慢していた『これ以上のこと』が、もう一秒も堪えられないほどに溢れそうになる。
「……糸井?顔赤い。熱?」
さらに追い打ちをかけるように、宇佐見は俺の顔をのぞき込んで、額に手を当てようとする。
本気で心配している顔。こいつはどこまで優しいんだ。
「違う。……好きすぎて、どうにかなりそうなんだよ」
そんな情けない本音を吐き出す俺を、宇佐見はまた、不思議そうな、でもひどく優しい顔で眺めていた。
そんな風に、
いつも俺がリードしているつもりで、実は宇佐見に手のひらで転がされているような毎日。
でも、こいつの一番ずるいところは、その『男前』な中身にある。
ある日の帰り道、並んで歩いていた時だった。
不意に、繋いでいた手をぐいっと強く引かれた。
「わっ、……宇佐見?」
何事かと思えば、宇佐見は流れるような動作で俺と自分の位置を入れ替え、俺を歩道側へ立たせた。
自転車が通り過ぎたわけでも、水溜まりがあったわけでもない。
「どうしたの? 急に」
尋ねると、宇佐見は前を向いたまま、繋いだ手にさらに力を込めて、ひどく真面目なトーンで言い放った。
「糸井のことは、僕が守る」
「……え?」
「未曾有の大災害からも、この世の森羅万象からも」
真剣すぎるその横顔。
冗談で言っている雰囲気は微塵もない。本気で、この細い身体で俺を守ろうとしている。
……なにこれ。好きすぎるんですけど。
内心の絶叫を押し殺すので精一杯だった。
王子様だとか人気者だとか言われてきた俺を、
一人の『守るべき対象』として見ているのは、世界でたった一人、こいつだけだ。
「スケールでかくていいね。じゃあ、一緒に森羅万象と戦おうね」
笑いを堪えきれず、空いた手でファイティングポーズを取ってみせる。
宇佐見の前では、余裕を保つのも必死な自分に笑えてくる。
「……バカにすんな。本気だぞ」
唇を尖らせるその口を、俺はもう一度、今度は深く、熱いキスで塞いだ。
生意気で、男前で、それでいて天使みたいに笑う俺の恋人。
きっとこれから、もっと色んな宇佐見を知って、もっと俺は宇佐見に狂わされていく。
でも、それが心地よくて堪らないんだ。
宇佐見が復活した。
結局、俺に風邪は移らなかった。
あんなに至近距離にいて、キスまでしたというのに。
「最強だから大丈夫、なんて言ったけど……」
正直、少しだけ残念だと思っている自分に苦笑する。
宇佐見の風邪を移されて、数日間寝込むくらいが、あの夜の証としてちょうど良かったのに。
そんなことを考えている時点で、俺の宇佐見への執着は、自分でも引くほど重症なのだと自覚させられる。
宇佐見と両想い。
一週間経った今でも、朝起きてスマホに届いている「おはよう」のメッセージを見るたびに、これが夢なんじゃないかと頬を抓りたくなる。
宇佐見斗亜という人間は、とんでもない男だった。
この男、自分がどれだけ顔が良くて、どれだけ周囲の目を引いているかにあまりに無自覚だ。
だからこそ、俺がいないところで誰かにさらわれないか、いつも気が気じゃない。
「連絡先……教えて」
と、柄にもなく緊張しながら聞いたのに、あいつは「ん」とあっさり俺にスマホを向けた。
宇佐見が休んだ日、俺はあいつの住所は知っているのに、電話番号ひとつ知らない自分に猛烈に腹が立った。
無事に交換できた今の俺の連絡先リストの最上部には、飾り気のない『宇佐見』の名前がある。それだけで、世界が昨日よりずっと価値のあるものに見えるんだから、俺も単純だ。
メッセージアプリのアイコンが初期設定のままなところがまた宇佐見らしくていいと思った。
俺も真似しようと本気で思ったのに、なぜかそこは宇佐見に止められた。
「同じだと……恥ずかしいだろ」と変なところで照れる宇佐見がかわいくて抱きしめたら、抱きしめ返された。
俺の背中に細い腕を回して、ぎゅっと。
……一生大事にする。
居るかも分からない神に、そう誓った。
そして、何よりの誤算は――。
「好きだよ、糸井」
放課後の誰もいない渡り廊下で、宇佐見がさらっとそう言ったとき、俺の心臓は危うく止まりかけた。
