「あれ、利央? 珍しいね、この時間からいるって」
「いつも遅刻ギリギリのくせに、一番乗りじゃん」
カタッと椅子を引き、横に腰掛けてきた男たちを見上げ、利央は強かに眉を寄せた。
広い講義室の中で男三人、肩が振れ合う距離に座る理由はあるのか。一人は腰に手を回し、もう一人は頬杖を付いて顔を覗き込んでくる。両隣を抑えられては、逃げ場はなく。仕方なく、利央はヘッドホンを取って上体を起こした。
「徹夜したの。あの時間から寝ても中途半端だから」
「あれ、昨日もコンビニの夜勤だっけ?」
「そっちは平日だけって言っただろ? 新しいバイトの方」
「ああ、例の家庭教師か。結局、場所はどこだったんだ?」
「正確な位置はわかんない。超光速航法で三秒の距離」
「ごめん、なんの話してる?」
ふぅっと力なく息を吐き、泳いだ視線は空中を舞う燕を捉える。
現実としては、受け入れ難い経験だった。あれだけの大セットのスタジオから、ほんの二、三秒で自宅へ送り届けられたのだ。今でも自分の身に起こったことが信じられず、夢を見ていたのではないかと疑念が残る。
――さすがに現代の科学で解明するには、無理があるよなあ……
VR、プロジェクトマッピング。色々と可能性を示したところで、答えは同じ。昨日のことは現実であり、あれが新しい職場である。
悔しくも、BGMの選曲はドンピシャ。余計な時だけいい仕事をするクソ音響スタッフは、今ごろ鼻高々にオンエアを眺めていることだろう。
職場環境と同僚、そして福利厚生に、早くも不安を覚えた。
「それで、相手の子はどうだった? 仲良くできそう?」
「……初日から噛まれた」
「えっ? 噛まれた?」
「やっぱな、おかしいと思ったんだよ。ただのカテキョにしては、時給が良すぎる。お前の仕事さ、客のこと豚野郎って罵るやつだろ?」
「ぶっ殺すぞ、洋介」
人の失態を笑ってはいけない。この男は、そんな常識も知らないのか。言いたい放題の洋介を睨め上げ、利央は低く喉を鳴らす。
待遇のいい仕事に飛び付いて、まんまと馬鹿を見た。自己責任だとわかっていれど、他人に揶揄される謂れはない。
ケラケラっと、軽やかに喉を鳴らす洋介とは対照的に、顔を青くした幼馴染は、至極真面目だ。深刻な面持ちで口元を引き締め、力強く利央の肩を掴んだ。
「利央、今すぐその仕事断んな。躾のなってない子供なんて野獣だから、相手にしないほうがいい」
「……優吾、顔近いって。手も放して」
「ダメ、利央がちゃんと返事するまで離さない。ちゃんと断るって約束してよ」
「はあ……お前さ、なんなの? 俺の親?」
「違うけど心配なんだ、コンビニの夜勤だって、本当は反対だし。もしストーカーが付いて、利央にもしものことがあったらって考えると……俺……俺……ッッ! もう興ッッッ奮して、朝までガン勃――」
「優吾、そろそろ授業始まるから、そこでやめてやれ〜」
淫な妄想で昂る男は、幼少期からの付き合いだ。義務教育から高等教育まで、清く健全に育ってきたはずが、どこで道を踏み外したのだろう。同性の友人に欲情するイケメンという、物珍しい生物が誕生してしまった。
股間を押さえて前屈みになった男を横に、利央は淡々とラップトップを開く。
現代美術の授業は、この大学へ通う全生徒の必須単位。グラフィックデザインを専攻する洋介、服飾科の優吾、そして写真学科の利央と、学部に関わらず、肩を並べることを義務付けられた。
間もなくして担当の講師が教壇に立ち、プロジェクターのセットアップをし始める。先週はどこまでやったかと、手元でファイルを探っていると、不意にコツンっと肘を小突かれた。
「……なんだよ、洋介?」
「朝からテンション高いのはいいけど、一応公共の場だからな」
「俺じゃなくて、優吾に言えよ」
「意味ないって。あいつの性欲スイッチは、お前の方に付いてるみたいだからさ」
「どのへん?」
「どのへんだ? 優吾?」
「気になるなら探しに行こうか? どこのホテルが近かったかな〜」
「こいつのスイッチが俺に付いてるって知ってて、なんでわざわざ押すの?」
「……悪い」
やっと鎮まりかけていた興奮を、ピンポイントで穿り返す。故意ではなかったとはいえ、迷惑な行いだ。
