目無し村

「今日の昼、またあの家に行く機会がある。俺は隙を見て地下に入るつもりだ。」

「は、はぁ?ちょっと待ってよ、何それ、絶対危険じゃん!」

「お前は来なくていい。先にこの村から出ろ。」

「はぁ?意味わかんない!アンタ死にたいの!?」


思わず大きな声が出てしまい、奏七多は自分の口を塞いだ。
辺りを見回して、再び声を潜めた。


「てか、その地下にいる人って誰?なんか言ってたわけ?」

「誰なのかは分からない。ただ咳を我慢するような声が聞こえただけだ。」

「……それなら、人じゃないかもしれないじゃん。床下に迷い込んだ野生動物とかさ……。」

「そうかもしれない。でも床下にしては距離が遠かった。五、六メートルは離れて聞こえたからな。」

「距離までわかんの?もはやチート能力じゃん。」

「ははっ、ありがとう!」

「褒めてないから。」


話している内容は異常だったが、晴柊の天然につられ少し肩の力が抜けた。


「お前を巻き込むつもりはない。というか、巻き込みたくない。だから、今日は一人で行かせてくれ。」

「一人でどうにかできんの?絶対危ないと思うけど。」

「危なかったら……、止めるから、ダイジョブだ。」


シラッとした目で晴柊を見る。
とことん嘘が下手な男だと奏七多は呆れた。


「ここを出るなら村の人たちが昼休憩に入る前の方がいいんじゃないか?お前の言う通り、今にでも出た方がいい。」

「そうかもだけどさ、俺一人で逃げて、アンタはどうすんの?その地下に、アンタも閉じ込められるかもしれないじゃん。」

「明後日にはバスで帰ると学校に連絡もしてある。それにもし、俺が閉じ込められたとしても、お前が外の人に通報してくれたらいい。」

「……。」

「二人で逃げようとして、二人とも閉じ込められる方が危ないだろ?」


晴柊の言うことも一理ある。
外部との連絡手段がない今、二人とも捕まってしまったら一巻の終わりだ。

箒を置き、再度辺りを見回した。
この時間は、この村の人たちは自分たちの仕事がある。
宿の前の川に降りて、隠れながら村の出入り口まで行けば、脱走も不可能ではないかもしれない。

何より、一刻も早くこの村から逃げ出したい。

晴柊を振り返ると、晴柊は頼もしい笑顔で頷いた。


「心配するな。俺は頑丈だから大丈夫だ。お前こそ、途中で捕まらないように気をつけろよ。」

「……頑丈とか関係ないから。………死なないでよ。」

「お前こそな。」

「……向こう戻ったら、……学校で、また会えるよね……?」

「ブッ……!」

「何笑ってんの?ムカつくんだけど!」

「はははっ、すまない。俺も、南とはまた会いたい。同じクラスになれるといいな!」

「……っ、……うん。じゃあ、また、学校で。」

「ああ。気をつけてな。」


小さく手を振る晴柊に、奏七多も緩く微笑み返した。
小さな土手から川へ降り、法面に身体を潜ませて下流へ向かう。
晴柊ほど耳がいいやつはそうそう居ない。
見つかる可能性は低いだろう。

この村に来てから、晴柊と過ごした時間を思い出す。
最初はムカつく奴だと思っていたが、知れば知るほど、嫌いになれない奴だった。
常に悪態を付き、人を遠ざける奏七多にとって、晴柊のような人間は最悪で最高の相性だった。
奏七多の予防線を無防備なままかいくぐり、しかし奏七多の嫌がることには踏み込まない。そして、いつでも奏七多を寛容に受け入れた。
あまり認めたくはないが、晴柊は奏七多の想像する、「欲しかった兄」に近い気がした。
……本人には絶対に言わないけど。


「あ、名前……。『晴柊』って、呼んでいいか、聞けばよかった………。」


台所で耳打ちされた時、晴柊は自分を「奏七多」と名前で呼んでいた。
距離が縮まったような気がして、少しだけ嬉しかった。
その後は、また「お前」とか「南」とか呼ばれたことを、奏七多はどこか寂しく感じていた。