こいつは、不器用で口が悪い。
だから「好き」なんて言葉、一生かかっても俺が言う側なんだろうなと覚悟していた。
不安にさせないように、俺から何百回、何千回と言葉を尽くすつもりだった。
なのに、
宇佐見は驚くほど真っ直ぐに、そして頻繁に「好き」をくれる。
それも、呼吸をするのと同じくらい自然なトーンで。
「……宇佐見。お前さ、そういうこと……さらっと言うよね」
「? 思ったことを言ってるだけだろ。……迷惑?」
「……まさか。もっと言って」
生意気で、毒舌で。けれど誰よりも優しくて、些細なことにも「ありがとう」を忘れない。
そんな宇佐見がくれる「好き」は、俺が不安になる隙間を一ミリも残してくれない。
俺が必死に抑えている激重な感情も、こいつは「そうなんだ」「僕もだよ」と淡々と受け止めて、面倒くさがる素振りも見せない。
その懐の深さに、俺の余裕は、宇佐見と一緒にいるときだけ綺麗に霧散してしまう。
以前までの宇佐見は、帰りのホームルームが終わるチャイムが鳴るなり、誰とも目を合わせず教室を飛び出していた。背負い慣れたリュックを揺らし、一秒でも早く『ここ』からいなくなろうとする、孤独な野良猫みたいな後ろ姿。
けれど、
付き合ってからのあいつは、椅子から立ち上がった俺のシャツの裾を、指先で小さく掴んでくる。
「……糸井、帰ろ」
上目遣いで、ボソリと呟く。
「少しでも糸井と長くいたいから」と、耳まで真っ赤にしながら絞り出すように言われた時、
俺の心臓は間違いなく一度止まった。
そのまま幸福死してもおかしくなかったけれど、宇佐見を一人残していくわけにはいかないし、
俺が死んだ瞬間に他のやつに掻っ攫われるのは死んでも死にきれないから、なんとか思いとどまった。
本当に、あのツンツンして触れることさえ拒んでいた宇佐見なのかと疑いたくなるほど、付き合ってからのあいつの甘え方は凄まじい。
無自覚なのが一番タチが悪い。
そんなわけで、俺のルーティンは一変した。
宇佐見がバイトの日は、自転車を引くあいつの隣を歩いて店まで送り、バイトが終わる時間を見計らってお迎えに行く。
正直、最初は断られる覚悟だった。
宇佐見のことだから、気を遣って「わざわざ来なくていい」「迷惑」なんて、不愛想に突き放されるんじゃないか。
そう思って、断られた時の言い訳をいくつも頭の中で並べていた。
でも、
バイト終わりに駐輪場に出てきて、俺の姿を見つけた瞬間、あいつは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
「……糸井。来てくれたんだ」
あの日、下駄箱でプリントを返した時と同じ、春の陽だまりみたいな笑顔で「ありがとう」と言った。
疲れなんて一瞬で吹き飛んだような、本当に嬉しそうなその顔。
…………天使かよ。
あまりの眩しさに、俺は危うくその場で拝みそうになった。
あんな顔をされたら、もう一生迎えに来るしかない。
あの日、あの笑顔に落ちた瞬間の直感は、間違っていなかった。
「……宇佐見。今の顔、他のやつに見せてないよね?」
「? 普通にしてるだけだろ。早く帰るぞ、お腹空いた」
俺の葛藤なんて露知らず、宇佐見はまたいつもの不愛想な顔に戻って歩き出す。
でも、俺の手をぎゅっと握り返してくる指先が、何よりも饒舌に宇佐見の気持ちを伝えてくれていた。
バイトが休みの日は、
二人で少し遠回りをして帰るのが日課になった。
「……ん。これ、うまい」
寄り道したカフェで、期間限定のスイーツを口いっぱいに頬張る宇佐見。
チョコチップメロンパンを食べている時も思ったけれど、こいつは好きなものを食べる時、本当にハムスターみたいに口を動かす。
そんなに小さな口に詰め込みすぎだろうと思いながら、
幸せそうに咀嚼する姿を見ていると、俺の胸の奥は甘い熱で飽和状態になる。
……ダメだ、可愛すぎる。このままどこか、俺しか知らない場所に連れ去りたい
そんな独占欲が、学校でも抑えきれなくなる時がある。
