雪が解け、庭の梅の枝に小さな蕾が戻りはじめた頃。
静かだった私の領地に、またしても奇妙な人間たちが大勢入り込んできた。
皆そろって黒い衣を纏い、重たい顔で家の中を出入りしている。
まるでカラスの群れだ。
家の中には線香の匂いが満ちていた。
鼻に残る、乾いた煙のような香りだ。
私は居間の隅にある箪笥の上から、その様子をじっと見下ろしていた。
サチコの息子。
見覚えのある女。
知らない顔の男たち。
誰も彼も声をひそめ、時折鼻をすすり、ため息のようなものをこぼしている。
騒がしいくせに、妙に元気がない。
やれやれ。
なんとも陰気な集まりだ。
居間の中央には、小さな祭壇が置かれていた。
花があり、果物があり、線香があり――その奥に、四角い額縁がひとつ立てられている。
その中で、サチコが笑っていた。
縁側でお茶をすすりながら、私を見ていたときと同じ顔だった。
私は細く目を閉じ、しっぽを一度だけ揺らした。
そうか。
やはり、あの赤と白の鉄の獣に連れて行かれたあと、サチコは戻れなかったのだ。
人間というのは、仲間がいなくなったとき、こうして集まって煙を焚き、静かに騒ぐ習性があるらしい。
「ニャア……」
なんと不幸なことだ。
私より先に逝くとは。
まったく、最後まで手のかかる孫娘だった。
私はあの子を温めた。
寒くないように寄り添った。
足元にもぐりこみ、私の熱を分けてやった。
だが、どうやら私の毛皮でも追い払えぬ敵がいたらしい。
それが少し……そう、ほんの少し気に入らなかった。
「おばあちゃん、タマのこと本当に可愛がってたよね……」
黒い服の女が、涙声でそう言った。
「うん。ばあちゃんが大事にしてたんだから、これからはうちで面倒みるよ。仕事が落ち着くまでは通いかな……まあ、猫は家に着くっていうしな」
サチコの息子がそう答え、私を見上げる。
私は鼻を鳴らした。
ふん。
何もわかっていない。
可愛がられていたのではない。
私が庇護していたのだ。
だが、その程度の勘違いをいちいち訂正してやる気はない。
人間には少し難しすぎる話だ。
私は箪笥の上から祭壇を見つめた。
サチコ。
お前はよくやった。
ネズミの一匹も獲れず、
冬が来ればすぐ咳をし、
私がいないと心細そうに撫でてくるような子だったが、
それでも毎日きちんと献上を欠かさなかった。
私を撫でる手は不器用だったが、悪くなかった。
あの縁側で並んでいた時間も、まあ、退屈しのぎにはちょうどよかった。
だから、お前の生はちゃんと意味があったと、この家の長である私が認めてやる。
数日が経ち、黒い服の人間たちはいなくなった。
線香の匂いも少しずつ薄れ、
家にはまた静けさが戻ってきた。
サチコの息子はときどきやってきて、食べ物を置き、掃除をし、何やらぼそぼそ喋って帰っていく。
以前よりは少しだけ丁寧になったが、やはりサチコほどではない。
まあ、仕方あるまい。
あの子ほど気が利く人間もそうはいない。
春の陽射しが、縁側をぽかぽかと温めていた。
私は部屋の隅から、古い座布団を引っぱり出した。
サチコの匂いがまだ少し残っている、あの座布団だ。
それをいつもの場所へ置き、上に飛び乗る。
「ニャァ」
よいしょ。
そう鳴いたつもりだった。
暖かい。
目を閉じると、背中にふわりと重みが蘇る気がした。
少し震える、小さな手。
ぎこちなく、それでも優しく私を撫でるあのリズム。
『日なたは温かいねぇ。いい子だねぇ、タマは』
風がそう囁いた気がした。
「グルル……」
やれやれ。
お前がいなくても、私はちゃんとやっている。
この家も、縁側も、庭の梅も、きちんと見張っている。
だから安心して、どこかでのんびりしていろ。
私がいつかそちらに行く日まで。
私は前足を伸ばし、大きくあくびをした。
寂しいわけではない。
そんな柔な話ではない。
ただ、あの手の温もりが、もう背中に触れないだけだ。
それでも春は来る。
梅は咲く。
縁側には陽が差す。
ならば私は、これからもここで眠る。
あの日と同じように。
あの子の匂いが残る座布団の上で。
そして時々思い出してやるのだ。
勘違いだらけで、頼りなくて、どうしようもなく手のかかった、あの孫娘のことを。
私はこの家の祖母である。
だから、この家は私が守る。
お前がいなくなったあとも、ずっとだ。
庭先では、梅の花がひとつ、またひとつと開いていく。
私はその淡い色を細い目で見つめながら、陽だまりの中で静かに喉を鳴らした。
もうその手はなくても、