この村から出れば、いつもの日常に戻る。
常につまらなく感じていた日々も、友人がいれば、また違って感じてくる予感がした。


「あそこだ。……誰もいない。」


土手に這い上がり、近くの草むらに身を屈め、村の出入り口を見る。
きた時は開いていた出入り口は、今は周りのフェンスより低い高さの扉で閉じられていて、ご丁寧に南京錠までかけられている。


「露骨すぎ。気持ち悪っ。」


来た時は獣避けだと思っていたこの村のフェンスは、今となっては外界との隔絶のためのものだと確信する。
慎重に辺りを確認しながら、フェンスに近付いた。
晴柊ほどの身体能力はないが、奏七多もこのフェンスの扉を登るくらい不可能ではない。

緊張で汗ばむ手を服で拭い、フェンスに片足をかけた。
ギシリと音がする。
振り返り周りを見るが音に反応してやって来るような人はいない。
急ごう。
バレたとしても、距離があれば逃げ切れるはずだ。
奏七多は慎重さを持ちながらも、一気にフェンスを登り上がった。
その時。


───にぃちゃん……!


ドォオオンッ!ガガガガァン


「う、うわぁっ!?……っ、痛ったぁああ!」


突然の地響きのような音。
そして、奏七多が登っていたフェンスは激しく揺れ、金属の音が響いた。
フェンスが揺れた衝撃で手が痺れ、バランスを崩した奏七多は無様にもフェンスから落ちる。右足首に痛みが走った。


「何……?」

「おい、何してる!そのフェンスに近づくな馬鹿野郎!」

「ひっ……!」


そこにいたのは、ショットガンを構えた老爺。
見覚えがある。
昨日、清志朗の家に行く途中に会った猟師の葉生だ。


「どうやってここまで来た!何しようとしてた!」

「……っ。」


喉が引き攣り、声がうまく出ない。銃口を突きつけられるのは、人生で初めての経験だった。
張り詰めた空気。
ジリジリと距離を詰める老爺。
足の痛みなど忘れて、なんと答えるのが良いか瞬時に考えを巡らせた。


「殺されたいのか!早く言え!!」

「は、葉生さん!待ってください!」

「は、晴柊……!」


猛スピードで駆け付け、ヒーロー然として現れたのは、晴柊だった。急いで走ってきたのか、喉の奥を詰まらせながら葉生を諭す。


「えっと、南は……、お、俺と競争してたんです。」

「競争?」

「えっと……、高鬼です。」

「………。」

「高鬼……?」

「あ、高鬼は、鬼ごっこの一種で、高いところにいたら鬼に捕まらないっていう遊びです。」


マジでやめて。
小学生でもないのに、そんな訳ないでしょ。
奏七多は心の中でツッコミながら、恥ずかしさで顔が熱くなる。


「……そう、か。遊び、か……。」


葉生は、ふうっと息を吐くと、ゆっくり銃を下ろした。
その手が微かに震えていたのを、奏七多は見逃さなかった。


「もっと安全な遊びをしなさい。」

「はい、ごめんなさい。」

「フェンスが壊れたら、動物たちに村の作物を荒らされて大変なんだ。村のものも壊さないように気をつけなさい。」

「はい、すみませんでした……。」

「みんな、明日の祈祷で、皆、気が立っている。大人しく過ごしていなさい。」

「「はい……。」」


葉生は額の汗を拭い、二人の顔も見ないままその場を去った。

殺される、かと思った。

葉生が去り、奏七多は一息つくと、足がじんじんと痛むことに気付いた。
軽く捻ったらしい。


「大丈夫か?南。」

「……ん。………ありがと。」

「気にするな。お前は悪くない。ほら、立てるか?」


晴柊が差し出した手を借りて立ち上がる。
恐怖で足の感覚が変だった。それに、右足首が微妙に痛み、歩きづらかった。


「挫いたのか?俺の肩に掴まれ。」

「……ごめん。……俺、カッコ悪……。」


大人しく晴柊の左肩を借り、右足を庇いながら歩き出した。
晴柊は銃声を聞きつけ、最短距離を全速力で駆け付けてくれたらしい。
歩き進め、足の震えが治るにつれて、奏七多は悔しさや怒りが込み上げてきた。


