入口広場を抜けると、空気が少しだけ変わった。木々の間を通る風が、やわらかく頬を撫でる。季節は春。お散歩日和である。
「うん。普通にいいとこじゃん」
琉生が、軽く伸びをする。こう言った場所には中々来ない。最後に行ったのは、確か小学生だろうか。視界の先にはまっすぐ続く遊歩道。左右には背の高い木々が並び、木漏れ日が揺れている。
「思ったより広いな」
不知火が周囲を見回す。
「迷わねぇよな、これ」
秋宮が立花のしおりを見ると、それに答えたのは斎藤。
「一本道だし大丈夫ですよ」
軽い会話が続く。
足元を踏みしめる音や誰かの笑い声。遠くで、風に揺れる葉の音。どれも、当たり前のものだった。
その中で。
冬弥は、わずかに視線を上げる。
揺れる木々。重なる音。
ざわ、と。
一瞬だけ、別の音が混ざった気がした。それも、すぐに消える。
「どうした?」
声がかかる。いつの間にか近くにいる立花。
「……いや、なんでもない」
そう答えて、歩き出す冬弥は「まだ」問題はない。
そう判断しそのまま、第一地点へと続く道を進んだ。
しばらく進んだ先、開けた場所に出ると、人の声が一気に広がった。簡易的に置かれた机と、スタンプ台。
その周囲に明桜学園の生徒たちが集まっている。
「押せた押せた!」
「ちょ、見せろって」
「早く進めよ、詰まってるって!」
紙を囲んで笑い合う声。
誰も急ぐ様子はなく、その場に留まっていた。
足を止め、様子を見る。それだけで、さっきまでの静けさが嘘みたいだった。アトラクションの待ち時間みたいでなんだか笑ってしまう。
「ここか。一個目」
立花がしおりを確認しながら呟く。
「全然進んでねぇな」
「まぁ最初だしな」
秋宮と冬弥の後ろに斎藤と不知火。列の最後尾に並ぶ。
チラリと前を見ると、教師が二人立っていた。
同じ制服。同じような姿勢。
「「はい、おつかれ。ここは第一地点だ。順番で押していけよ」」
声がわずかに重なる。それを誰も気にしない。そのまま、生徒が一人また一人とスタンプを押していく。
やがて順番が回ってくると立花が一歩前に出たが、その足が、ピタッと止まる。
「……」
視線が、二人の教師の間を往復する。ほんの一瞬だけ後ずさる立花。
「おい、詰まってるぞ?」
後ろから不知火の声がかかる。
「……あ、悪い」
軽く笑って、前に出る立花は何もなかったようにスタンプを押すぱち、と乾いた音。紙に浮かび上がったのは、一文字。
「…………「ば」?」
「なんだそれ。ハズレか?」
誰かが笑う。それだけで、スタンプラリーの1回目が終わるその間も、教師は二人ともそこに立っていた。動くことなく。ただ、何処かを見ている。どちらも。
「……ちょっと、馬鹿みたいな話をしてもいい?」
苦笑して言う立花にお茶を飲んでいた斎藤達が頷いた。
少しだけ視線を逸らして。
「さっきの教師、二人いなかったか?」
一瞬、空気が止まる。
「……は?」
秋宮が首を傾げる。
「一人だったろ?」
不知火の視線に斎藤もそれに頷く。
「い、いや、何でもないわ。見間違いかもしんねぇ」
自分で言いながら、軽く笑う立花は、後頭部をかくと全員を見渡す。
「ごめんな。忘れてくれ」
手を振って、前を向こうとする立花を見る冬弥。
その時。立花の足が不意に止まった。
3人は通り過ぎて少し先に進んでいる。もう一度だけ、恐る恐る振り返る。
開けた場所に、教師が二人。さっきと同じ。
……そのはずなのに。
片方が、こちらを見ていた。
動かない。ただ、視線だけが。まっすぐに向いている。
……合う。
その寸前、
「……ひゅっ!」
喉が詰まり、息が、浅くなる。
タラタラ流れる冷や汗と全身を駆け抜ける悪寒。
ーアレは、駄目なやつだ。
立花が逸らせない視線と恐怖で動かない体に焦りを見せた瞬間、ポン。と肩に触れられた。
「!?」
「立花」
低い声。視界を過ぎったのは灰色の目。思ったよりも近く、すぐそこにあった感情のない静かな色。だが、すぐにわずかに口元が緩んだ。
「進もうぜ」
ほんの少しだけ、笑っていた冬弥のやわらかいはずの表情。なのに視線は変わらない。
恐ろしい気配が途切れた事で呼吸が戻る。ふぅ、と息を吐き出して冬弥を見る。
「……ああ」
でも、それだけで十分だった。もう、振り返らない。
「見なくていい」と思った。いいや、「見てはいけない」と思った立花はそのまま、前を向いた。
「……で、次どっちだっけ?」
不知火がしおりを覗き込む。
「えっと。林の中の道。多分このまま真っ直ぐ」
班長の立花が答え、斎藤がパシャッとシャッターを切った。色とりどりのチューリップが綺麗だったらしい。
立花の声は、いつも通りに戻った。
さっきの事なんてなかったみたいに。けれど、ほんの少しだけ、間がある。
「さっきのさ」
秋宮がぽつりと呟く。
「……スタンプ、「ば」だったな」
「あー、あれ」
冬弥が笑う。
「意味わかんなすぎて逆に好きだわ」
立花がスタンプを何度も見ては苦笑い。
「あとで並べるやつでしょう、多分」
斎藤の言葉に全員の「だろうな」が重なった。
軽い会話。普通のやり取り。
それだけで、空気は戻っていく。
戻っている、はずだった。風が吹くいて、ざわ、と木々が揺れる。さっきと同じ音。なのに……
冬弥は少しだけ、違く感じた。
その時、冬弥達の班が進むもっと後方にこちらをずっと見続けていた人がいた。
その青の視線を真っ直ぐ一人に注ぎ、班員に声を掛けられるまで動かなかった人は、第1地点の先生を見つめた。やたらと腹が鳴る。
