無関心な僕が、お前だけは例外

 ふと意識が浮上したとき、部屋の明かりは落とされていた。

 カーテンの隙間から差し込む街灯の淡い光が、見慣れた天井をぼんやりと照らしている。

 身体はまだ重いけれど、頭を支配していたあの不快な熱は、少しだけ引いているのがわかった。

 それと同時に、右手に伝わる『重み』と『熱』に気づく。

 ベッド脇の冷たい床に直接座り込み、僕のベッドの端に顔を伏せたまま、糸井が僕の手を握りしめて眠っていた。

 ……すごい体勢。

 大きな手が、僕の指先を包み込むように。
 まるで、放しておいたら僕がどこかへ消えてしまうとでも思っているみたいに、強く、優しく。

 「……糸井」

 僕が指を微かに動かすと、糸井は弾かれたように顔を上げた。

 「……宇佐見?起きた?気分はどう、まだ苦しい?」

 真っ先に僕を気遣うあいつに、僕は眉をひそめて、空いた方の手で糸井の肩を叩いた。

 「バカかよ。なんでそんなところで寝てんだよ。身体、痛いだろ」

 「宇佐見が苦しそうだったから、目が離せなくて。具合悪い宇佐見を一人にできるわけない」

 そんな僕の心配を他所に、糸井はふわりと目を細めると、僕の額にそっと手を伸ばした。
 糸井は新しい冷却シートを取り出すと、わざとらしく僕の顔を覗き込んできた。

 「お熱、さっきより下がったね。宇佐見、えらいえらい」

 「……っ、子供扱いすんな」

 確か前にも、こんなこと言われた気がする。

 「だって、宇佐見可愛いんだもん」

 ぺろりと冷却シートを貼り替えられ、僕は顔を背けた。

 けれど、その手つきが驚くほど丁寧で、大切にされている実感がじわじわと胸に染みる。

 「……移したら、ごめん」

 「俺、こう見えても最強なの。……っていうか、宇佐見のなら、むしろ移してほしいくらいだけど」

 「……何言ってんだよ、バカ」

 そう言ってドヤ顔をしてくる糸井を見ていたら、この数日間の悶々とした気持ちが、すとんと腑に落ちた。
 あいつに構われすぎて鬱陶しかったのも、急に無視されて寂しかったのも、他の誰かと仲良くしているのを見て腹が立ったのも。

 全部、答えはひとつしかなかったんだ。

 「……なあ、糸井」

 「ん?」

 「僕……たぶん、お前のこと好きだわ」

 心臓が耳元で鳴っているみたいにうるさい。

 糸井は一瞬、きょとんとして動きを止めた。それから、真剣な顔で僕を見据える。

 「……それって、ライク?」

 「……それもあるけど」

 「……ラブ?」

 糸井のこんな顔は初めて見た。

 「……友達に、こんなに独占欲持たないだろ。……お前の言う『好き』と、同じだと思う」

 自分でも驚くほど、はっきりと口にできた。

 糸井は目を見開いて、それから泣き出しそうな、でも最高に幸せそうな顔で笑った。

 「……いいの? 俺、かなり重いよ? 宇佐見が思ってる以上に」

 「知ってる。……じゃあ、付き合うか」

 「えっ……今、宇佐見から言った?」

 お互い好きなら、そういうことじゃないのか?
 そう思って気づけば口に出していたけど、言ってからあまりの恥ずかしさに撤回を試みた。

 けど。

 「……嫌ならいい。今の、忘――」

 言いかけた唇は、すぐに塞がれた。

 熱を持った唇が重なり、あいつの体温が僕の口内へ流れ込んでくる。
 さっき額に触れた手よりもずっと熱くて、深い、確かな温度。

 糸井の方が熱があるんじゃないかと疑うほどに、熱い。

 「やめるわけないでしょ。後悔しても、もう逃さないから」

 顔を離した糸井の瞳は、暗がりの中でも潤んで、熱っぽく輝いていた。


 一度触れ合った後の空気は、驚くほど甘く、それでいてどこか照れくさかった。
 糸井は僕の手を離そうとせず、指の隙間に自分の指を絡ませて、何度も感触を確かめるように握り直している。

