「藤矢、子供たちがいない。見なかったか?」
祈祷の当日。日の出前に起きた幼馴染の薫は、開口一番にそう言った。
子供たち、というのは隣の部屋で寝泊まりしている高校生たちのことだ。
「見るも何も、俺は寝てたんだから知るわけねぇだろ。」
「お前の睡眠はずっと仮眠だろ。黒髪の方に盗聴器つけてたんだろ?聞いてたんじゃないのか。」
「……途中までな。アイツらの青臭ぇ話が聞いてられなくて、途中から聞くのやめたんだよ。」
「使えないやつだな。何のために連れてきたと思ってる。」
「お前に無理矢理連れて来られたんだろ。ふざけんなクソメガネ。」
確かに盗聴器はしかけていたが、俺だって四六時中聞いているわけにはいけない。怪しまれたら一巻の終わりだからな。
ところどころ拾った会話を思い返してみても、二人の今の足取りはわからなかった。
木偶の坊の親友に暴言を吐き、高校生たちの部屋を見にいく。
確かに二人はいない。荷物も放置されたままで、ただ西の窓は開け放たれたままになっていた。
窓枠に張り付いた桜の花が、踏みつけられたように茶色く汚れている。
逃げたんだな。窓から。
「オッサンとオバサンは?」
「そろそろ起きるだろ。」
「だよな。高校生たちはどこかに逃げおおせたらしい。まだ部屋にいるって言っといてやるか。」
「……殺されて、ないよな?」
「……わかんねぇけど。」
子供たちの部屋の窓を閉め、散った桜を片付ける。
あたかもまだ寝ているかのような工作を少しだけして、自分の今朝の農作業の支度を始めた。
この村に潜伏を始めて一週間。
この村は、密造酒を作り莫大な金を儲けている疑いがあった。
戦後から、密造酒作りは一部地域で行われてはいたが、この村はその生き残り……いや、「蘇り」の方が正しいかもしれない。
正しい知識なく作られた酒は、エタノールではなく、有害なメタノールを含むことがある。
メタノールは、体内で酸化され、ホルムアルデヒドやギ酸に変わり、摂取した人間を失明や死に至らせる。
この村が、〈目無し村〉なんておどろおどろしい名前で呼ばれていたのは、これが原因だ。
稲から作った、粗悪な酒。
それを飲むことで、失明し、命を落とす。
この村の娯楽が少ないのも原因の一つだろう。
交通の便も悪い、閉鎖的で、時代や世間から取り残されたこの村では、法で禁止されてもその悪習が抜けることは、なかなかなかった。
そこに目をつけたのが、あの中祈清志朗の祖父、金村 吉朗(かねむら・よしろう)だ。
奴は酒の作り方を熟知していた。奴がこの村で酒造りを教えたことで死亡者は激減。
そして奴はこの村の権力者、中祈家に婿養子として入り、内側からこの村での権力を広げていったらしい。
ここまでは、状況や伝聞から把握できている。
しかし、この村に調査に入る人間は、皆一様に消えてしまっていた。
俺たちがこの村に来たのは、薫の上司が調査中に行方不明になったことが原因だ。
薫は国税局査察部の職員。通称マルサってやつだ。
この村で秘密裏に作られた酒は、裏ルートで高値で売買される。
村ぐるむみでの脱税。その額は、億を超えている。
それだけの酒をどう作っているのか疑問だったが、昨日、茶髪の高校生が語った内容で、うっすら把握できてきた。
人だ。