温もりだけは、たしかにここに残っていた。
静かだった私の領地に、またしても奇妙な人間たちが大勢入り込んできた。
皆そろって黒い衣を纏い、重たい顔で家の中を出入りしている。
まるでカラスの群れだ。
家の中には線香の匂いが満ちていた。
鼻に残る、乾いた煙のような香りだ。
私は居間の隅にある箪笥の上から、その様子をじっと見下ろしていた。
サチコの息子。
見覚えのある女。
知らない顔の男たち。
誰も彼も声をひそめ、時折鼻をすすり、ため息のようなものをこぼしている。
騒がしいくせに、妙に元気がない。
やれやれ。
なんとも陰気な集まりだ。
居間の中央には、小さな祭壇が置かれていた。
花があり、果物があり、線香があり――その奥に、四角い額縁がひとつ立てられている。
その中で、サチコが笑っていた。
縁側でお茶をすすりながら、私を見ていたときと同じ顔だった。
私は細く目を閉じ、しっぽを一度だけ揺らした。
そうか。
やはり、あの赤と白の鉄の獣に連れて行かれたあと、サチコは戻れなかったのだ。
人間というのは、仲間がいなくなったとき、こうして集まって煙を焚き、静かに騒ぐ習性があるらしい。
「ニャア……」
なんと不幸なことだ。
私より先に逝くとは。
まったく、最後まで手のかかる孫娘だった。
私はあの子を温めた。
寒くないように寄り添った。
足元にもぐりこみ、私の熱を分けてやった。
だが、どうやら私の毛皮でも追い払えぬ敵がいたらしい。
それが少し……そう、ほんの少し気に入らなかった。
「おばあちゃん、タマのこと本当に可愛がってたよね……」
黒い服の女が、涙声でそう言った。
「うん。ばあちゃんが大事にしてたんだから、これからはうちで面倒みるよ。仕事が落ち着くまでは通いかな……まあ、猫は家に着くっていうしな」
サチコの息子がそう答え、私を見上げる。
私は鼻を鳴らした。
ふん。
何もわかっていない。
可愛がられていたのではない。
私が庇護していたのだ。
だが、その程度の勘違いをいちいち訂正してやる気はない。
人間には少し難しすぎる話だ。
私は箪笥の上から祭壇を見つめた。
サチコ。
お前はよくやった。
ネズミの一匹も獲れず、
冬が来ればすぐ咳をし、
私がいないと心細そうに撫でてくるような子だったが、
それでも毎日きちんと献上を欠かさなかった。
私を撫でる手は不器用だったが、悪くなかった。
あの縁側で並んでいた時間も、まあ、退屈しのぎにはちょうどよかった。
だから、お前の生はちゃんと意味があったと、この家の長である私が認めてやる。
数日が経ち、黒い服の人間たちはいなくなった。
線香の匂いも少しずつ薄れ、
家にはまた静けさが戻ってきた。
サチコの息子はときどきやってきて、食べ物を置き、掃除をし、何やらぼそぼそ喋って帰っていく。
以前よりは少しだけ丁寧になったが、やはりサチコほどではない。
まあ、仕方あるまい。
あの子ほど気が利く人間もそうはいない。
春の陽射しが、縁側をぽかぽかと温めていた。
私は部屋の隅から、古い座布団を引っぱり出した。
サチコの匂いがまだ少し残っている、あの座布団だ。
それをいつもの場所へ置き、上に飛び乗る。
「ニャァ」
よいしょ。
そう鳴いたつもりだった。
暖かい。
目を閉じると、背中にふわりと重みが蘇る気がした。
少し震える、小さな手。
ぎこちなく、それでも優しく私を撫でるあのリズム。
『日なたは温かいねぇ。いい子だねぇ、タマは』
風がそう囁いた気がした。
「グルル……」
やれやれ。
お前がいなくても、私はちゃんとやっている。
この家も、縁側も、庭の梅も、きちんと見張っている。
だから安心して、どこかでのんびりしていろ。
私がいつかそちらに行く日まで。
私は前足を伸ばし、大きくあくびをした。
寂しいわけではない。
そんな柔な話ではない。
ただ、あの手の温もりが、もう背中に触れないだけだ。
それでも春は来る。
梅は咲く。
縁側には陽が差す。
ならば私は、これからもここで眠る。
あの日と同じように。
あの子の匂いが残る座布団の上で。
そして時々思い出してやるのだ。
勘違いだらけで、頼りなくて、どうしようもなく手のかかった、あの孫娘のことを。
私はこの家の祖母である。
だから、この家は私が守る。
お前がいなくなったあとも、ずっとだ。
庭先では、梅の花がひとつ、またひとつと開いていく。
私はその淡い色を細い目で見つめながら、陽だまりの中で静かに喉を鳴らした。
もうその手はなくても、
温もりだけは、たしかにここに残っていた。


