クロスケと呼ぶには

(どうしようなぁ…。)

 仕事の帰り道、私はずっとそればかり考えていた。クロスケの写真…。
――いや、正確には

“猫としてのクロスケの写真”

無理じゃない?だって今のクロスケは人間だ。
耳と尻尾はあるけど、どう見ても猫ではない。
それを「うちの猫です」って見せるのは

「無理だよなぁ…。」

写真を求められて断るのも不自然だし、かといって本当のことは言えない。
詰んでる。

「はあ…。」

ここ最近ため息ばかりついてる気がするなと思いながら、アパートの階段を上がる。
そしてドアを開けた瞬間――

「ありさ」

すぐに声がした。
クロスケが、いつものように玄関まで来ていた。

「ただいま。」
「おそい…。」
「仕事だからね。」

靴を脱いでたら、自然と距離が近くなる。
この子は相変わらず近いな…。

「今日は何してたの?」
「待ってた。」
「それしか言わないよね。」
「それが一番だから。」

真顔で言われて、ちょっと困る。
でも、その言葉に少しだけ救われる自分もいた。
出会うまでは、誰かが待ってくれてるような日常を欲していたからだ。
それが今は叶っている。

「ねえクロスケ?」
「なに…?」
「ちょっと相談いい?」
「いい」

即答だ。ほんと素直だよね。





「猫の写真…?」
「そう。」

 テーブルを挟んで向かい合いながら、私は事情を説明した。会社でのこと、同僚に話した“猫を飼ってる”という嘘のこと。まぁ最初は本当に猫飼うつもりだったんだけど…。
そして、写真を見せてと言われたこと。

「…なるほど?」
「なるほどじゃないよ…。」

分かっていそうで分かっていないクロスケに、私は頭を抱えてしまった。
元はといえば嘘と言えないをついた私の責任だが、写真を求められた以上あの場を収めるにはああするしかなかったのだから、致し方ない。

「ありさ、困ってる。」
「めちゃくちゃ困ってる!…クロスケ、猫に戻れたりしないの?」

少しだけ考えるような間。

「…わかんない。」
「わかんないの…?」
「気づいたらこうなってたから。」
「だよね〜…。」

そりゃそうだ。
本人もよくわかってないんだから。

「でも、出来たらいい。」
「それは私も思ってる。」

むしろ今一番それが必要。
猫に戻れれば一発解決なのだから。

「やってみる?」
「え、どうやって?」
「…うーん。」

考え込むクロスケの横で私も一緒に考える。
私は思いつく限りの提案をしたが…。

「寝たら戻るとか?」
「…昨日は戻ってない。」
「じゃあお腹空いたらとか?」
「今まで戻れてないし、そもそも今空いてない。」
「クロスケ役に立たないね!」
「ありさもね。」
「うぐっ」

正論で返されると弱い。
根詰めても分かるわけではないと思い私は立ち上がる。

「考えてても分からないし、とりあえず今日はお風呂入ってきて。」
「おふろ…。」
「今は人間なんだからちゃんと入るの。」
「…やだ。」
「なんで!?」

クロスケと話してると、イヤイヤ期の子供を育ててるようだ。

「水、きらい。」
「あぁ…猫ってダメなのか…。」
「そう、俺猫だから。」
「でも今は人間!」

こんな言い合いを数分した押し問答の末、なんとか風呂場へ送り込んだ。

「ちゃんと洗ってね!」
「うぅ…。」

何やら不満そうな声が返ってきたが、ドアを閉めて私は大きく息をつく。問題が多すぎる。
猫の写真問題、クロスケの正体。

そして――

(…ほんとに、クロスケは戻れないのかな。)

