異世界の化け物に飼われてる男 〜だって、君が愛と呼んだから〜



 中村さんの送迎は、驚くほど穏やかだった。静かに眠る愛しい我が子を、そっと抱き締めるように、優しく送り出す。

 これほど丁寧な運転ができるのであれば、なぜゲストに対しても、同様の行いができないのか。今回もやっつけ仕事で放られ、投げ出された利央と洋介は、高速スライディングで玄関扉へと叩きつけられた。

「……座席がスピンするタイプのジェットコースターより辛い」
「洋介……吐くならトイレにして」

 ヨロヨロと立ち上がった洋介に続き、利央もバスルームの扉を開く。センチメンタルな雰囲気そっち退けで響く嘔吐音。ビシャビシャッと嫌な水音が室内で反響し、大変不本意ではあるが、こればかりは生理現象であるため仕方がない。

 暫しのプライベートタイムを挟んだ後。二人は生まれたての子鹿のような足取りで、奥のベッドルームへと向かう。

 安物のシングルベッドに、使い古したブランケット。生活感丸出しのくたびれたシーツの上に、馨の身体は置かれていた。襟元から除く肌に色はなく、朝の眩い日差しがそれをより白く映し出す。

「……洋介、ありがとう。色々と助かった。俺一人じゃ、馨をあそこから連れ出してやれなかったし……」

 もう開くことのない瞼を見下ろし、利央は馨の顔に掛かっていた前髪を払う。

 身体の腐食を防ぐため、何か皮膚に塗っているのだろうか。少し触れると白粉が剥げ、やけに健康的な色合いの肌がお目見えした。

 「ん?」と疑問を抱くも、利央はすぐさま頭を振って、馬鹿な思考を振り落とす。

 目の前で彼が撃たれるところを、見たばかりだというのに、なにを考えているのか。浅はかな期待は、自分の首を絞めるだけ。そう言い聞かせるも、気になってしまったからには仕方ない。

 利央は、美しい彼の横顔に惹き付けられるように、手を伸ばした。

 思っていたよりも柔らかな唇。死後硬直どころか、むしろ血色が良くなってる気がする。ますます疑念が膨れ上がり、さらに顔を近付けると、突如ググッと後頭部が押された。

「えっ……なにっ!? ……んンッ!? んむぅっ……んんーっんンッ!!!」 
「おい、やめろよ馨。友人のガチキスは視覚的にキツい」
「……………………痛ったいなあ」


 薄い唇の皮膚が触れ合った瞬間、目の前の顔が歪んだ。容赦のない洋介の足蹴りに、傷口が傷んだのだろう。もったりと身を起こした馨は肩を押さえ、不満げに口を尖らせる。


「……洋介、いくらなんでも土壇場すぎ。あんな大掛かりなことするなら、事前に知らせておいてくれないと。撃たれる直前に、カンペ見せられても遅いから」
「リハーサルなしで、よくあそこまで合わせられたと思うけどな〜……ほら、黒い服着といて正解だっただろ〜?」
「そういう問題じゃない。だいたい、なんで肩撃って胸から血が出るんだって。現場の人が射入口映らないように、即興でカメラの位置変えてくれたんだよ」
「ああ、だから途中で三カメに切り替わってたのか」
「ちょちょちょちょっと、待って! 全く意味がわからない!!!!!!」


 淡々と交わされる会話を前に、理解と気持ちが追いつかない。

 利央は二人の間に割って入ると、混乱に目を回しながら声を荒らげた。


「なに!? どうなってんの!? 馨生きてんの!?」
「はあ? 生きてるに決まってんだろ?」
「いやいやだって、腹に穴空いてたじゃん!」
「馨の腹に穴開けたのは、プロジェクトマッピングと、俺が独学で学んだ3Dホログラムの技術だ」
「プロジェクトマッピングっ!? お、おまっ……そ、そんな金、どこに……!?」
「クラファンで集めた」
「クラファンで集めたァっ!?」

 パート社員での稼ぎが、それほどいいのかと思いきや、まさかのクラファン利用に絶句する。いつから始めたのか。設定金額は。見返り(リターン)は何を設定したのか。
 そこで「はっ」と、嫌な推測が浮かび上がり、利央は身構えた。

「……それ、寄付型で募ったんだよな?」
「はじめはな。でも全然集まらなくてさ……途中から利央のアクスタ作って、購入型にしたら、一気に目標金額達成できた」
「クソッ!! やっぱそれか! ちゃんと局部に、モザイク処理掛けたんだろうな!?」
「いや〜大変だった、現場の人たち教育すんの。3Dマッピングだと、現行のセットと交換性がなくてさ。みんなで残業しながら勉強して……」
「なんでスルーした? モザイク掛けたんだよな? なあっ?」

