異世界の化け物に飼われてる男 〜だって、君が愛と呼んだから〜



 麗らかな春光の差し込む昼下がり。学食の隅に腰掛けた利央は、ぽけーと口を半開きにして、空を見上げていた。

 目で追う先は、二羽のアゲハ蝶。仲睦まじく浮遊する姿はなんとも風情があり、疲れ果てた心を癒してくれる。

「……珍しい、利央が暇してるなんて」
「洋介?」
「考え事?」
「いや、むしろ脳を休息させてるところ」
「あははっ、なんだそれ。仕事でなんかあった?」

 カタンッと前の席を引き、腰を下ろした洋介は、興味深げに頬杖を突いた。

 どこまで話していいのやらと口籠る利央の頬を突き、それとなく先を促す。普段は小言が多いくせに、案外、聞き上手なところもあるものだから憎めない。

 利央は首に掛けていたヘッドホンを取り、テーブルの端へ放った。

「……お前はさ、自分の知り合いが、不当な扱いされてたらどう思う?」
「たとえば?」
「金持ちに飼われて、デスゲームやらされてんの」
「へえ、やっぱ激しめプレイ希望の客だったか」
「もういいっ、お前とは話さない!」
「待て待て待てって! ……はあ、冗談が通じないなあ」

 席を立とうとする姿を引き留め、洋介はやれやれと首を振る。まるで被害者気取りだが、冗談を言うにしても、時と場を弁えるべきだ。

 じとっと鋭い眼光で睨め上げたところで、相手は動じない。むしろニタリっと、頬を緩ませて額を小突いてきた。

「必死じゃん、これ好きな子の話?」
「なんで?」
「わかるよ、恋してる顔だから」
「はあ〜もうどうでもいいから、早く応えて〜」
「あははっ、まあそりゃ解放してやりたいって思うけどさあ……要は、本人がそれを望んでるかってとこだよな」
「どういう意味?」

 話の流れから、また茶化されるのかと思いきや。返された声は、意外にも真剣なものだった。顔を上げれば濃いブラウンの瞳と重なり、瞳孔が僅かに拡張する。利央は引き込まれるように声をなくし、薄い唇が紡ぐ先を待った。

「利央さ、パイク・シンドロームって聞いたことある?」
「なにそれ?」
「水槽に入った肉食魚が、ガラス板で仕切られた先の小魚を襲うために、何度も板に打つかるんだ。けど当然、板は割れないで、代わりに自分の身体が傷付く。そのうち肉食魚は襲うのを止めて、ガラス板を外しても、目前の小魚を襲わなくなるっていう実験」
「その魚、最後はどうなったの?」
「餓死したよ。目前のご馳走に、手を出さないままな」

 手に持っていたスマホを開き、すすすっとタイムラインを遡る。そうしてお目当ての記事を見つけると、洋介はチャットアプリでリンクを共有した。

「人は過去の経験から学習する。そのペットさんも、過去に何度も壁にぶち当たって、なにも変わらないって、学習しちゃったんじゃないかな? ……もしそうなら、いくらこちらが手を差し伸べたって、相手はその手を掴まない」
「そんな……っ! じゃあ、どうすればいいんだ!?」
「人の潜在意識を変えるのは容易じゃない。それだけの衝撃と痛みが伴う」

 カタッとスマホを横へ置くと、舞い込んだ風に促されるように目元が細められる。鮮やかな花々を映し出すはずの瞳は、いつの景色を追っていたのだろう。降り落ちる白の幻影が虹彩を掠め、名残惜しげに色を落とした。

「お前がそいつの『痛み』になってやれるなら、とことん付き合えよ……どの道を選んだって、結局辿り着く先は地獄だ」

 消え入りそうな声でそう零すと、洋介は席を立ち、今度は利央の横へと移動する。グイグイッと肘で押してスペースを確保し、なにをするのかと覚えば。高性能プロセッサー搭載の、どデカいラップトップを開き始めた。

「学祭のポスター作ったんだ。見る?」
「まだ早くない?」
「デザイン案レベルだからいいんだよ」
「じゃあ見るけど……って、お前さあ。これはないだろ?」
「え? なに?」
「誤字が酷い。仮にもグラフィックデザイナーなら、もっと隅まで気を配れって」
「どこ?」
「ここ、『さ』と『ち』が逆。本来なら、『AIロボットと仲良くおさんぽ』、だよな? なんか、際どいエロ動画のタイトルみたいになっちゃってる」
「AIロボットと仲良くおち――……あら~やだぁっ♡」
「いや、『あら〜♡』じゃなくてさ……」

 このまま大判サイズのポスターを印刷すれば、大学の沽券に関わる大問題だ。即修正、Ctrl+Sを連打し、利央はついでに不注意な友人の後頭部を叩いた。