大学二年の春休み。コンビニの夜勤明けで、干物のように憔悴した伊波利央の元に、とあるメッセージが届いた。
――利央、起きてる?
気怠げに画面をスライドし、送り主を確認する。
デフォルトのアイコンに、「こうくん」とのみ記載されたプロフィール。はてと首を傾げたところで、画面は変わらず、寝癖の付いた頭部には疑問符が浮上した。
同大学に通う友人に、「こ」が付く者はおらず、身内関係も左に同じ。唯一の思い浮かんだ者は、高校受験の際に交友があった塾仲間だった。
都内の進学校に受かり、その後はカナダへ留学したと聞いていたが、元気にしていただろうか。
ぼんやりと、モヤがかかった本人映像を思い浮かべながら、利央は入力画面に指を添える。
――起きてるよ。そっちは? 元気にしてる?
――大丈夫、少し寒しいけど。ここ真っ白だから、余計にそう思うのかも。
――もしかして雪?
――雪はいないよ
ポポッと即時に送られた返答に、なんとなく違和感を感じた。
やはり海外へ行くと、母国語が疎かになるのだろう。所々で入力ミスが目立ち、言葉の返し方が不自然。久々の連絡のため緊張しているのか、それともただ単にふざけているだけなのか。
違和感は拭えずとも、利央は再び入力画面へと戻る。
――なんか用?
――お小遣い稼ぎしない? 日本語教えるだけの簡単な仕事。
――土日しか空いてないから無理
――土日だけでいいよ
またもやポポッと投げ返された返信に、思わず手が止まった。
正直なところ、最近は必修科目からの課題が多く、秋までにポートフォリオも仕上げなければならない。寝る間も削っている状況で、枠を取るのは難しいのだが、その大学に通うのに金が掛かるのも事実。土日のみでガッツリと稼げるのであれば、むしろありがたい話だ。
聞いた感じ、仕事内容はおそらく、彼のホームステイ先の子どもへの学習指導。まさか毎週カナダまで通うなんてことはなく、自宅から、さっとオンラインで行えるのならば、これほど好条件な仕事はない。
送られてきた金額も、予想以上のものであり。利央は二つ返事で承諾の意思を伝えた。
それが先月の話。
――やけに静かな目覚めに不快感を示し、利央は眉間に皺を寄せる。
まず空調の音が聞こえない。早朝四時から始める踏切の音も、騒音ギリギリのトラックの走行音も。一切の音が遮断された空間は居心地が悪く、眠気を一気に吹き飛ばした。
「…………」
寝返りを打って肘を立てると、うつ伏せになった身体は、冷えたコンクリートの感触を捉える。利央はゆっくりと身を起こし、辺りを見渡した。
左右後方は、床と同じコンクリート。正面には大きなガラス窓があり、真っ暗闇の中で、赤いライトが点滅している。近付いて見下ろしてみれば、同じような作りの部屋が幾つか存在し、所々で人の姿が確認できた。
――なんか虫カゴみたいな空間だな
それが、この部屋の中で抱いた心象だった。
昨夜はインターン先のイベントに付き合い、帰宅したのは終電ギリギリ。その後は軽くシャワーを浴びて、即座に寝落ちしたはずなのだが、一体なにが起きたのか。
――どうせ夢みんなら、Gカップの爆乳美女がよかった……
期待落ちした瞳が瞬くと、白いベッドシーツの中で、男が身じろいだ。
長い睫毛に、目鼻立ちのはっきりとした顔立ち。肌は色白で、日焼けの痕は確認できない。可愛らしげな寝顔に反して、白いシャツから覗く腹直筋は見事なものだ。引き締まった筋肉質な腰のくびれも、彼の男性らしさの底上げをしている。
インターン先の影響で、普段から面のいい男は見慣れていたのだが――これは桁違いのイケメン。一度見れば忘れることのない顔であり、起動したばかりの脳細胞は、速やかに記憶の認証を行う。
「――里見、起きて」
誰だったかと記憶を巡らせた結果、脳裏に浮かんだのは、高校生の時に隣のクラスだった男。
――里見馨。モデル業をしているようで、先日も半裸状態の彼が、駅前のビルボードに、デカデカとプリントされているところを見た。
街を歩く女性たちを、片っ端から、棒立ちにさせるほどの色気で誘惑する。そんな色男が、なぜこんなところにいるのか。それは謎だが、すでに扱いの差が感じられた。
片やコンクリ床直置きという雑待遇に対し、こちらの貴殿は、パリッと張った純白のシーツの上。良質なスプリングを搭載したキングベッドの中心で、健やかな寝息を立てている。
ここまで差があからさまだと、逆に怒りが湧いてこない。無論、弁明も不要だ。二十年近く平凡顔で生きてきた経験から、ど平民としての身分は弁えていた。
利央はベッドへと近寄ると、強めに馨の肩を揺さぶる。
「里見、悪いけど起きて。緊急事態」
「……煩いなあ。中村さん、アップデートミスっただろ? 音声設定のモジュールがイカれてるよ」
「てめぇっ、人をバグ扱いすんな! 起きろって!」
「はあ……面倒くさっ」
強情な身体を引き、どうにか半身だけでも起き上がらせる。その強引さに、苛立ちを覚えたのだろう。馨はやや乱暴に利央を引き寄せて、ぐっと顎を押し上げた。
「……えっ、なに?」
「今回は変な企画だなあ……事前に連絡も来てないし」
「は? いや、意味わかんないんだけど……ひぃっ!」
シャツを捲り上げられると共に覚えた、ぬるっとした舌の感触。咥内感じる他人の体温に、脳内が白く染まるも、呆けている暇はない。
利央は慌てて身を引きながら、馨との距離を取る。
「なっ、ななななにッ?! お前、寝惚けてんの?!」
「あれ? ……君、左右で少し目の色が違うんだ? 珍しい」
「は……はあ? それがなに――……って、痛っでえええぇッ!! 痛い痛い痛いッ!! クソッ!! 放せっ!」
近い位置で覗き込まれたかと思うと、今度は首筋に舌を押し当てられた。徐々に下降するそれは、臍の位置まで落ち、冷や汗が滲んだところで、鋭い痛みへと切り替わる。
――か、噛まれた……っ?! なんでっ??
