早朝と呼ぶには早すぎる時間帯。
冬弥は必要なものを鞄に詰め込み離れを出た。見送ってくれた梅野が作ってくれたおにぎりはお弁当箱の中に少しのおかずと共に入っている。
早くも1週間。
その間、3回ほど母屋での会食と分家共やきょうだいの要らない言葉を永遠と聞かされ、何度も毒を食らって吐いては夜空を見上げた地獄が終わった。
「坊ちゃん、お気をつけて。」
「ああ……梅野さんも体に気をつけて。」
頭を下げて離れの玄関で見送った梅野は、一年の内、1週間しか合わない冬弥があんなにも身長が高くなっていることを知らなかった。幼い頃より体つきも立派になり梅野はとうに見下ろされる事になっているなんて思わなかった。子供の成長は早いと考えながら、この場を去っていく冬弥の後ろ姿が何故か朝の光に隠されてしまいそうな程儚くて、梅野は咄嗟に「坊ちゃん」と叫んでいた。
振り返る冬弥は、梅野を不思議そうに見たあと、小さく腕を振り「行ってくる」と今度こそ去っていった。
以前、離れから都会のマンションで一人暮らしをすると聞いた時は、冬弥がやっとこの地獄から抜け出せる事を心から祝った。それでも、こうして付き纏う家。
いつしか連れて来てくれたあの青い目の子供は元気だろうか。
いつしか名前を聞かなくなったあの青い目の子供は冬弥の側に居てくれるのだろうか。
母屋の方で何回か顔を合わせた時から冬弥の中であの子供だけは何かが違っていた。
ハツラツとし、屈託のない笑顔を向けるあの少年は、冬弥の心の中の氷の壁を確かに溶かしていた。
梅野では出来なかった事をいとも簡単に……
「……貴方様の未来に幸多からんことを」
腰をおり主人を見送る。何故か流れた涙を隠すように離れの中へ戻って行った。
「冬弥様」
母屋を通り過ぎて駅へ向かおうと思っていたのに、何故か送迎車が待っていた。
「……。」
既に扉は開けられている。この運転手は「いつも」の人だ。冬弥は車に乗る。
「篠宮様から言伝です。」
「……。」
静かに車が動き出し都会とは違い自然豊かな森を抜け出し、公道。そして高速道路に入った所で運転手が口を開いた。
「……管理局で待つ」
「遥陽は」
「黒瀬様が。」
「わかった。」
必要以外の会話は無い。
それに、詳しく聞かずとも分かる。きっと……
管理局の地下駐車場。
生家へと戻る車を出てから中へ。
「……ひとまずはお疲れ様。」
「ああ。」
管理局の篠宮の執務室。任務の詳細が書かれた報告書を提出した。相変わらず整った字だ。
スーツや紋章が無くても顔パスで入れる冬弥は、私服のまま篠宮の前に現れる。
「要点だけ話す。」
「……。」
「もう、時間が無いぞ。」
厳しい視線の篠宮。きっと、アレを見られた。
「分かっているだろ、冬弥。」
「覚悟の上だよ。」
篠宮は目を細めると冬弥を見た。その揺らぎのない視線の中に混ざる少しの不安。ここまで弱っているのは久しぶりに見るーー……
「篠宮。」
「………。」
「あの時、俺の選択は間違いだったのか?」
疲れた様子の冬弥に篠宮は何も言わない。きっと、生家に行った事で心身共に疲弊しているのだ。
冬弥の事は生家での危うかった時から知っている。だからこそ、「あの日」の事は正しく正気ではなかったと篠宮は未だに思っている。自分も似たような過去を経験したから分かる。共感も出来るが、理解は出来ない。
「俺は……あの時、本当はどうすれば良かったんだ」
どこを見ているか分からないその視線。
今を見ているのか、過去を見ているのか
「……しらねぇな」
突き放すような篠宮。
フッと嘲笑う冬弥が口を開こうとした時
「そんなもん、誰にも分かんねぇだろ。」
と、篠宮は言っていた。そうだ。あの日、確かに冬弥は
「選んだんだろ、お前が。なら、それが全てじゃねぇのか」
顔を上げた冬弥。
「後悔、してんのか?」
篠宮はタバコに火をつけると一気に吸い込み吐き出した。冬弥の変わった視線に向かい、言い放つ。
「……なら、それが答えだろ。」