 「……そういえば、糸井ってさ」
 「ん?」

 「お前、やけに面倒見いいけど、下に兄弟とかいるの?」

 ふと気になって尋ねてみた。
 この手慣れた看病も、僕の様子を伺う細やかな気遣いも、誰かの世話を焼き慣れている人のそれに見えたからだ。

 「兄弟? ああ、うちは父さんと母さん、あと姉貴一人いるよ。だから家では一番下」

 「……え、」

 思わず声が裏返った。

 僕よりも背が高くて、クラスでも中心にいて、いつだって余裕たっぷりに僕を子供扱いしてくるこの男が、家では一番下だなんて。

 「……意外。絶対、下に弟とか妹がいるんだと思ってた」

 「よく言われる。でも、家じゃ全然だよ。姉貴は昔からめちゃくちゃ気が強くて、俺なんてずっとパシリにされてたし。いつも『あんた、ちょっとこれ買ってきなさいよ』って。母さんの言うことにも逆らえないし、家では二人の尻に敷かれっぱなし」

 糸井は困ったように笑いながら、自分の家庭事情を語る。

 クラスの女子たちが聞いたら卒倒しそうな話だ。あの完璧な糸井が、お姉さんたちの尻に敷かれているなんて。

 「……想像できない。あんなに学校じゃ偉そうなのに」

 「偉そうにしてるもりはないんだけどな。……でも、家での俺は、宇佐見が思ってるよりずっと普通だよ」

 糸井はそう言って、僕の頬を親指で優しく撫でた。

 「だからかな。宇佐見の前にいるときだけは、頼れる男でいたいって思っちゃうのかも」

 「……お前、弟のくせに、僕のこといつも子供扱いしてくるだろ。今も、この前の学校でも……」

 少しだけ唇を尖らせて拗ねてみせると、糸井は「あはは」と声を上げて笑った。その笑い声が、静かな部屋に心地よく響く。

 「だって、宇佐見が可愛いんだもん。不愛想に毒吐くのに、熱出すと素直になっちゃうところとかさ。そういうところ、俺以外のやつには絶対に見せたくない」

 糸井の瞳が、またあの熱っぽい独占欲を帯びる。

 さっきまでの『弟』顔から、一瞬で『僕を狙う男』の顔に変わるから、心臓が持たない。

 「でも、そういうギャップ知ってるのは宇佐見だけってことで」

 糸井はそういって悪戯っぽく笑うと、レジ袋からカップゼリーを取り出した。

 「これ、買ってきたんだけど。食べられそう?」

 「……ん、少しなら」

 頷くと、糸井は当然のような顔をして蓋を剥がし、プラスチックのスプーンですくった。

 「はい、あーんして」

 「…………は?」

 「お熱のときは、こうしてもらった方が食べやすいでしょ」

 「また子供扱いすんな。自分で食える」

 顔を背けようとしたけれど、糸井は「いいから」と引かない。結局、熱のせいで身体が重いのも手伝って、僕は観念して口を開いた。冷たいゼリーが、焼けるように熱かった喉を滑り落ちていく。

 「……ん、もういい。満足だろ」

 「はい、よくできました」

 頭をぽんぽんと叩かれ、僕はまた苦々しい顔をして布団に潜り込んだ。

 時計の針は、もうすぐ母親が仕事から帰ってくる時間を指している。
 これ以上、糸井をこの部屋に留めておくわけにはいかなかった。

 「もうすぐ、母さん帰ってくるし。もう大丈夫だから、帰れよ」

 「そっか。……寂しいけど、お母さんに変な誤解させても悪いしね」

 糸井は名残惜しそうに立ち上がり、カバンを手に取った。
 母さんのことだから「斗亜くんのお友達!イケメン!」って大騒ぎして喜ぶだろうけど、
 それはまた今度でいいだろう。

 「早く良くなるといいね」

 最後にそう言って、僕の頭にそっと手を置いた。糸井の体温が直接伝わってくる。
 その優しさに、僕は小さく「……おう」とだけ返した。

 糸井は「ベッドにいなよ」と言ったけれど、
 僕はふらつく足で無理やり立ち上がり、玄関までついていった。

 せめて、ドアが閉まる瞬間までは、あいつの背中を見ていたかった。そんな子供じみたわがままだった。

 玄関で、糸井が振り返る。

 「そんなとこまで来ちゃって。俺が帰ったあと、寂しくて泣くなよ?」

 「……泣くか、バカ。さっさと帰れ」

 捨て台詞のように返すと、糸井は「あはは」と満足そうに笑って、夜の闇へと踏み出していった。

 玄関の扉が閉まり、カチリと鍵をかける。
 急に静まり返った玄関で、僕は自分の心臓の音が、さっきよりもずっとはっきりと聞こえることに気づいた。

 寂しくて泣くなんて、そんなわけない。

 けれど、閉まったドアの向こう側に、まだあいつの体温が残っているような気がして。
 僕は熱がぶり返したような顔を両手で覆い、冷たい壁にそっと背中を預けた。