仄暗い洞窟のような廊下を通り、滑らかなカーテンを開いた先。視界いっぱいに広がる桜吹雪は幻想的で、しばらく声を失ってしまった。
黒い空からヒラヒラと舞い落ちる薄桃色の花びら。それらが肌に触れることはなく、すうっと透過しては、身体をすり抜けていく。ただの映像だとわかっていても、視界を埋める桜色は圧感だ。
利央は馨に手を引かれ、薄く乳白色の微温湯が張った床を歩く。
一体どのような映像技術を用いているのか。前後左右に首を振っても、境界線は見当たらない。代わりに、天空から吊るされた球状のガラスは遠くまで列をなし、まるで生き物のように、眼球を瞬かせていた。
間もなくしてBGMが流れ、濡れた足で舞台の上に這い上がる。緩やかに鼓膜を揺らす曲は、雰囲気どハマりの雅楽。所々で音程の不安定さは否めないが、むしろそれが味を出していた。
使えない音響担当も、この出来栄えであれば鼻高々。今期のボーナスは二割増しだ!と、テンションMAXの雄叫びを上げれば、過電流により主幹ブレーカーが落ちる。
ミュート設定をし忘れて、消費電力の合計が、設定アンペア数を超えてしまったのだろう。期待値を超えてくる愚鈍さだ。
「素晴らしい演出だったけど。昨日の読解問題といい、なんで日本なの?」
「運営が日本推しらしいよ。それに最近は円安だから」
「異世界の化け物も、為替レートとか気にすんだな」
親日であるのは有難いが、どれも日本クオリティには程遠い。真っ暗闇になったセットの中、復旧に手間取っているのか。あちらこちらでバタバタと、小動物が蠢く音が響いていた。暫くすると電気の供給が戻り、視界に映るすべてのものが真っ白へと切り替わる。
「…………」
「…………」
あれほど手を込んで準備した演出も、電源が落ちたことで全てリセットされた。あちらこちらで聞こえてくる、落胆の声。さすがに、なんとコメントすればいいのかがわからない。
「これライブ配信なんだっけ? いいの、こんなグダグダで」
「いつものことだから」
「これがデフォルトなのかあ」
利央は気怠げに頭を掻き、中途半端に出現した椅子へと腰掛ける。
散々な演出にも関わらず、ニコニコと微笑を崩さない馨は、さすがプロ。すかさずライトの点灯した2カメめと視線を定め、視聴者サービスを行っていた。
「なるほどな。ガチガチに着込んでるなって思ったら、そうやって脱ぐためなのか」
「全裸よりも、偶発的な露出の方が興奮するんだって」
「エロの真理だよな」
なんだかなあと視線を巡らせると、ふと馨が立つ向こう側に、別の人物の姿を捉える。
淡い色合いの髪に褐色の肌。朱鷺色のシャツを着た青年の表情は薄く、感情が出にくいタイプに見える。背格好も馨とは対照的で、細く、あまり活動的な人物であるようには思えなかった。
白いテーブルに白い椅子。参加証を置く台までこちらと同じ――となれば必然的に、彼が本日の対戦相手であることが察せられる。
「利央、キスしていい?」
「は? なに言ってんだっ! いいわけないだ、ろ……んむぅッ! んんーンッ……ぷはぁッ! てめぇッ、なにすんだっ!」
「あははっ、怒る前にあっちのスクリーン見て。投げ銭の量がヤバいから」
グイッと顎が押し上げられ、目にした巨大スクリーンは、ちょうど再起動を終えたところなのだろう。長々と回っていたレインボーサークルが消え、参加者のポイント数を表示した。
直感を信じるのであれば、右端が現在の総合ポイントで、中心のゲージは本日のゲーム分といったところか。以前説明を受けた通り、ゲームでの獲得ポイント以外に、視聴者からの投げ銭が、加算されるシステムになっているのか。ぴゅろろんっ♡と、ちゃめっ気たっぷりな課金音が流れている。
「……どこの世界でも、エロは需要が高いんだな」
「利央が脱げばもっと入ると思うよ」
「ふざけてんの? 殴るよ?」
軽口を叩けば、途端に照度が落ち、舞台の中心へスポットライトが当てられる。正面のスクリーンも同時に切り替わり、真っ赤に染まった四角い画面の中央には、「ずこうのじかん」と表示された。
ぴりっと走った緊張感。数秒すると文字が消え、今度は、とある生き物を模したモニュメントが浮かび上がる。
「……懐かしい、折り鶴だ」
「作ったことある?」
「昔、婆ちゃんと折ったけど、もううる覚えかな」
「覚えてるところまででいいから、教えて」
「途中までじゃだめなんだろ?」
「大丈夫、あとは想像で折る」
「はあ? 想像でって、どうやって……」
――ドグォンドワヮヮヮヮヮヮ――――ッンッッッ!!!!!