あまりの痛みに涙が滲んだ。我慢しようのないレベルの痛みだ。寝惚けていようが、なんだろうが関係ない。許容範囲を優に超過していた。
利央は髪を引っ張り、ありったけの力で抵抗する。足をバタつかせ、身を捩らせて。盛大に暴れたことで、一度は口が離れるも、ず太い血管を浮き上がらせた腕は動かない。
それではと、馨の左手を引き寄せると、利央は手加減なしに思いっきり歯を立てた。
「……痛ったいなあ、なにするんだよ」
「ふっっっざけんなよッ! 俺だって痛いわっ! 見ろ、血出てんぞっ!? 謝れ!」
「謝れって……俺に言ってる? あはっ、冗談だろ?」
「よし、タコ殴りだ。顔と股間中心にやってやる」
「顔は困るな……中村さん、代わりに謝っといて」
『――ピピッ、こちらの不手際でご迷惑をお掛けしまして、大変申し訳御座いませんでした』
「AIアシストに謝らせてるんじゃねえよ、カスめっ! そこに正座だ、正座ァッ!」
後頭部を叩き、ついでにベッドから蹴り落とす。安全な距離をとったところで、腹部を確認すると、くっきりと歯形が浮き上がっていた。
随分と綺麗な歯並びだが、ここでそれを褒めてやれるほど、こちらも人間ができていない。
――クソッ! なんで俺が、こんな目に遭わないといけないんだっ!
込み上げる怒りが収まらないのだろう。利央は脇腹を抑えながら、思いつく限りの悪口雑言を喚いている。それに対し、無礼を働いた方はどうかというと。なぜか自身の指先を眺めては、興味深げに首を傾げ、悦とした表情を浮かべていた。
「……おい、なに勝手に足崩してんだ? 正座だって言ってんだろ?」
「正座したことないんだけど」
「さらっと嘘こくなっ!」
「こうだっけ?」
「それは姫座りぃ……はあ、もうなんなのお前? 遅めの反抗期? 芸能界行くと、脳の発達が衰退すんのか?」
「ははっ、こいつ本当に口悪い」
「聞こえてんぞてめぇっ!」
罵倒を浴びせる権利はあろうと、浴びせられる謂れはないはず。一体どんな教育を受けてきたのか、是非とも親の顔を拝んでみたいものだ。
憤怒を超過した呆れが漂えば、空気の読めない男が再びベッドへと攀じ登ってくる。
「……お前さ、いい加減にしろよ? 空気読めないの?」
「まあまあ、謝ったじゃん?」
「お前のAIアシストがな」
「もう過ぎた話だから」
「それって、お前が言っていい台詞じゃないんだけど……」
はぁっと、零れ落ちた溜め息に、疲労感が混じり込む。
高校生のころも、色々とズレてる不思議ちゃんだったが、華やかな業界に身を置いたことで、それが悪化したのだろう。この顔にこの身体、さぞモテはやされたことだ。ど庶民の男がすればドン引き案件も、イケメンがやれば愛嬌になる。不平等な世界だが、それが現実。
やれやれと後頭部を掻き、利央は寝転んだ馨の顔を覗き込む。
「あとさ、こいつじゃなくて伊波な。伊波利央。同じ高校だっただろ?」
「知らないなあ〜」
「『知らない』じゃなくて、『覚えてない』な? 相変わらず日本語変なんだな」
「発音が変?」
「言葉選びが変」
「中村さん、変だって?」
『具体的にどちらが変だったか、お伺いしても宜しいでしょうか?』
「宜しくない、宜しくない。勝手にAIを会話に混ぜるな」
断りもなく話へ割り込んできたAIを蹴散らし、ついでに、無作法な男の耳を引っ張る。強引に起き上がらせると、淡い色の瞳が艶やかに瞬いた。
「……なに?」
「いや、なんだろう……君、誰だっけ? なんかここまで出てきてる気がする」
「もういいよ、思い出さなくて。モブ顔なのは自覚してるから」
全てのパーツが美しく揃った顔面の前で、完全遺伝の三白眼は比較の土台にも上がれない。記憶の端にも掛からずとも、こちらには文句の言いようがなかった。
利央はベッドから降り、正面のガラス窓へと足を向ける。