人を肥料として埋めていた。
畑に埋めているのは、肥料としての人だけなのか、もしかしたら違法な薬まで与えている可能性もある。
そしてどうもその現場は、山の奥にあるらしい。
「田中くん、南くんと兎羽根くんを起こしておいてくれる?」
「分かりました。もう行きますよね。」
「行くわよ!今日はご祈祷の日だから、早く終わらせないとね。おにぎり作ったから、お昼までぶっ通しで作業するわよ!」
「へーい。」
茶髪の方の足の怪我を思い出して心配になる。
黒髪の手当が不器用過ぎたから見兼ねて俺がテーピングし直してやった。
初日はツンケンしてた茶髪も、ここで怖い目に遭ったのか、小声でもちゃんと礼を言えていた。
あの礼の言葉が、最後の言葉にならねぇといいけど。
アイツらもバカっぽいから、心配だ。
清志朗に近付くなと警告したつもりなのに、昨日はあの黒髪は清志朗と相撲を取っていた。
まじで意味が分かんねぇ。
*
「あら、清志朗さん。」
「清志朗さん、おつかれさまです。」
「やあ。今年も世話係ありがとう。迎えに来たついでに、こっちで食事をいただこうと思ってね。構わないかい?」
「もちろんです。」
畑仕事から戻ると、ちょうど中祈清志朗が尋ねてきたところだった。
ゆり子は玄関に入ると、上の部屋に向かって高校生たちを呼んだ。
「今コーヒー入れますね。」
「ありがとう。皆で食事にしよう。君たちも、大事な話があるから座ってくれ。」
清志朗に指名され、仕方なく席に着く。
「はい、コーヒーですよ。お好きなのをどうぞ。……あの子たち、遅いわね。見てくるわ。」
高校生たちの反応がしばらくないのを不審に思って、ゆり子が階段を上がっていく。
しばらくすると、悲鳴のようなゆり子の声が響いた。
事情を知る薫は、視線を逸らし、自然を装ってコーヒーを一口飲んだ。
「いない!いないわ!!」
「いない!?ゆ、ゆり子、少し外に出てるだけかもしれない。ご近所さんたちに聞いてこよう。」
「清志朗さん、ごめんなさい。田中くん、佐藤くん、今朝は二人はまだいたのよね?」
「はい。寝てました。」
「それなら私たちが畑に行ってる間ね。堤見(つつみ)さんはどうかしら。見てたかもしれないわ。」
「ああそうしよう。」
平静を装うために、マグカップを一つ取り口に運ぶ。
いつもより苦いコーヒーに、眉を顰めた。
夫婦がバタバタと家を出ていくと、清志朗は俺たちに微笑む。
「客人を残して出ていくなんて、良くないね。失礼したよ。」
「いいえ、とんでもないです。」
「それで、大事な話があるんだ。今日の祈祷の話なんだけどね。君たちに頼みたい仕事があるんだ。」
「お手伝いできることなら、なんでも───。」
バタンッ!
「薫!?」
突然、隣の薫が机に突っ伏した。
急いで心肺を確認する。心音も呼吸も問題ない。
寝てるだけのようだ。
「おやおや。大丈夫かい?」
「……何か盛ったのか!?」
「ハハ。うん、そうだよ。普通なら佐藤くんのように、すぐこうなるはずなんだ。僕が心配しているのは君だよ、田中くん。」
「クソッ!う……っ!」
椅子から立ち上がろうとして、視界が大きく揺れた。
遠ざかろうとする意識を必死に手繰り寄せる。
寝るな。今寝たら、今寝たら……!
クソッ……!
