異世界の化け物に飼われてる男 〜だって、君が愛と呼んだから〜



 人肌が恋しくなる季節になった。吐き出した息は白く染まり、寒々しい空へと溶け込んでいく。指先が冷え、鼻先は赤らみ、ジャケットを着込んでも身震いが生じた。それでも雪になるほどではないのか。家を出る前に聞いた雨の音が、今もまだ脳の中で響いている。




「……あれ? 今日は対戦者いないの?」
「そういうこともあるんだよ」
「不戦勝じゃん」
「それでもゲームはしないとダメ。視聴数稼げないから」
「……まあ、それはそうだよな」

 もう何度目かとなるライブ配信。今回のテーマは、荒ぶる雷様のワンマンライブといったところか。鈍色の雲が犇めき合う中、キャピキャピ系のアイドルソングが爆音でかかっている。

 どこぞのパート社員と音響担当は、またもや連携が取れていないのだろう。統一性のないセットに現場は困惑し、あちらこちらで小動物の不安げな声が上がっていた。

「……なんか可哀想になってきた。現場の人はこんなに頑張ってんのに、上が統率取れてないせいでボロクソじゃん」
「どこの企業もそんなもんだって」
「今度、差し入れで生八ツ橋持ってきてあげよう」

 パタパタと可愛らしい動きで駆け回る彼らを横目に、馨はステージへと上がる。利央も同じように這い上がると、定位置となった白い椅子へと腰掛けた。

 間もなくして、頭上で開演の合図が鳴り響く。マイクがオンの状態で垂れ流された盛大な口論の末、今回は演出担当の案で方向を定めたのか。スクリーンの色は暗雲に合わせたダークカラーへと切り替わり、なにやら懐かしい情景を引き連れてきた――。

 どこからともなく聞こえてきた祭囃子。ぼんやりと火を灯した提灯の列。遠くの空で雨が降り始めると、画面の中心に、臙脂色の浴衣を着た女の子のアイコンが表示された。

 ピコンッピコンッと点滅を繰り返したそれは、次の画面で姿をくらまし、代わりにドット絵で作られた地図が表示される。

 本日のゲームの内容は、消えた女の子の居場所を、引き当てるというものだった。

「……な、にこれ? ……ふっ、ざけんてんの?」
「利央、落ち着いて」
「落ち着いてられるかっ! クソッ、放せ……っ!」

 利央は拳を震わせて、怒鳴り声を上げる。偶然で片付けるには、少々行き過ぎた鮮明さ。人を愚弄するにも限度があるだろう。腕を振り上げて暴れるも、無遠慮に向けられたカメラは、冷笑を送るばかりだった。

 表示された地図の中で、三つの地点が割り当てられる。同時にカウントダウンが開始した。

「利央、落ち着いて。覚えてること全部教えて」
「い、やだ……っ、なんで……っ、なんでこいつら、こんな酷いことすんだよ……っ? 俺が、何したっていうんだ……っ!?」
「辛いのはわかってる、でもお願い」
「いや……いや、だ……無理だ」
「無理じゃない! ちゃんと話して! ……頼むから、まだ君と離れたくないんだ」

 ずるっと崩れ落ちた利央を掴み上げ、馨は強張る身体を、ありったけの力で抱き締める。

 刻一刻と迫る時間は無情だ。こちらの混乱や戸惑いなど加味せずに、淡々と時を刻む。次第に激しさを増す雨音。それ以外にはなにも聞こえず、色を失った瞳が幻覚を引き寄せた。

 泥沼に浸った身体の上を、白い手がヒタヒタと這いずる。肌に触れたそれに温度はなく、感情は読み取れない。

 暗くて寒い闇の中に置き去りにされた彼女は、なにを感じていたのか。孤独、それとも怒りか。濡れた着物が体温を奪い、寂しさが絶望を滲ませる。

 家に帰りたい。
 こんなところにいたくない。
 大好きな家族の元へ帰り、温かな布団に入って眠りたい。
 そんな思いでいっぱいだったはずだ。

 右も左もわからない、真っ暗闇の中。不安と恐怖で胸が押し潰されたことだろう。きっと彼女は、今もまだ家へ帰ることを望んでいる。兄とした約束を信じ、あの場所で、彼の訪れを待ち侘びているのだ。

 冷えた指先に彼女の手が重なると、一気に現実へと意識が引き戻される。頬の接触面から体温が伝わり、馨の声が直接脳へと流れ込んだ。

「……利央、お願い。こんなところで、死にたくない……っ」

 彼らしくない消え入りそうな声色に、胸が大きく波打つ。慌ててスクリーンへと目を向けると、制限時間が迫り、表示時刻が赤く点滅し始めていた。

「……確か……前日に大雨が降って、川の水嵩が増してた。流れが早い白神川の方に流れたんじゃないかって、言ってた」

 利央は馨の肩を押し返し、改めて頭上に表示された地図の方へと顔を向ける。

「川に落ちたと思ったのはなぜ?」
「石段の途中と、あとはその下の橋のところで、下駄が見つかったんだ。暗かったし、途中から雨が降り出したから、足を滑らせたんだと思う」
「下駄?」
「日本の伝統的な履物だよ。底が木で出来てて、足の親指と人差し指で鼻緒を挟む形で履くんだ」
「なんかすごく歩き辛そうだけど。そんなの履いて、小さな女の子が暗い道を歩こうとするかな?」
「たぶん俺のことを、追いかけて来たんだと思う。すぐに戻るって言ったんだけど、きっと待てなかったんだ……」

 手元のデスクに置かれていた紙とペンを使い、より詳細に地図を描く。大叔母の家から一つ目の橋までの距離。二つ目の橋から石段を登り、さらに奥へ進んだ神社の場所まで。「そういえば、雨が降る直前まで火文字が灯っていたはず」と印を付け、馨へと手渡した。

「長い道のりだな。素足同然の状態で、石段を降り切ったとは思えない……傘は持ってた?」
「いや、持ってなかったと思う」
「じゃあなおさら、足場の悪い階段は下りてないと思う」

 ペンをくるりと回してから、馨は可能性の低い場所へバツを付けていく。何度も確認を重ね、感情的な質問は口にしない。そうして選択肢が狭まると、利央はふいに裾を引かれ、小さな手の温もりを覚えた気がした。

「彼女が向かったのは、きっとこっちの明かりが見える方……雨の降り始めなら、まだ火文字を灯ってたと思うし。遠くのキラキラしたものだけを目印に歩いてたから、誤って崖から落ちちゃったのかもしれないね」

 すうーっと動いた指先が左上へと移動し、赤い鳥居のアイコンを選択する。

「だから答えばこっちの鳥居の方――……迎えに行ってあげなよ、利央」

 言うが早いか、目の前に黒い渦が現れ、トンッと軽く背を押された。まだ判定が出てはいないと言うのに、彼には確証があったのだろう。利央は押し切られるように渦へと飲まれ、やや控えめ運転の飛行に身を任せる。




――街明かりも星あかりも届かない山の中。踏み締める石段は過去の記憶より小さく感じた。

 小さな祠の立ち並ぶ道を通り、鳥居を潜り抜けた先。石畳の真ん中に横たわる妹は、あの日と同じ浴衣を身に付け、小さく身を丸めていた。

 心臓は遠に止まり、皮膚は作り物のように硬い。それでも愛らしい姿は、当時となに一つ変わらず。現場で働く小さな彼らが、きっと、ただ眠っているかのように、彼女の身を作り直してくれたのだろう。

「……おかえり、陽葵。家に帰ろう」

 そう零すと、利央は小さな身体を抱き寄せて、静かに頬を濡らせた。