「クソっ……!絶対抜け出して、この村の人間、全員訴えてやる……!こんな意味わかんないクソ田舎!クソっ……!クソっ………!」


負け惜しみに近い、恨み節。
晴柊は静かにそれを受け止め、奏七多の背中を優しく叩いた。
手の温度やリズムに、自然と冷静さを取り戻す。

この村は完全に閉鎖されている。
フェンスを越えようとすると村人に襲われる。そうなると、外に逃げ出す他の方法は……、今の所、思い付かない。


「俺たち、これからどうなっちゃうのかな……。」

「珍しく素直に弱気なんだな。」

「うるさい。」

「ははっ。」


晴柊の横顔を見る。
綺麗な横顔は、現状の不遇さなんて微塵も感じていないようだった。
やっぱ、能天気なやつ。

俺たち、ここで死ぬかもしれないのに。


「あのさ、助けてくれて、ありがとう……。」

「うん?礼は要らない。」

「でも、アンタがいなかったら、……俺、今、死んでたかもしれないじゃん。礼くらい、させてよ。」

「……それなら、学校に戻ったら、購買のパン奢ってくれ。ダブルカツサンド。」

「はっ!?そんなんでいいの?」

「そんなんとか言うな!競争率高いんだぞ!?」

「ぷっ、あはは!分かった分かった。……はぁ。ねぇ、あのさ。」

「なんだ?」

「アンタのこと、……名前で、呼んでもいい?」


死ぬかもしれないと思ったら、そんな言葉を口にすることもできた。
しかし、勇気を出して尋ねたというのに、晴柊の返事はない。
聞こえなかった……、なんて可能性はない。なにせ、晴柊の聴力はチート級なんだから。

そっと晴柊の方を窺うと、晴柊は目を丸くして奏七多を見つめていた。


「何?」

「いや……。」


晴柊の頬が少し赤い。鼻先を指先で掻き、分かりやすく照れている。
は?恥ずかしいのはこっちなんだけど?


「あー、別に嫌ならいいから。『アンタ』でも『兎羽根』でも文字数変わんないし。なんか、ちょっと気分転換?に、言ってみただけだから。だから全っ然、今のままでも───、」

「奏七多。」

「……っ。」

「俺も、『奏七多』って呼んでもいいか?」

「……は、はぁ?そんなの、好きに呼べばいいじゃん。」

「ははっ。ありがとう。奏七多も、俺のことは『晴柊』って呼んでくれ。」


春の陽射しが、晴柊の黒い髪をキラキラと照らした。
屈託のない笑顔。
眩しすぎるんだけど、ムカつく。

奏七多は顔を逸らすと、素っ気なく頷いた。
初めてできた、友達。
友達って、こんなに温かくて、嬉しくて、くすぐったいものだなんて、知らなかった。

この足の痛みのおかげで、晴柊との距離を縮められたのなら、こんな怪我も、悪いだけのものではない気がした。





「奏七多、大丈夫か?おんぶしてやるぞ?」

「はぁ!?子供じゃないんだから、気持ち悪いこと言うのやめてくれない?もう問題なく歩けるから。」

「でも無理に歩くと悪化するかもしれない。」

「あーもううっさいな、早く行こう。」


昼過ぎ。晴柊を置いて奏七多は稲護の玄関を出た。
目的地は清志朗の家。昨日の約束通り、今日の昼食を届けに行くところだ。

晴柊は一人で行くと言い張ったが、協力させろと奏七多が食い下がった。
奏七多が先に外に出てしまえば、晴柊は仕方なく奏七多と歩く。
足はかなり軽い捻挫だったため、冷やして安静にしていたら、すぐに一人で歩けるまで回復した。力を入れるとピリッとした痛みは走るものの、あの家で一人で待つより、晴柊とくだらない言い合いをしながら歩く方が、ずっと良かった。


「じゃあ作戦のおさらいね。先にアンタが食事を届けに行く。後から俺が行って、清志朗を外から呼ぶ。『家の門に汚れがついてるから見に来て欲しい』って外へ呼び出して、なるべく時間を稼いで……。」