案の定、額に筋を立てた講師から名指しでお叱りを受け、三人は肩身の狭い思いをすることになった。まだ新学期が始まって間もないというのに、早々に目を付けられては堪らない。そう頬を膨らませたところで、このやり取りはもう毎度のこと。
やれやれと首を振ると急に肩が引かれ、そっと耳元で洋介が口を開く。
「……さっきの話だけど、ヤバそうならやめとけよ。金が必要なのはわかるけど、他の仕事なんていくらでもあるだろ?」
「わかってるよ。しばらくは様子見で、他にいいのがあれば切り替えるし」
「賢い方法だな」
心配なのであれば、素直にそう伝えればいいのに。回りくどい方法を取る男は、意外にも現実主義者だ。不当な扱いを受けて、仲の良い友人が痛い目を見るのは許せない。いくら憎まれ口を叩こうと、根本的には優しさが根付いている。
講義も中盤へと差し掛かり、生徒の集中が切れてきたのだろう。講師は休憩を挟むとプロジェクターの電源を落として、席を後にした。残された生徒たちはスマホを弄り、軽食を取ったりと、各々、自由時間を謳歌しているように見える。
ふと隣に目を向ければ、エロ動画を漁る友人が、真剣な眼差しでSNSのタイムラインを追っていた。的確に好みの動画を引き当てる手付きは、なかなかのもの。しかし、利央の目を引いたものはGカップの紐パン美女ではなく、メンズ香水のウェブ広告だ。
癖っ毛の黒髪がいい具合に目元にかかり、色っぽさを際出たせる。程よい盛り上がりを見せるシックスパックも、腕に浮き上がった血管も。雄っぽさがあるくせに、お上品な顔立ちが、情欲を煽るように目を奪う。
なんとも記憶に新しいモデルを見下ろし、利央は無意識的に口を開いた。
「……そいつ」
「ん? ……ああ、里見馨? 最近よくメディアで見かけるよな」
「そんなに有名なの?」
「お前、あんまSNS見ないのか? 結構な頻度で、こいつの裸が流れてくんぞ」
「よくわかんないけど、なんか際どい系の仕事ばっか取ってんのは知ってる」
「日本人っていうより、海外風の身体付きだからじゃないかな? 男下着の広告とか、やっぱり肉厚な方が映えるし」
「これさ、撮影する時にどうしてんの? やっぱ剃るの?」
「下の毛の話? 腹毛の話?」
「下の方」
「いや〜たぶん修正で消してるな。ここの肌の感じが、ツール使ってる感があるし」
すぅーっと動いた洋介の指先が、左の脇腹の上で止まる。釣られるように利央と優吾の視線が動き、同様の箇所で静止した。
人物を使ったバナー広告で、写真の加工はほぼ必須。化粧品やエステ、マッサージなどの肌が多く出るものは、百パーセントと言って欲しいほど、シミやシワ取り加工が入っている。
なんなら筋肉量を増やすこともあるが、彼の場合、その必要はなかったはずだ。先日、目にしたばかりの身体は美しく、見事な腹直筋を従えていた。
修正を入れた理由は、おそらく彼の腹部に大きく刻まれた傷跡だろう。どんな経緯で得たにせよ、相当な大傷。モデルという仕事をしていく上で、どれほどの障害になるのか。撮られる側の立場になったことのない利央には、到底理解することのできない懸念だった。
「そういえば、利央はいつインターン行ってるんだっけ?」
「基本は月水」
「優吾と同じスタジオだろ? 女優さんと連絡先の交換できたか?」
「いやいやいや、このどイケメンが横にいて、俺に声掛ける女がいると思う?」
「服飾科の貴公子が隣じゃ無理か〜」
「あれ? 先週、利央も連絡先聞かれてなかった?」
「おお〜! よかったな利央。ついに時代がお前に追い付いたか」
「……ゲイビの勧誘だった」
「「あ~」」
期待値が上がってからの大暴落。肩を落としたいのは、こちらの方なのに。あからさまな落胆に、なぜか申し訳なさが込み上げてくる。
全くもって遺憾だと、利央は口を尖らせ、手に持っていたプロテイン飲料を口へ運んだ。
「利央はいい身体してるもんな。そこまで胸筋ある残念男子は、お前ぐらいだよ」
「残念って言うな!」
「利央も一回脱いで、モデルの仕事してみれば?」
「顔は俺が修正してやるからさ〜」
「クソッ! 馬鹿にしやがって! お前らなんて大っ嫌いだ!!」
ここまでコケにされて、声を上げないわけにはいかない。勢いよく席を立ち、人を愚弄する二人を掴み上げる。
ご賞賛いただいた筋肉を振るい、盛大に投げ捨てたところで講師が舞い戻り、馬鹿三人は、本日二度目のお叱りを受けることとなった。