ぼんやり考えていた、その時だった。

「ありさ!!!」
「っ!?」
風呂場からクロスケが叫ぶ声がした。

「なに!?どうしたの!?」

慌てて駆け寄ってドアを開けると、そこにいたのは数秒まで考えていた光景だった。
そこにいたのは…

――黒猫だった。

「クロスケ…?」
「にゃあ!」

間違いない。あの黒い毛並みに金色の目。
あの日拾ったままの、クロスケ。

「え、ちょっと待って待って待って!?」

混乱する、頭が追いつかない。

「戻ってる…?」
「にゃあ」
「え、なんで今このタイミングで!?」

タオルを掴んでとりあえず包む。
小さくて、軽くて、ちゃんと“猫”だ。

「ほんとに、猫だ…。」

思わず呟く。触れるとあたたかい体温と感触が伝わり、間違いなくあの時のクロスケなんだなと実感した。

「これ、いけるじゃん…?!」

写真、撮れる!
これならちゃんと“猫”として見せられる。
ちょっと待っててねとタオルに包んだクロスケに声をかけ、スマホを取りに行こうとしたその時。

「…あれ?」

腕の中の重みが一気に変わる。

「……え?」

次の瞬間。

「…ありさ。」
「っ!?」

いつの間にかクロスケは元の姿に戻っていた。

「さっきの、なに…?」
「それはこっちのセリフだから!!」

完全にパニックである。

「今、猫だったよね…?」
「……たぶん?」
「たぶんじゃないでしょ!」
「気づいたら戻ってた。」
「またそれ…?」

クロスケは自分の手を見る。
さっきまで前足だったはずの手。

「…変。」
「それはそう!」

深呼吸をしよう、一回落ち着こう。
ん?私今、何かを忘れてないか?
やばいと思いながらクロスケを見つめれば、当たり前だが服は着ていない。
さっきまで風呂場にいたままの状態。

「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って!!!」

思わず叫びながら咄嗟に後ろを向き両手で顔を隠した。
けれど、私が慌ててる意味が分からないのかクロスケはいつものように距離が近い。

「とりあえずその包まってるタオル!巻いて!」

クロスケは頭にハテナを浮かべながらも言う通りにタオルを巻いた。
しかし、慌てる有紗をよそにクロスケは何が何だか分からないとでも言うかのように話す。

「……ありさ、顔赤い。」
「っ…見ないで…!」
「なんで?」
「なんでじゃないの!」

心臓がうるさい…鳴り止むことを知らないようにドクドク鳴ってる。冷静に、なれない。

「いいから早く着替えて!ここ出て!」
「え、うん…。」

その間、私はずっと後ろを向いたまま動けなかった。





数分後──


「落ち着いた…?」
「……なんとか。」

まだちょっと顔が熱い。
それなのにクロスケは普通に座っている。
何事もなかったみたいに。
こっちは大事件なんだけど…?

「戻るタイミング最悪。」
「……?」
「風呂場で戻らないで!!」
「いつ戻るかなんて分からない…ていうか、だめなの?」
「だめに決まってるでしょ!?」

思い出してまた顔が熱くなる。
ほんとに無理、心臓がもたない。

「つまり、クロスケは“猫にも人間にも戻れる”」
「たぶん。」
「しかも“勝手に”。」
「…たぶん。」
「タイミングは不明。」
「……たぶん?」
「全部たぶんじゃん!」

 だけどひとつだけ確かなことがある。

「これで写真は撮れる」
私がそう言えばまたハテナを浮かべるクロスケ。

「写真は猫のときに撮ればいい。」
「なるほど…?」

私は頷いた。理解は早い。

「でも、俺、いつ戻るかわかんない。」
「それか〜…。」

また問題が増えてしまった。
戻るタイミングが読めない。ということは狙って猫にはなれないと言うこと。
こんなの、ため息しか出てこない…。

「悩み増えたなぁ…。」
「ありさ」
「ん、なに?」
「ごめん…。」
「なんで謝るの…。」
「俺のせいなのに、わかんないこと、多い。」

少しだけ沈黙した。
心苦しいが、そうだねと苦笑した。
けれど、そんなことを気にしていられない。

「それも含めてクロスケだからね、大丈夫だよ。」
「……。」
「一緒に考えよ!ね?」

私がそう言うと、クロスケは少しだけ安心したような顔をした。

「…ありさ。」
「ん?」
「さっき、猫だったとき、さ。」
「うん?」
「持ち上げられた。」
「そりゃ〜、猫だったしね?」
「…あれ、いい。」
「……は?」

何を言ってるんだこの猫は。

「また、やって。」
「…いや、戻ったらね!?」

問題は山積みだ。
でも、こうして一緒に悩んで、笑って。
少しずつ、形になっていく。
なんとかなるかもしれない。
楽観的だが、そう思えたのはたぶん。


隣にクロスケがいるからだ。