「なんか外真っ暗でよく見えないんだけど……ここ、どこなんだろうな? 里見、知ってる?」
「俺の部屋だよ」
「お前、立体駐車場にでも住んでんの?」
内装の奇抜さからして、アブノーマル色強めのラブホか、もしくはガチの刑務所か。落差の激しい候補を挙げていたところ、まさかのご自宅で困惑する。
先日、建築学を学ぶ友人に、マイクロセメントを使用したデザインが流行っていると、耳にしたばかりだったが、目前のこれはどうみてもコンクリ。ここが本当に自宅であるのならば、なかなか尖った感性の持ち主だ。
「お前の自宅ってことは、都内なんだよな? 最寄駅どこ?」
「わかんないな。中村さん、座標なんだっけ?」
「『住所』な」
『E-856.09667H955-367477-G-DE9245です』
「いやいやいやっ、そんなん言われてもわかんないから。地図で見せてよ」
『…………』
「おいこら、ガン無視か! ……里見、お前のAIアシスト、ちょっと反抗的だぞ」
「はあ〜眠くなってきたなあ。ほどよく喧しくて、二度寝日和だぁ」
「なあ、会話のキャッチボールって知ってる? 三歳児だって、もっとまともな受け答えすんだけど?」
「中村さん、ライト消して」
『消灯します』
「しないでしないで、まだしないで〜」
母国語を使っているはずなのに、なぜか会話が成り立たない。融通が利かないAIは主人にデロ甘で、ゲストには塩対応。照度が落ちると共に、可愛らしいオルゴールの音まで流してくれる溺愛ぶりだ。
「……悪けど、疲れてるんだ。話なら明日聞くから、寝かせて」
くたりと頭部を凭れさせ、馨は重力に引き摺られるまま、ベットへと突っ伏した。よほど疲労しているのだろう、見下ろした顔色は青白く、目元には隈もできている。
「……芸能人って大変なんだな。もっと華やかな生活してんのかと思った」
「芸能人?」
「あれ、モデルだっけ? 駅の広告見たよ、半裸で寝転んでるやつ。股間ギリギリまで攻めてたけど、公共の場でよく許可降りたな」
「ああ、あれか……濡れた?」
「濡れた濡れた、大洪水ですぐ便所駆け込んだわ」
「あはっ、雑すぎ」
どれだけの仕事量をこなしているのかは知らないが、過酷な労働環境にいることは、容易に察せられた。彼の言う「自宅」からは一切の生活感が感じられず、代わりに天井の四方にはカメラが仕込まれている。
所属事務所からの指示なのだろうか。プライベートの時間まで金にしようなんて、まともな人間が考えつくことではない。
――まあ、赤の他人が口出すことでもないけどな……
カメラが隠しもせずに設置されているということは、本人も了承済みというわけだ。
利央はゴロンッと馨の横に寝転がり、巨大なガラス窓の向こうに広がる暗闇を見つめた。
ただの映像にしては奥行きを感じる。ナノダイヤモンド粒子を用いた透明スクリーンで、映像を重ねているのだろうか。しかし、それにしては解像度が高すぎる。
なんにしても、大掛かりなセットであり、生半可な契約で、専属モデルを飼い殺しにしているわけではないはず。
むむむっと頭を唸らせていると、背後から手を伸ばされる。器用に手探りでボタンを外し、下降した左手が、はっと何かを思い付いたかのように、差し止まった。
「利央……そうか、あの利央か」
「ん? どうした?」
「ちょっと思い出してきたかも、君のこと」
「おおっ! そうだよ、一緒に学祭の実行委員やったもんな?」
「そうだっけ?」
「えっ? それじゃないの?」
「いや、入学初日から教室で大暴れして、呼び出しくらってた大バカだなって」
「……お前さ、なかなかいい性格してんな」
人を煽るだけ煽った後に、服を脱がし始めては、はむはむっと肩を甘噛んでくる。「学習能力のない大バカ野郎はてめぇの方だろ」と活を入れ、利央は馨の背を蹴り飛ばした。