「その間に俺は地下を探る。地下の人と接触して、二人の足音が戻って来る前に部屋に戻る。宿に戻ったら、奏七多に情報共有して、全員で逃げ出す算段を考える。」

「オッケー。あとはその時々で臨機応変に。」

「ぶっつけ本番ってことだな。」

「あんま考える時間なかったしね。ところでさ、その地下の入り口はどこにあるの?」

「それは昨日、耳で確認した。茶の間の奥に、台所のある部屋があっただろ?あそこの勝手口側だ。」

「ふぅん。地下に行くために鍵とかが必要だったらどうするの?」

「……。」

「……。」

「壊す?」

「壊せるの?」

「力仕事には自信がある!任せろ。」

「あーそ。アイツの家がどれだけ壊れても良いけどさ、……気を付けてよ。清志朗もそうだし、地下にいる人?だって、どんな奴か分かんないんだから。清志朗側の人かもしれないし。」

「大丈夫だ!」

「はぁ、そんな自信どっから湧いてくんの?とりあえず、はい、これ。使えるか分からないけど、持っといて。納屋に沢山あったから拝借してきた。」

「カッターと、結束バンド?俺のために借りてきてくれたのか。ありがとう、奏七多!」

「どうせ何も用意してないだろうと思ってね。それより……、げ。」

「あ。」


二人の視線は、目の前から歩いてくる男に集まった。
奏七多の背中に緊張が走る。
中祈清志朗は、そんな二人に昨日と同じ和やかな笑みを投げかけた。


「やぁ!そろそろ来る頃かと思ってね。二人に会えるのが待ちきれなくて、待っていたんだ。さぁ、行こうか。」

「た、た、楽しみです。あ、こんにちは。」

「ハハハ、いやぁ、明日の準備が忙しくてね。君たちと息抜きする時間が待ち遠しかったよ。今日は稲柿(いながき)さんがくれたおやつがあるんだよ。」

「そうですか……。」


清志朗は親しげに奏七多の肩に腕をかけ、家の方へ連れて行く。
二人揃って家の中へ案内される。
靴を揃えながら、奏七多はそっと晴柊を見た。
事前に作っていた作戦は、すでに実行不可能だ。この作戦の肝は、二人が
どうする?明日、改めるか?


すると晴柊は、清志朗の目を盗んで口を横に開いた。「イ」の口である。
当然、意味は分からない。


「今日のおやつはレーズンバターサンドだ。お洒落な南くんにぴったりそうじゃないか。どうだい?」

「ありがとうございます。あ、清志朗さん、昨日借りた服はまだ干してるところなので、返すのは明日でも良いですか。」

「もちろんだとも。飲み物を用意するね。冷たい麦茶でいいかい?」

「「はい。」」


清志朗が隣の台所の部屋へ消える。
すぐに奏七多はちゃぶ台から身を乗り出して、晴柊に身体を寄せた。
極々小さな声で尋ねる。


「どーする。明日にする?」

「いいや、プランBで行こう。」

「は?そんなの───」

「どうかしたかい?」


清志朗の声に、奏七多はビクリと肩を震わせた。咄嗟に、近くにあったテレビのリモコンを指差す。


「テ、テレビとか、観たいなって話してたんです。良いですか?」

「もちろんだよ。何が観たいんだい?」

「清志朗さんはこの時間、いつも何を観てるんですか?」

「そうだな、相撲とかかな。」


清志朗がリモコンを操作すると、テレビの画面が次々に移り変わる。
すると、晴柊が目を輝かせ勢いよく挙手した。


「あ!相撲!それだ!」

「は?何……?」

「ハハハ、兎羽根くんも相撲が好きなのかい?渋いね。いいよ、観よう観よう。」

「あ、違います!清志朗さん、俺と相撲取ってみませんか?」


相撲を取る?何言ってんのコイツ……。
呆れというか、哀れみに近い視線を晴柊に向けた。
清志朗も、いつも嘘くさいほど穏やかな笑みを浮かべているが、今は間抜けにも呆気に取られた顔をしていた。
これはこれで、レアで面白いけど。


