昨日の葛城も可愛かった。
俺に手を握られて頬を染める葛城を思い出していると、葛城が自習室に入ってきた。
「神乃くん、ごめん。今日は本屋に寄りたいから、勉強会はお休みでいいかな?」
「参考書でも買いに行くのか?」
「好きな作家さんの新作の発売日なの忘れてたんだ」
好きな作家さんと聞いて俺はピンと来た。
自習室には俺と葛城以外、誰もいないけれど、小声になる。
「BL漫画の?」
葛城がこくりと頷いた。
「それなら、俺も一緒に行く!」
「ええ!? でも、行くの、普通の本屋さんじゃないよ?」
普通の本屋じゃないという言葉の意味はわからなかったけれど、そんなことは関係なかった。
俺は葛城と一緒にいたかったし、BL漫画のコーナーで俺も錚々たるBL漫画が並ぶ中でBL漫画を選んでみたかった。
リムジンで一緒に本屋まで行こうと思ったのだが、葛城に絶対目立つからやめてほしいと言われ、俺は電車で帰ることを高野に知らせた。
高野は俺が小さな頃から俺の世話をしてくれている、いわば執事のような存在だ。
高野からは「かしこまりました。最寄り駅までお迎えにあがりますね」という返事が来た。
確かに、駅から家まではかなり距離があるため、俺はそれを了承した。
とにかく、葛城と行動ができればいいのだ。葛城と別れた後はいつも通りで問題ないだろう。
「それじゃ、行こうか?」
そう葛城に声をかけたけれど、葛城はやはり一時間くらい勉強してから行こうと言った。
葛城曰く、今はまだ下校していない生徒がたくさん残っているから、俺と一緒にいると目立つのだという……
「ねぇ、そんなに俺と一緒にいるところを見られるの嫌?」
俺は少し拗ねた。俺の好きな人が俺と一緒にいるのを嫌がるのだ。流石に傷つく。
しかし、葛城には葛城の言い分があるようだ。
「嫌とか嫌じゃないとか、そういう問題じゃないの! 神乃くんを好きな女の子たち、本当に怖いんだからね!」
確かに、俺の周囲にいる女生徒たちのライバルを見る時の目には危険なものを感じる。
だがしかし、俺が好きなのは葛城だけで、他の者たちのことなどどうでもいいにも関わらず、彼女たちの行動によって俺が好きな人との行動を制限されるというのはおかしくないだろうか? 全く納得できない。
俺の友達には何もしないように言ってはおいたけれど、もっとしっかりと知らしめる必要があるかもしれない。
葛城は俺の特別だ。
絶対に手は出させない。
今日のところは葛城の言う通り、一時間自習室で時間を潰して、部活動がある者たちは活動場所への移動が済み、そうでない者たちも帰ったであろう時間に俺たちは学校を出た。
葛城と学校の外を歩くのも、一緒に電車に乗るのも、街中を歩くのも初めてだったから、俺はすごく楽しかった。
そもそも、いつもリムジンで学校と家の往復しかしないから、友達と放課後にどこか行くのも初めてのことだった。
「そういえば、普通の本屋じゃない本屋ってどんなところ?」
電車の中でそう聞いた俺の口を葛城の手が塞いだ。
思わず葛城の可愛い手を食べそうになったけれど、俺は我慢した。
流石に電車の中でそれは変態っぽいし、葛城も引くだろう。
俺は葛城のおかげで色々なことを知った。
BL漫画では俺みたいなのが主人公になれること、好きな子ができると心臓がやけに締め付けられること、好きな子が側にいるだけで心臓の鼓動が早まること、それから、たくさん触れたくなるのに、それを我慢しなければいけない場面がたくさんあること。
特に、片思いの相手に勝手に触るのは、ダメだろうなと思う。
本当は、駅のホームで手も握りたかったけど、我慢した。
風で乱れた髪は直したけど、それにかこつけてちょっと長めに葛城の髪を触ってしまったけれど、それくらいは許されると思う。
「やっぱり、神乃くんは学校の外でも目立つし、モテるね」
目的地の最寄り駅に着き、改札口を出てから葛城はそう言ってため息をついた。
「急にどうしたんだ?」
俺は首を傾げた。葛城が俺に惚れ直したとかそういう話なら歓迎だけど、きっとそうではないだろう。
「電車の中ですごく見られてたし、格好いいって他校の子達から噂話もされてたでしょ?」
葛城は呆れたような表情を見せる。
俺は葛城のことだけ見ていたから気づかなかった。
「俺は葛城のことだけ見ていたから気づかなかった」
しまった。思っていたことをそのまま口にしてしまった。
葛城の頬が赤くなる。
「そうやって人のこと揶揄うの良くないと思うよ!」
怒っている葛城も可愛いけれど、俺は至って真面目に本気だ。
「本当なのに」
しまった。また本音がそのまま口から出てしまった。
恋とは自制心さえも揺るがすようだ。恐ろしい。
「もう行くよ!」
そう拗ねたように頬を膨らませて歩き出す葛城の後ろを俺は追う。
少し早歩きでサクサクと進む葛城の後を大人しくついていくと、青い看板のお店についた。
俺は看板を見上げる。
「あに……」
ま? いや、これはアニメとクラスメイトのメイトをくっつけた造語だろうか?
「アニメイ……」
次の瞬間、再び葛城の手に口を塞がれた。もう食べてもいいだろうか?