「うるっさ……なんで銅鑼なんだよ?」
「これ音量大丈夫かな?」
けたたましい銅鑼の音で、ゲームの開始を告げる――はずが、案の定、再びブレーカーが落ちた。「まさか、二度も同じミスをするなんて……」と、現場の狼狽が最高値に達するも、起きてしまったからには仕方ない。
利央は慌ててスマホを取り出し、フラッシュライトで手元を照らす。与えられた時間は三分間。限られた視界の中、紙を折る馨へ指示を与えていく。
折り方を知っていれば余裕だが、悪環境下では思うように進まない。悪戦苦闘を繰り返し、どうにか完成させた時には、制限時間ギリギリになっていた。
利央はふぅっと胸を撫で下ろし、薫の肩へと頭部を凭れ掛ける。
――ド……ドワヮヮ……ンっ
「あ、今回は控えめだ」
「これで三度目ミスったら、クビだろ」
撮れ高がクソレベルのライブ中継。やっとのことで照明が点灯し、速やかに採点が行われる。
チラリと視線を落とせば、素晴らしい完成度の折り鶴が目に入った。あの状況下で、よくここまでクオリティに仕上げたものだ。意外にも手先が器用なんだな〜と気軽に構え、利央は対戦者の方へと視線を流す。
色違いの瞳が捉えたステージの上。残念ながら、彼は課題をこなせなかったのだろう。声もなく、白い机に両手を突いた状態で動かない。たとえ日本人であろうと、鶴を折れる割合は男性で五割。そう気落ちする必要はないのだが――。
あまりの落ち込みように、利央は声を掛けてやろうかと立ち上がる。すると、それを制するように、薫が手首を掴んだ。
「危ないから動かないで」
「踝ぐらいの水嵩だぞ? 別に転んだりしないって」
「そうじゃない。動かないで」
「なんでだよ、いい加減に放――」
――トスッ
軽やかな音と共に、視界の端で赤い鮮血が吹き溢れる。どこからともなく放たれて白い光は、心臓の上を掠めたのだろう。青年は胸を押さえたまま蹲り、悲痛な声を張り上げた。
「ひっ……なっ、なんだこれ!? ……さ、里見っ! なにこれ!?」
「利央、笑って。まだ放送中だから」
「お、お前っ……なんで正気なんだ!? おかしいだろっ!? 人が撃たれたんだぞっ!?」
「ああ、頬に血が付いちゃってる。なんか拭うのあったかなあ」
「は……? ふ……ふざけんなよっ! そんなこと言ってる場合か……っ!」
制する腕を振り払い、利央は一直線に青年の下へと駆け出す。背からも血が溢れ出ていることから、弾が貫通しているように思えた。しかし、それが果たして、いいことであるかの判断は、素人では付けられない。
――クソッ! こんなことなら応急手当の講習、受けとけばよかった!
そう心中で唾棄し、利央は自身の上着で傷口を圧迫する。
「お前っ、大丈夫か!? あんまり深く息すんなよ!」
「ゆ……雪ちゃん、ごめ……っ」
「……おいっ! 動くなって! ……クソッ! どうなってんだっ!」
人が声を荒らげているというのに、青年には聞こえていないのか。ずりずりと床を這い、白い箱の方へと向かっていく。
べっとりと鮮血に塗れた両手で箱に手をかざし、半透明に透けてきた箱の中。小さな檻に入ったそれを目にすると、彼は小さな声で何かを囁いていた。
――ピュンッ……ヒュンッ
密やかに放たれた弾丸が、額のど真ん中を貫く。サイレンサー付きの銃を使用した理由は、視聴者の意識が、すでに別のところへと、移っていたからだろう。本日の勝者である馨の元には花吹雪が吹き込み、高い照度でスポットライトが当てられていた。
――なんだ、これ……っ? なんで、誰も助けにこないんだ? なんで、誰も、おかしいって思わないんだ……?