「ええっと、僕と晴柊くんで、相撲をするのかい?今から?」

「はい!清志朗さん強そうですけど、俺も結構上手だと思います。体の柔らかさも、体幹も自信あります。中庭でやりましょう!」

「プッ、ハハ、ハハハ!いいね、楽しそうだ。やろう!南くんもやるかい?」


冷めた目で、「やるわけないでしょ」と、清志朗に向かって言いそうになり言葉を飲み込んだ。
清志朗の後ろで、晴柊が得意気に笑いながら、両手で「B」の形を作っていた。
向き逆だけど。鏡に映ったみたいに見えてるから。


「俺は、やめておきます。さっき足を怪我しちゃって、本当は動くのちょっとしんどいんです。こっちで待っててもいいですか?」

「そうだったのかい、それなのに家まで来てくれたんだね。いいとも、ゆっくり過ごしていてくれ。」


どうやらこれが、晴柊の言う「プランB」ということらしい。
プランっていうか、行き当たりばったりのぶっつけ本番って感じだけど……。
心の中で愚痴る途中で、奏七多はくだらないことに思い当たってしまった。

もしかして、プラン「B」とは、「ぶっつけ本番」の「B」じゃないよね……。

想像の中の晴柊が、またも得意気に笑い、奏七多は静かにため息をついた。

当初の予定では、晴柊が地下を調べる係だったけど、この流れならそれは俺がやるしかない。
晴柊と清志朗が立ち去ると、奏七多はテレビのリモコンを手に取った。
作業の音が漏れないよう、音量をあげるためだ。
しかし、間違えてチャンネルを変えてしまう。


『行方不明になっていた税務署職員の湯口 茂彰(ゆぐち・しげあき)さんの遺書が見つかり───』


流れていたのはお昼のワイドショー。
行方不明の男性についてのニュースだった。自分もこの男のようにそのうちニュースになったりするのだろうかと、奏七多は陰鬱な気分になった。
そうなっても、悲しむ人なんていないだろうけど。
いや、晴柊は、悲しんでくれんじゃないかな。なんて。

気分を変えるように空気を吸い込むと、チャンネルを相撲に戻す。テレビの音量を上げ、奥の部屋に移動した。
この部屋の勝手口側のどこかに地下の入り口がある。
気を取り直し、部屋中を一通り観察する。


「あそこかな。」


シンク下のマットが目についた。
横長のそれは、片方の端だけが反り返っている。頻繁に捲れ上がることがあって、その癖が付いたのだろう。
奏七多は躊躇わずそのマットを捲り上げた。


「床下点検口。これでしょ。多分ビンゴ。」


マットの下にあったのは、床下点検のために使う四角い蓋。奏七多の祖母の家では、ここに収納ボックスが嵌め込まれていて、調味料のストックが入っていた。
口の中の渇きを感じながら回転取手に手をかける。
ゆっくりと、蓋を開けた。

中は、祖母の家と同様、収納ボックスがあった。ラップやアルミホイル、ゴミ袋などの日用品が綺麗に収納されている。


「はぁ。だよね。面倒くさ……。」


中身を少し出し、ボックスの中を軽くする。
二人のいる中庭は、この部屋とは真反対側。縁側を締め切ったこの家で、二人は中庭に出るために玄関から外出ていた。
玄関の引き戸は、木枠に厚いガラスが嵌め込まれていて、重さもあれば、開け閉めに大きな音もする。
あの音なら、晴柊のような異常な聴力のない奏七多でも、聞こえるだろう。

重そうなものを半分ほど取り出し、収納ボックスを思い切り持ち上げた。


「よいっ、しょ……っ!……うわ……。ガチで?」


狭い入り口から、不気味な風が吹き上げた。
体の芯が冷えるような冷たさに、肌にまとわり付く不快な湿っぽさ。
晴柊の言う通り、点検口の下には地下があった。
まっすぐに下へ伸びる階段が姿を現した。