「店名を口にするのは中に入ってからにして!!」
「どうひへ?」
「一般人の方も通る道だから! ここただの道だから!!」
葛城が何を言っているのかわからないけれど、俺たちはとにかく普通じゃない本屋さんに入った。
中に入ってみて、葛城の言葉の意味がわかった。
確かにそこは普通の本屋ではなかった。
まず、本屋でよく見かけるファッション雑誌や旅行雑誌、売れ筋の小説、自己啓発本、ビジネス書などはなかった。
店内にはアニメキャラが描かれた雑誌や漫画雑誌、それから本棚を埋め尽くす大量の漫画本。さらには、キャラクターが描かれた大量のグッズ。
俺にとっては未知の世界のそこを、葛城は目移りすることなく、迷いを見せることもなく、確固たる意思で突き進んだ。
そして、ある棚の前で止まった。
その本棚は一面……いや、三面くらい、BL漫画で埋め尽くされていた。
俺がそのBL漫画の量に圧倒されて本棚を見上げている数秒の間に、葛城は平積みの新巻から一冊手に取った。
「あったよ! レジに行こう!」
「え!? もう!?」
まだ全然、この大量のBL漫画の背表紙たちを把握できていないのに!?
「腐男子だけど、長居は許されない場所だよ!」
「でも、こんなにあるなら、もっとしっかり、せめて背表紙だけでも見たい!」
少年漫画と違ってタイトルでどんな話なのかわかるものも多いし。
「ダメだって! ここは即入手即撤退が原則なんだから!!」
本屋なのにゆっくり見ることが許されないとはどういうことだろう!?
「本屋なんだから、ゆっくり選ぶ権利はあるだろう!?」
「その権利は隠れ腐男子にはないの!!」
「もう少しくらい……」
「だめ! ほら行くよ!」
次の瞬間、葛城に手を握られて、俺は思わず黙った。
葛城の手はひんやり冷たい。
それに、俺よりもちょっと小さいところが可愛い。
俺は葛城に引っ張られるのに任せて、その場を離れた。
レジに着くとその手はすぐに離されてしまったが、レジが終わってからまたあの聖域に行こうとしたらすぐに葛城は手を握ってくれた。
そして、手を握ったまま俺を店の外へと連れ出す。
店の外に出ると、またすぐに手を離されてしまったけれど、「やっぱりもうちょっと見たい」と店内に戻ろうとすれば、葛城はすぐに手を握って俺のことを引っ張って歩き出す。
最高だ。合法的に好きな人に手を握ってもらえるとかめちゃくちゃ最高だった。
しかし、葛城に手を握られていることに浮かれすぎて、そのまままっすぐ駅に連れて行かれて、俺の家がある方向の電車に乗せられてしまった。
本当はお茶とかしたかったのに!!
「何かいいことがありましたか?」
迎えのリムジンの中で、高野が聞いてきた。ちなみに運転手は別にいる。
毎回、送り迎えについてくるなら、高野がリムジンを運転すればいいのではないかと言ったことがあるが、高野にはリムジンを運転できるほどの運転技術はないそうだ。
「葛城と手を握れたんだ!」
「葛城様とですか……確か、葛城様は男の子だったと思いますが?」
「そうだけど?」
少しだけ不思議そうな表情を見せた高野だったが、俺の反応にそういうものかと飲み込んだようで、すぐにいつもの穏やかな笑顔になった。
「お友達とより親しくなれたのですね? よかったですね」
「でも、手を握れたことに浮かれすぎて、お茶はできなかったんだ」
「それで、ご予定よりもお早いお戻りだったのですね?」
「うん。今度は、俺から葛城をお茶に誘ってもいいと思うか?」
「きっとお喜びになりますよ」
そんな高野の言葉を鵜呑みにして、翌日、俺は葛城を誘ってみたが、BL漫画を買ったから金欠だと言われた。
奢ると言ったのだが、友達とお金の貸し借りはしたくないそうだ。
俺はダメだったことを高野に報告したのだが、高野はどことなく満足そうだった。
「遥翔様は良いお友達を持ちましたね」
そう言われて気づく。
確かに、俺が奢ると言ってホイホイついてくるようなやつだったら、俺は葛城のことを好きになっていないだろう。
しかし、それから数日後の日曜日、たまたま高野と買い物に行った帰りにファミレスに入る葛城と日向を見てしまった。
やはり、葛城にとって、日向は特別なのだろう。
金欠でも、日向となら出かけるのだから。
「遥翔様? どうされましたか?」
窓の外を睨むように見ていた俺の様子がおかしいことにすぐに気がついた高野が声をかけてきた。
「葛城と日向がファミレスに入って行った……俺とのお茶は断ったのに……」
好きな人を優先するのは当然だろう。それでも、どうしようもなく悔しい。
もうファミレスの前は通り過ぎて、二人のことが見えるわけでもないのに、俺は未練がましく外を睨み続ける。いや、実際には何も目には映っていない。ただ、二人の幻影を追っているにすぎなかった。
「あの……」と高野が控えめに言った。
「遥翔様は、葛城様をどちらに誘われたのですか?」
俺のお気に入りのカフェを知っている高野にしては変な質問だったが、俺は答えた。
すると、高野はなんとも言えない表情を見せた。
「それは断られても仕方ありません」
「どうして?」
「遥翔様のお気に入りのカフェは紅茶一杯のお値段が千五百円はします。種類によっては二千円です。ケーキセットなど頼めば四千円ほどです。葛城様のお小遣いがおいくらなのかはわかりませんが、一般的な高校生では行こうとは思わないカフェです」
俺は言葉を失った。
「今度は、もっとお手頃なお店に誘ってみてはいかがですか? 葛城様も育ち盛りでしょうから、何か食べられるものを含めて、一千円に収まるところがよろしいかと思います」
「わ、わかった……」
俺は自分の浅はかさを反省した。
俺は親にブラックカードを持たされているから、財布の中身が空になることなんて考えたことがなかった。