休み時間、いつも通り宇佐見の方を向いて話していた時、ふと、宇佐見と触れ合いたくなった。
指先を絡ませるだけじゃなくてもっと宇佐見に触れたい。
「ねえ宇佐見。ここ、座ってよ」
半分冗談のつもりで、自分の膝を叩いて誘ってみた。
「死ね」とか「バカか」とか、いつもの罵倒が飛んでくるのを期待していた。
あるいは、真っ赤になって拒絶されるのを。
なのに、
宇佐見は「……重くない?」と首を傾げただけで、迷いなく俺の膝の上に腰を下ろした。
「っ……!」
焦ったのは、誘ったはずの俺の方だ。
膝に伝わる宇佐見の体温。細いけれど確かな重み。
嫌な顔一つせず、当然のように俺に身を預ける宇佐見に、クラスメイトの視線が集まるのも忘れて理性が飛びそうになる。
「……宇佐見、お前。……そういうこと、普通にするんだな」
「お前が座れって言った」
不思議そうに見上げてくる瞳。
こいつ、
自分がどれだけ俺を追い詰めているのか、本当に分かっていない。
そんな余裕のなさは、帰り道、人気のない住宅街の路地裏でピークに達した。
繋いだ手から伝わる鼓動がうるさくて、俺は不意に足を止め、宇佐見の身体を壁との間に閉じ込めた。
「……なに」
「……お仕置き」
驚いて目を見開く宇佐見の唇を、不意打ちで塞ぐ。
今度こそ、驚いて顔を真っ赤にするはずだ。
照れて逃げ出そうとするはずだ。
そう思って、数秒後、意地悪く笑いながら唇を離した。
けれど、宇佐見は逃げなかった。
熱を帯びた瞳で、じっと俺を射抜くように見つめ返してくる。
「……もう一回、する?」
小首を傾げ、少しだけ潤んだ瞳で、無自覚な上目遣いを向けてくる宇佐見。
その破壊力は、俺が用意していたどんな『余裕』も一瞬で木っ端微塵にした。
「…………宇佐見。お前さ、本当に、勘弁して」
顔を覆って天を仰ぐ。
返り討ちだ。完全に俺の負けだ。
今まで必死に我慢していた『これ以上のこと』が、もう一秒も堪えられないほどに溢れそうになる。
「……糸井?顔赤い。熱?」
さらに追い打ちをかけるように、宇佐見は俺の顔をのぞき込んで、額に手を当てようとする。
本気で心配している顔。こいつはどこまで優しいんだ。
「違う。……好きすぎて、どうにかなりそうなんだよ」
そんな情けない本音を吐き出す俺を、宇佐見はまた、不思議そうな、でもひどく優しい顔で眺めていた。
そんな風に、
いつも俺がリードしているつもりで、実は宇佐見に手のひらで転がされているような毎日。
でも、こいつの一番ずるいところは、その『男前』な中身にある。
ある日の帰り道、並んで歩いていた時だった。
不意に、繋いでいた手をぐいっと強く引かれた。
「わっ、……宇佐見?」
何事かと思えば、宇佐見は流れるような動作で俺と自分の位置を入れ替え、俺を歩道側へ立たせた。
自転車が通り過ぎたわけでも、水溜まりがあったわけでもない。
「どうしたの? 急に」
尋ねると、宇佐見は前を向いたまま、繋いだ手にさらに力を込めて、ひどく真面目なトーンで言い放った。
「糸井のことは、僕が守る」
「……え?」
「未曾有の大災害からも、この世の森羅万象からも」
真剣すぎるその横顔。
冗談で言っている雰囲気は微塵もない。本気で、この細い身体で俺を守ろうとしている。
……なにこれ。好きすぎるんですけど。
内心の絶叫を押し殺すので精一杯だった。
王子様だとか人気者だとか言われてきた俺を、
一人の『守るべき対象』として見ているのは、世界でたった一人、こいつだけだ。
「スケールでかくていいね。じゃあ、一緒に森羅万象と戦おうね」
笑いを堪えきれず、空いた手でファイティングポーズを取ってみせる。
宇佐見の前では、余裕を保つのも必死な自分に笑えてくる。
「……バカにすんな。本気だぞ」
唇を尖らせるその口を、俺はもう一度、今度は深く、熱いキスで塞いだ。
生意気で、男前で、それでいて天使みたいに笑う俺の恋人。
きっとこれから、もっと色んな宇佐見を知って、もっと俺は宇佐見に狂わされていく。
でも、それが心地よくて堪らないんだ。