「杞憂だったようだ。ちゃんと眠ってくれると嬉しい。君たちにお願いしたい仕事は、───今年の、畑の肥料になることだからね。」
遠ざかる意識の中、清志朗の穏やかな声が頭上を通り抜けていった。
*
「まだ見つからないのかい?」
「……まだ、探しています。」
「一人は手負だからな。山に逃げ込んでクマの餌食になってるかもしれないな。」
「そ、そうだと……、良いですね。」
「はぁ。辰朗さん、ダメだよ。そもそもあの子たちは、予定にない客人だった。そうだよね?」
「は、はい……。」
ガタン、ガタンという音で意識が戻る。
音から判断するに、ここは、車の後部座席。俺の下で伸びてるのは薫だ。
足首と腕はそれぞれロープか何かで縛られている。口を縛っていないのは、助けを求めても無駄だと分かっているからだろう。
前席で会話をしているのは、虎太朗と辰朗。辰朗はひどく怯えている様子がわかる。
俺たちが飲まされたのは強い麻酔薬か何かか。
常に睡眠薬や鎮痛剤を愛飲している俺には、少し量が足りなかったらしい。
体は上手くいうことを聞かないが、こうやって意識は戻っている。
「虎太朗は何をしているんだい?材料集めは彼の役割だろ?そのために、外の仕事に就かせてやっているんだ。」
「すみません、すみません!不出来な子で、私からよくよく言っておきますので……!」
「うん。……いやね、彼にもそろそろ順番が来るべきだと思ってね。」
「え……。」
「今年の鬼は、虎太朗に頼もう。」
「そ、そんな!待ってください!虎太朗に殺しは……!」
「この村の人間なら、誰でも一度は通る道だよ。父として、指導してあげなさい。分かったね。」
「……で、でも…!」
「いいか、辰朗?虎太朗なんか、どこに逃げても、見つけ出して、捻り潰せる。……辰朗だって、孫の顔が見たいだろ?」
「……は、……い……。」
「虎太朗に、この村のルールに従わせなさい。いいね?」
「…………わかり、ました……。」
「協力、感謝するよ。」
どうやら俺たちは、稲護の子供に殺されるらしい。
ガタンガタンと揺れる車がようやく止まった。
「デカい方をあっちの舟に乗せよう。やぁ、美豆谷(みずたに)さん、朝からありがとね。」
車のドアが閉まる音と同時に、清志朗のよく通る声が少し小さくなる。
状況はわからない。
気力で無理矢理、指先を動かした。
ポケットの中に潜ませていた、小型無線のスイッチを押す。
これが、ここでの最初で最後の通信になるかもしれない。
「そ、……捜査、一課の……、白雪、藤矢だ。……聞いてんだろ、圭太(けいた)……。頼む、助け……。」
視界が暗くなったのを感じ、力を振り絞って薄目を開けた。
後部座席の窓から、ギョロリとした目がこちらを見ていた。
辰朗だ。
クソッ、バレたか。
せめて薫だけは助けられないか。
弛緩した体に無理矢理力を入れようとした瞬間。車のドアが開かれ、腕を引っ張られた。
辰朗は車の向こうを何度も伺いながら、息を荒くして、腕のロープを切れ味の悪い刃物で擦る。
「虎太朗に、虎太朗に殺人なんかさせん……っ!あんなこと、人間がすることじゃない!あんな、思いは…っ!」
辰朗の額から大粒の汗が落ちた。
藤矢は悲痛なその声を黙って聞き続けた。
「田中くん、佐藤くん。頼む、なんとか逃げてくれよ……っ!」
フッと腕の拘束が緩まると、辰朗は薫のロープも削り、最後に藤矢のポケットに切れ味の悪い刃物を忍ばせた。
こんなんでどうしろって言うんだよ、オッサン。
ったく。どいつもこいつも、好き勝手言いやがって。
清志朗の号令で、薫と藤矢はそれぞれの舟に運ばれる。
広い湖の上には、すでに灯籠が浮かべられ、薄暗い湖面を幻想的に漂っていた。
「僕は取り引きの準備をしてくる。二時間後に作業所の前に集まるよう言っておいてくれ。」
ぐったりした体で、藤矢は小さく舌打ちを打った。
*