「深っ。晴柊の言ってた通り五、六メートルはありそう……。」


地下の中は全体的にレンガ造りになっているようだ。階段も壁も、全てに赤茶色のレンガが敷き詰められていた。


「てか、なにこの匂いっ……。」


異様な匂いに鼻を覆う。
湿度のある酸っぱい匂いが強い。それに混じって、腐った果実のようなねっとりと甘い発酵臭。しばらく吸っているだけで体が悪くなりそうだ。


「とりあえず、行くしかないよね……。」


右足に注意しながら、壁を支えに急な階段を降りる。
暗くて足元が見えにくい。申し訳程度の小さな電球が配置されているが、照度が低くかなり薄暗い。
更に階段は幅が狭く、手すりもない。壁があるのも片側のみ。意識せずとも慎重に降りざるを得ない階段だった。
手が汗ばむ。


「………、と……、……す、か……。」


ふと、人の声が聞こえ立ち止まった。
下からだ。
本当に人がいたのか、と奏七多は背中を震わせた。
晴柊の耳の性能はかなり精巧だということが、またもや証明されてしまった。


「……やっと、……です、か………。」


階段の下には、座敷牢のようなものがいくつか見える。
二つは扉が開いており、一つは南京錠がかけられていた。

人の声は、どうやらその閉ざされた牢の中からだ。
そうっと階段を降り、突き当たりの牢の手前に立つ。足元には汚いバケツ。その中に、残飯のようなものが無造作に入れられていた。


「…やっと、死ねる、ん、ですか……。」


牢の中は電気もなく、奥は真っ暗闇だった。
闇の中からきこえる、掠れてカサカサの声。横たわる人影。その人は影だけでも、痩せ細り、弱り果てているのが分かる。
頭に怪我をしているのか、包帯のようなものを巻いているようだった。


「……アンタ誰?」


恐怖で声が震える。
それを必死に隠し、強気で尋ねた。
奏七多の声にしばらく沈黙していた人影は、ゆっくりと起き上がる。


「だ……だれ?父さ……清志郎、さん……じゃ……。」

「父さんって言った?アンタ清志朗の息子?」

「息子、だった……。君は、誰?ゲホッ、ゲホゲホ。僕を知らないなら、村の人じゃ無いよね。」


時折咳き込む人影は、奏七多の姿が見えていないらしい。


「アンタに名乗る筋合い無い。てか、ここは何?アンタ息子なのになんで清志朗に監禁されてんの?」


人影はその場で座り直すと、こちらに体を向けたようだった。
地下の中は寒い上にじめじめとしていて、人が暮らすには最悪の環境だ。


「……ここは、貯蔵庫だよ。山の作業所へ繋がる通路でもある。」

「貯蔵庫?」

「見てごらんよ。ゲホッ……。奥の通路の、右手の木の扉……。」


人影が信用に足るかどうか、奏七多は判断しかねていた。
しかし貯蔵庫やら作業所やら、全くピンとこない名前を並べられ、困惑もしていた。
もし騙したいのなら、もっと食いつきの良さそうなことを言いそうなものだ。
逃げ道があるとか、さ。


「扉なんか見えないけど。」

「近付けば分かるよ。」


この地下は、縦長に作られていた。
座敷牢は、この地下の片方の隅に位置してる。
牢を背に振り返ると、反対側に長い通路が伸びているようだった。向こうは小さな電球すらなく真っ暗で、何も見えない。
半信半疑のまま、人影の言う通り、壁を頼りに恐る恐る進んで行った。


「わっ……!」


突然ライトが点灯し、反射的に目を瞑った。
人感センサーのようだ。
柔らかいオレンジ色のライトが、地下通路全体をぼんやりと照らした。
ライトが点いてもなお薄暗い通路。人が四、五人は通れるほどの広い通路の先は、シルバーの大きな扉で閉ざされていた。


「え……?エレベーター……?」


引き込まれるように大きなシルバーの扉へ近づいていくと、それは業務用の大きなエレベーターであることが分かった。
近くには人影が言った木の扉があった。レンガの雰囲気に合った立派な木製扉だった。上部にはガラス窓がついており、奏七多はそこから中を覗き込んだ。