 いくら詰め寄ろうと、確信犯は目を合わせない。それどころか、意図的に話題を逸らし、それ以上の追求から逃れようとしている。

 プロジェクトマッピングの値段はピン切りだ。安いもので五十万円、高ければ一千万円を超えることもある。大規模なスタジオであれば、なおさら値段は跳ね上がり、同時に専用のプロジェクターを導入する必要があった。

――たった一人の男を逃すために、一体どれだけの金と労力を有したのか……


 なんとも形容し難い思いに苛まれ、利央は自身の目元が熱くなるのを感じた。

 彼を救うため、多くの金と、多くの人が動いた。それぞれ立場が危ぶまれることを危惧しながらも、この尊い命を絶やさないために、力を合わせてくれたのだ。

 いつの日か、自分勝手に祈ったことがあった。

 愛を知らずに育った彼に、本当の愛情を教えてやって欲しい。なんの見返りなど求められず、ただ笑って走り回っているだけで、存在を許される。そんな単純で、不動の愛を与えて欲しい。

 そんな願いは、不要だったのだろう。彼を愛し、支える者はすでにいたのだ。彼の成長を見守り、その勇姿を見届けてきた現場の人たち。使えない音響担当、そして、ゲストへの当たりがキツイAIアシストも。皆、声を出さずとも、いつもあの場で、馨を生かすために手を貸してくれていた。

「雪が欲しい俺と、あそこから抜け出したい馨。たまたま需要があって手を組んだけど――初めは焦ったよ、なかなかいい返事をくれなくて……だから、馨が雪を連れて来てくれた時は、本当に驚いた」
「それって学祭の時の話か? 最近じゃん」
「そうだよ。……お前がこいつの考えを変えたんだ、利央」

 ふふっと柔らかな微笑に背を押され、利央は馨の方へと向かい直る。

 あれほど大泣きし、恥ずかしいことを口走ってしまった手前、どのような顔を見せればいいのか。立ちはだかる羞恥心が、鎖骨まで肌を赤く染め上げた。

「馨……お前、本当に生きてんの?」
「生きてるよ」
「う……撃たれたところは?」
「肩の方には、治癒用のパッチ入れてるから大丈夫……でも、ビックリした。現場の人が突然、『狸寝入り』ってカンペ向けて来て、どうしようって一瞬迷ったよ」
「『死んだふり』じゃなくて?」
「たぶんそれ」
「もしかして、お前もこの計画、知らされてなかったのか!? なんで!?」
「それはこいつの救出計画が、本来なら今日じゃなかったからだ」


 「はあ〜っ」と呆れ声で息を吐き、洋介は馨の髪を掻き乱す。

「お前が処分される分には、いくらでも助けようがある。けどこの馬鹿は、お前が傷付けられることよりも、自分の死を選んだんだ。だから、今日実行する以外に手がなかった……」

 多大なプレッシャーと、極度の緊張感。一切のミスが許されない中、判断を迫られた彼の圧力は相当なものだったはず。それだけではない、事前に水面下で準備を整え、不自然にならないように、現場と上層部の間を取り持つ。パート社員にしておくには、勿体無いほどの腕前だ。

 言葉を交わす合間、ふと触れた左手が、徐々に熱を交えて指を絡ませて来る。ゆっくりと、優しく、その存在を確かなものであると教え込むように。

 その体温の高さを覚えただけで、唇が震えた。
 あれほど泣いたというのに、一度瞬いただけで、下瞼からは布を湿らすほどの涙が溢れ出す。
 近い位置で感じる彼の呼吸。
 力強く波打つ鼓動。
 込み上げる衝動はすぐさま行動へと直結し、利央は馨の胸の中へと飛び込んだ。

「本当によかった……っ! 俺、もうダメだと思って……っ!」
「うん……ごめん、辛い思いさせた」
「……馨」
「なに、利央?」
「好きだ……お前のことが好きだよ、……馨」

 ――口にしてしまえば、もう後戻りはできない。そう恐れていたのが嘘のように、その言葉は温かい感情で胸を満たした。重なり合った箇所から互いの熱が交じり合い、高揚感を共有する。

 この胸の高鳴りが恋だと、友人は言った。
 けれど、この胸の執着は愛ではないと、彼は笑った。
 そして今日、この胸の痛みが、愛だと知った。

 少しずつ変化する感情の形。
 それをどう名付けるかは、個人の気持ち次第。

「俺も、利央のことが好き……君と一緒に、この世界で生きたい」

 頬を伝った涙をすくい、舞い戻った指先がそっと瞼の上を撫でる。軽いキスを挟んだ後に、下降した唇は脇腹を甘噛み。利央は「またか」と笑いながら、薫の髪を掻き乱した。