村中が奏七多と晴柊を捜索している時、二人は清志朗の家に忍び込んでいた。
灯台下暗し。
誰も、捜索を指示した村のリーダーの家に二人がいる可能性など、考えもしなかった。
もしくは、考えたとしても発言できるものはいなかった。
「奏七多、本当に大丈夫か?」
「大丈夫だって言ってるでしょ。晴柊こそ、ヘマしないでよ。」
「当たり前だろ!」
「あ、先にあっちの部屋、寄ってきてもいい?」
「ああ、俺も行こうと思っていた。」
夜のうちに稲護の家を抜け出した二人。
奏七多は晴柊におんぶの格好で紐で結びつけられ、そのまま清志朗の家の門を飛び越えた。
日中はとにかく息を殺し過ごし、昼に清志朗が出かけた隙を狙い、勝手口の鍵を破壊し、室内に侵入した。
二人が向かったのは、閉ざされた縁側の奥の部屋。老婆がいた部屋だった。
「……いる?」
「ああ、寝ているようだ。」
そっと襖を開け、寝ている老婆に語りかける。
「おばあさん。待っててください。」
「あとで俺たちが助けてあげるから。」
静かに襖を閉めると、二人は意気揚々と台所へ向かった。
晴柊が収納庫を開け、奏七多が降りるのを手伝う。
「……また、来たの……?」
「はい。俺のこと、清志朗さんに黙っててくれてありがとうございました。」
「どうせ僕が何を言っても、聞く耳、持たないから……。」
「あなたが正しかったって、お父さんに証明する手伝い、してくれませんか。」
「え……?」
暗闇の中で首を傾げた人影は、そっとこちらに近づいた。
電球の弱々しい光で徐々に明らかになった彼の顔は、酷く、痛ましかった。
両目を覆うように頭に巻かれた包帯。目の形に血が滲み固まっている。
顔にも身体にも、古い傷から新しい傷まで至る所に刻み付けられていた。
「きっと助け出します。」
「……ありがとう。」
彼は檻の隙間からボロボロの手を差し出した。
「僕は、中祈幹人。君たちがここに来てくれて、心強いよ。そんな人、今までいなかったからね。」
その名前に、奏七多と晴柊は顔を見合わせた。
「兎羽根晴柊だ。絶対ここを抜け出そう。」
「南奏七多。」
互いに名乗り、サラリと挨拶を終えると、清志朗が帰宅した音がした。
奏七多は階段の下に、晴柊は地下を出てシンクの下へ忍び込む。
「さて。アイツにも連絡しておかないとな……ん?」
清志朗はキッチンに入ると、地下室への扉が開いていることに気付き眉を顰めた。
「クソガキ共。ここを見つけてたのか……!?」
苛立ちに沸騰した頭で地下室に飛び込む。
すると、階段下から突然、奏七多がとび出した。
スプレー缶から、思い切り何かを噴出する。
「くらえ、クソ野郎!」
「ガアッ!!」
ゴギブリ用の殺虫スプレー。
目が焼けるような痛みと、むせかえる息苦しさに、清志朗はその場で立ち止まった。
その瞬間。
「これは奏七多の仕返しだッ!!」
「グハァッ!!」
頭上から飛び蹴りされ、背中を踏まれたまま顔面を削りながら階段を落ちる。
牢屋の淵に頭を強打し、最後は幹人が清志朗の顔にバケツを被せた。
「幹人さん、今だっ!」
「うっ、臭っ、ウァアアアア!!」
すかさず晴柊が清志朗の身体を羽交締めし、奏七多が結束バンドで何重にも清志朗の腕と足を縛る。
「クソッ、クソッ!!クソガキ共!!!死ねえ!死ねええええ!!!」
バタバタと動き回る清志朗を開いている牢に放り込み施錠する。
奏七多は上機嫌に晴柊とハイタッチした。
晴柊も満面の笑みでそれに応えると、牢の中の幹人に振り返る。
「あとで鍵を探して幹人さんも出します。もう少し、待っててください。お父さんのことも。」
「うん。ありがとう。」
目元は見えないが、幹人はカサカサの唇を横に引き、微笑んだ。
「行こう、晴柊!」
「ああ!」
二人は幹人に見送られながら通路を進む。
向かう先はエレベーター。
そして、作業所。
奏七多の、家族が眠る場所。