「え……!?これって……!」

「この村の人たちが、全員で作ってるんだよ。」


部屋の中には大きな棚が設置されていて、木製の樽が綺麗に並んでいる。
この光景は、ネットで見たことがある。


「この村はね、村ぐるみで密造酒をつくってる。」


ワインの、貯蔵庫。

甘い甘い葡萄の香りが、胸に支えるほど香った気がした。


「人間を、肥料にしてね。」





「奏七多、ただいま!」

「南くん、ただいま。お待たせしたね。思ったより盛り上がってしまってね。兎羽根くんを独占して悪かったね。」

「いーえ。全然大丈夫です。」

「兎羽根くん、スラっとしてるのに本当に強くて。いやぁ、用心棒とか向いてそうだな。」

「ははっ、ありがとうございます。」


額の汗を拭い、朗らかに笑う大男。
奏七多は清志朗から目を逸らし、視線を伏せた。
地下の男から聞いた話が、まだ整理できていなかった。


「清志朗さん、ありがとうございました。またやりましょう!明日も同じ時間に来ますね。」

「ああ。明日はあっちでゆっくりしていなさい。祈祷の日だから、僕も忙しくてね。君たちにも、ぜひ見に来て欲しい。」

「山の奥の湖でやるんですよね?」

「そう。湖の奥は山神様が住む『聖域』だからね、普段は近付けないけど、ご祈祷の日は、三隻の舟で捧げ物を聖域まで運ぶんだ。実に神秘的な光景だよ。お昼過ぎに迎えに行くから、稲護さんの家で待っててくれるかい?」

「分かりました!」


清志朗から昨日の食器を受け取り、玄関まで見送られる。


「ああ、そうだ南くん。ちょっと戻ってくれるかい?」


奏七多は晴柊と一瞬だけ目を見合わせ、大人しく清志朗に従う。
清志朗は優しく微笑み、玄関に一番近い部屋に奏七多を招き入れた。


「足を出してくれるかい?良い湿布があるんだ。」

「え!大丈夫です、もう殆ど治ってますから。」

「遠慮は要らないよ。ほら、早く座りなさい。」


清志朗の言葉は、命令のようだった。
奏七多は諦めて床に座る。
清志朗は近くの箪笥から救急箱を取り出すと、包帯と大きな湿布を手に取った。


「この村には医者がいないからね。怪我をした時も、助け合いが大切なんだ。」

「……ありがとう、ございます。」


清志朗は迷わず奏七多の右足を取り、自分の膝に乗せた。
奏七多はそれを、恐ろしく感じた。
痛めたのは右足だとは、言ってない。
見て分かるほど不自然な歩き方をしてたつもりもない。

つまり、この男は……。


清志朗は奏七多の足首を両手で掴むと、勢いよく捻った。


グキッ!


