学生の一ヶ月などあっという間だ。勉強にアルバイト、そして睡眠で大半が埋まる。それは長期休みでも同じ。仕事の合間に課題をこなしては、インターンシップ先にも顔を出す。あちらこちらへ駆け回っているうちに休暇は終わり、休んだという実感がないまま、秋学期が始まった。
「――ついにここまで来たかっ! 郁子と政義のファイナルステージ!」
「空飛ぶサメが出て来た時は、もうダメかと思った」
「俺はそっちよりも、政樹だな。弟に妻を寝取られても健気にゾンビと戦って……不憫だ」
「結局、彼は月に帰ることにしたの?」
「馬鹿っ、やめろよ! ただでさえ感情移入して寝れないのに! 思い出しちゃっただろォっ!」
「利央、スピンオフ出たら課金しそうだなあ」
煩悩を超過した壮大な世界観に圧倒され、人生の価値観が大きく上書きされた。「クソも味噌も一緒!」と、放置された誤字なんて、この際どうでもいい。あの出だしからは想像もできない、愛と肉欲が織りなすロマンスの超大作だった。
二つの意味で必需品となったティッシュボックスも、これで五箱目。利央は空になった箱を折り畳み、余韻に浸りながら薫の方へと向き直る。
「馨」
「なに?」
「来週だけど、少し遅れてもいい?」
「なにかあった?」
「うちの大学さ早秋祭ってのがあって、秋学期始まってすぐに学園祭やんの」
「学園祭?」
「そう、高校でもあっただろ? 出店やったり、展示したりするやつ」
「ああ、あれか」
スマホを取り出し、看板の制作や、簡易テントを組み立てる学生の様子を見せる。高校よりも規模が大きく、イメージは付きにくいが、雰囲気は伝わったのだろう。馨は眩しげなものを見るかのように目を細め、利央の手を取った。
「……なに?」
「俺も行っていい?」
「はあっ? いや、まあいいけどさ……ヤバくないの? 一応芸能人さんじゃん?」
「目立たないように行くから」
引き寄せた手を唇に当て、上目遣いで許可を乞う。素晴らしい交渉スキルであり、えも言われぬ迫力があった。さすがランキングの最上位へ居座る王者。己の顔の使い所を熟知している。なし崩しで承認を促され、当日のスケジュールまで聞き出されてしまう。
「せっかく外出許可取るなら、もっと別のことすればいいのに……」
「好きな子に会いに行く以上に、有意義なことってなに?」
「おまっ…………そ、それさ、なんなのっ?」
「えっ? なにが?」
「す、好きな子って……俺のこと揶揄ってんの?」
「揶揄ってないよ、なんで?」
「……軽いんだよ。なんか、小学生が言う『俺ハンバーグ好き〜』っていうのと同レベル」
「へえーそういうこと言うんだ? じゃあ、本気出そうかなあ……」
一段低く落として囁かれた台詞に、図らずも頬が紅潮する。利央はすぐさま下を向いて顔を隠すが、もう遅い。心臓が爆音で胸を叩き、髪の合間から覗く耳は真っ赤に燃え上がっていた。
「好きだよ、利央……」
「…………ッッッ!!」
「朝から晩まで、馬鹿みたいに君のこと考えてる。君が居れば、胸の辺りがそわそわするし、会えないとすごく苦しくなる」
「……な、んで俺、なの? 俺、男だし……お前は面いいんだから、引く手あまたじゃん……っ」
「他なんていらない。俺が欲しいのは君だけだ」
ちゅっと薬指の付け根に口付けられ、軽く歯を立てられる。跡がつかないほどの甘噛みだったが、それが逆に焦ったさを生んだのか。ビビビッ走った甘い痺れに怯んだ身体は、勢いのままに椅子から転げ落ちた。
疑い半分、戸惑い半分。あえて追求せずにいたというのに、場の雰囲気に流されて下手を打った。
目を見据えて、はっきりとなされた告白だ。真っ直ぐで偽りのない、彼の心からの言葉なのだろう。共にいる時は落ち着かず、一人でいる時は寂しさに胸が締め付けられる。自分と彼が、同じ感情を抱いていることを知り、心臓が爆音で跳ね上がった。
吊り橋効果、ドーパミンの過剰分泌。いくら言い訳をしたとて、結果は変わらない。胸の奥から湧き上がり、喉を渇かせる感情の名を、この身体はすでに、自覚してしまっているのだから。
「……やっぱり来んなよ、お前」
「あははっ、どうしたの?」
「こういうの、外でされたら困るから」
「ダメ、もう行くって決めたし。それに、届けたいものがあるんだ」
「はあ? 届けたいもの?」
「そう、これ」
やや前屈みで席へと戻ってきた利央を手招き、馨は白い箱へと手のひらを押し当てる。霧が引くように半透明へと変わった立方体の箱の中。ちょうど毛繕いを終えたところの雪が現れ、煩わしげに尻尾を下げた。
「えっ、雪ちゃん? 誰かにあげちゃうのか? なんでだよ、可愛いのに」
「チッ……何見てんだ、気色悪いな」
「はあぁあうッッ♡♡ この見た目と口の悪さ……っ、癒されるぅっ♡」
「利央って、どN?」
「どNじゃなくて『どM』な? 磁石じゃないんだからさ……」
サディズムとマゾヒズムのはずが、これではS極とN極になってしまっている。激しく引かれ合うのは同じだとしても、一つは嗜好で一つは物理。
伸び悩む教え子の語彙力に落胆し、利央は鈍痛を覚えた頭部を抱え込んだ。