握り締めた手が、徐々に温度をなくしていく。ファンファーレの鳴り響く中央は、まるで別世界。誰一人として、消えゆく命に目をくれようともせず、推しの勇姿を讃えていた。
一通りのインタビューが終わると、馨はくしゃくしゃっと髪を乱し、呆然と膝を突く利央の下へ歩み寄る。
「……お前さ……ここで、なにやらされてんの? ……な、んだよ、これ」
「前に言っただろ? 俺はエンタメのために育てられたって。課金してもらって、フォロワー増やして。推してくれてる人の期待に応えられなかったら、俺は廃棄だ」
「そんな……っ、嘘だろっ!? こんな、……人の尊厳とか無視した行為、許されるわけがないっ!」
怒鳴るように吐き出した声は震え、上手く言葉が繋がらない。ボロボロっと零れ始めた涙が頬を濡らし、肌に飛び散った鮮血を洗い流していく。
なんて非道な世界なのか。
道楽のために命を作り、用が済めば、最も容易くへし折ってしまう。
無慈悲で冷酷。
ゴミクズ同然の扱いだ。
腹の奥底から湧き上がる憤怒と悲しみ。それは目の前にいる、この男の言っていた意味が、今この瞬間、わかってしまったからだ。
――『……もっと自由になりたいとか、思わねえの?』
――『選択肢にあるならね。俺の場合はもう、先が決まってるから……』
馨はもうわかっている。自分がいずれ処分されるであろうことを。美しさが欠け、衰えが見えた時。それが彼の終わりだ。
芸能人、モデル、インフルエンサー、それらの業界は華やかであるが故に、移り変わりが激しい。今日明日にでも、新たなスターの種が芽吹けば、一気に情勢は変化する。日が当たらなくなり、枯れた花を、わざわざ見に来る者などいるだろうか。
せめて、全ての花が刈り取られる前に。まだ、根も、茎も、葉も新鮮なうちに、別の場所へ移し替えることができれば――。
ぐっと力強く目元を擦り上げ、利央は薫の肩を掴む。
「どうにかならないのか!? ここから解放されるには、なにをすればいいんだっ!?」
「大丈夫、焦らなくてもそのうち解放されるよ。支持率が下がれば、すぐに処分だから」
「お、お前……っ、処分って……っ!」
「俺のスポンサーは優しいし、もしかしたら、そのまま観賞用として、飼ってくれるかもしれない。でもあんまり期待はしてないかな……ただ老いていくだけの俺を、欲しがる奴なんていないだろ?」
「なにを言ってるのか」と、詰め寄りたくなったが、彼の目は本気だ。まるで当然のことのように言ってのけた声は穏やかで、軽い。
どれほど残酷なことを言っているのか、きっと本人に自覚はないのだろう。彼の中に、逃げ出そうなんて考えはなく、状況の改善を図る気すらないのだ。生まれた瞬間から洗脳され、そう思うように教育されている。
自分は彼らを愉しませるためだけに作られて、いずれは処分される。それが存在意義であり、それ以上でも、それ以下でもないのだと。
愛情もクソもない、とんだ毒親だ。
「あはっ、利央見て。ネズミだ」
「……チンチラな」
場違いな陽気さを放つ馨は、血の手跡が付着した箱を持ち上げた。一仕事を終え、やや開放的になっているのだろう。上機嫌でこちらへ手招き、中を覗き込んでいる。
利央も視線を落として確認すると、白い小さな檻の中で、手のひらサイズの毛玉が蹲っていた。
全体的に色素が薄く、毛並みにおいては極上のツヤツヤ感。指で突くと小さく身じろぎ、黒くつぶらな瞳が僅かに歪む。
「……ッチ、触んなよ」
「え?」
「どうかした?」
「いや、なんか喋った気がする」
しゃべるネズミのコンセプトは、すでに大御所が複数いるため、日本ではアウト。なぜこうも際どい線を狙ってくるのか。オリジナリティを出さない理由は、弱小の企画部のせいか。それとも日本推しであるが故か。
照度が落とされ、清掃が始まったスタジオの中。利央はそっと薫の手に指を絡ませ、鮮血に染まった床を静かに眺めていた。