「い゛ぁッ……!?」


目の前が赤く染まる。
今朝、痛めた時とは比にならない痛みに悶絶した。


「奏七多っ!?大丈夫か!?」


駆け付けた晴柊を涙の滲む目で見た。
晴柊は目を見開き、食器を投げ捨てると、奏七多から清志朗を引き離した。


「やめてください!折れてしまいます!」

「おや?ああ、すまない。治してあげようと思ったんだが、逆効果だったかな。」

「……っ、……〜ッ!」


助けを求めるように晴柊の服の端を掴む。
晴柊は奏七多を庇うように、奏七多の前に身を乗り出し、清志朗と対峙した。


「大袈裟だよ、二人とも。南くん、すまなかったね。」


静かに清志朗を睨みつける晴柊の顔は、奏七多からは見えない。
奏七多は晴柊の体の横から清志朗を伺った。
いつもと同じ柔らかな笑み。


「遊ぶのは構わないけど、周りに迷惑をかけないようにしなさい。わかったね?」

「…………は、い。」

「奏七多、行こう。俺に掴まれ。」

「明日、楽しみにしていてくれ。二人とも、またね。」


歯を食いしばり、ズキンズキンと脈打つ痛みに耐える。
右足は、地面につけることさえ辛い。
逃走なんて愚か、歩くこともできない。

殆ど晴柊に抱えられるようにして清志朗の家を出ると、門の外で晴柊は奏七多の前にしゃがみ込んだ。


「痛むと思うが、我慢してくれよ。」

「ゥ゛……ッ!」


持っていたハンカチで奏七多の足首をきつく縛り上げ、応急処置を施す。
そのまま奏七多に背を向けると、おんぶされるように促した。


「背に腹は変えられないだろ。乗ってくれ。」

「……ありがと。」


素直にその背にもたれかかる。晴柊の背中は、温かかった。
奏七多にとって、人とこんなに密着するのは、初めてに等しいほど久しぶりだった。

人の体温って、こんなに安心するんだ。


「宿に戻ったら、冷やして固定しよう。すぐに着くから、安心しろ。」

「………ん。」


晴柊の首元に腕をまわし、その肩口に額をつけた。
痛みと、緊張と、恐怖と、悔しさと……。
いろんな気持ちが洪水のように溢れてきて、それは目から熱い雫となって溢れた。
しとしとと流れ出るそれは、晴柊の服を濡らすが、晴柊はただ静かに受け止めた。


「グスッ……、う、うぅ………。」


晴柊は奏七多の足を気遣ってか、それとも宿に着くまでに奏七多が落ち着くためか、ほんの少しだけ歩く速度を落とす。
その気遣いが、奏七多には痛いほど伝わっていた。
少しだけ泣いて落ち着くと、奏七多は晴柊の首元で地下で見聞きしたことを、ぽつりぽつりと話し始めた。

地下にいたのは、清志朗の息子と名乗る男だったこと。
村ぐるみで人を肥料に葡萄を育て、密造酒を作っていること。
明日の祈祷では、その肥料を葡萄畑に埋め、清志朗はワインの取り引きをすること。

晴柊は背中の奏七多を気遣いながらも、奏七多の話には驚きや怒りを隠せずにいた。
晴柊の体温が上がり脈が速くなるのを、奏七多は体で感じた。


「人を……、肥料に………!?」

「そ。気持ち悪すぎだよね。しかも清志朗は殺しはやらない。村人にやらせるんだって。」

「なん……で……。」

「そうやって、心理的にも逃げられないようにしてるんでしょ。人心掌握が上手いって言うか、とにかく人として最低最悪のクズ。」

「最低だな。本当に、最低だッ!」


晴柊が吐き捨てるように言う。
密着する奏七多の腹にも、晴柊の怒気が熱となって伝わってきた。
晴柊はしばらく黙って歩き、背中の奏七多に語りかけた。


「その人の話が本当なら、一刻も早く逃げた方がいい。」

「うん……。」

「奏七多、大丈夫だ。お前を置いては逃げない。一緒に逃げよう。」

「こんな足じゃ足手纏いに決まってんじゃん。それに、俺はいい。あの山に埋められるなら、それで。」

「は?どうしたんだ急にそんな気弱なこと言って。」

「………もしかしたらさ、俺の家族って、巻き込まれたのかもって思うんだよね。」

「……それは、つまり……。」

「あの日、泉深山に入って、運悪くこの村の秘密を知っちゃってさ。……あの山に、埋められてるんじゃないかって、気がしてきたの。」

「……。」

「だから、そこに行けば、俺、家族と会えるかもしれない。会って、ちゃんと謝りたい。だから、俺はいい。」


いつの間にか稲護の家の前まで着いていた。
奏七多は稲護の家に着いて安心している自分に苦笑した。

この村に呼ばれたのは偶然ではない。
同じ死に方をしろと、晴風が呼んだんだ。
それなら俺は、ここで死のう。


「それなら、一緒に行こう。」

「……え?」

「ただし、生きたままだ。そして、生きたまま二人でこの村を出る。」

「……。」

「奏七多には、ダブルカツサンドを奢ってもらわないといけないからな。部屋に戻って、プランCを考えよう。」

「………はぁ。分かった。」

「良かった!」


少年のように喜ぶ晴柊に、奏七多は頬を緩めた。

そんなに美味いのなら、俺も食べてみたいかもな。
購買の、ダブルカツサンド。