雪が降った。
庭の梅の枝も、古びた縁側も、音もなく白く染まっていく。
私はコタツの中で丸くなり、その気配をぼんやり感じていた。
そのときだった。
けたたましい音が、家の外から近づいてきた。
「ウー、カンカンカンカン!」
私は耳をぴんと立てた。
なんだ、この騒がしい鳴き声は。
次の瞬間、玄関が乱暴に開いた。
冷たい外気が一気に流れ込み、家の匂いをかき乱す。
入ってきたのは、見知らぬ男たちだった。
揃いの服を着て、大声を上げながら、まっすぐサチコのもとへ向かっていく。
「サチコさん! わかりますか!」
「すぐ運びます!」
うるさい。
無礼な連中だ。
しかも土足のまま上がり込み、私の被保護者に勝手に触れている。
「シャアァッ!」
私は毛を逆立てて威嚇した。
これ以上、その子に触るな。
そう告げたつもりだった。
だが男たちは、私の声など耳にも入らぬ様子で、サチコを布に乗せ、あっという間に持ち上げてしまった。
サチコは動かなかった。
目を閉じたまま、いつものように「タマや」とも、「いい子だねぇ」とも言わない。
私を撫でる手も、力なく垂れ下がっていた。
私は玄関まで駆けた。
外には、赤と白の巨大な鉄の獣が口を開けて待っている。
赤い光を点滅させ、不快な声で鳴き続けていた。
男たちは、その獣の腹の中へサチコを運び込む。
やめろ。
どこへ連れていく。
叫んだつもりだったが、私の喉から出たのは短い鳴き声だけだった。
扉が閉まる。
鉄の獣は吠えながら、雪の降る道の向こうへ消えていった。
あとには、静かな空気だけが残された。
冷たい風が、しんしんと吹き込んでいる。
私はしばらくその場を動けなかった。
耳だけが、もう遠ざかってしまった騒音の名残を探していた。
やがて、家の静けさが戻ってきた。
いや、戻ったのではない。
元の静けさとは違う。
何かがひとつ、ぽっかり抜け落ちたあとの静けさだった。
私はゆっくりと家の中へ戻った。
居間。
台所。
縁側。
どこにもサチコはいない。
コタツはついたままだったが、その中にはあの足の動きも、布団越しのぬくもりもない。
湯呑みは半分ほどお茶を残したまま、卓の上で冷えていた。
「ニャア」
鳴いてみる。
返事はない。
やれやれ。
なんということだ。
あの子はまた、私の目を離した隙に無茶をしたらしい。
ひ弱なくせに、守護者である私を置いてどこへ行くというのか。
私は寝室へ向かった。
乱れたままの布団がある。
そこへ飛び乗り、鼻先を押しつける。
ほうじ茶。
古い化粧水。
日に干した布の匂い。
その奥に、たしかにサチコの匂いが残っていた。
だが、ぬくもりはもうなかった。
私はその場で丸くなった。
寒い。
家が寒いのではない。
この家から、サチコの体温が消えてしまったのだ。
それから数日、サチコは戻らなかった。
代わりに、息子という男がやってきた。
以前にも何度か見たことのある顔だ。
サチコの匂いを少しだけまとっている。
「タマ、ばあちゃんいなくて寂しいな。ほら、メシだぞ」
男は台所へ行くと、乱暴な手つきで袋を開けた。
ドサドサと、大量のカリカリが器に落ちる。
「ニャアーッ」
なんだその雑な献上は。
サチコはもっと丁寧だった。
器を置く手つきも、声も、私を見る目も、ずっとやわらかかった。
男は鈍感にも私の抗議を気にせず、がさつな手で頭をぽんぽん叩いた。
「ちゃんと食えよ」
無礼千万。
私はそっぽを向いたが、やがて空腹には勝てず、渋々器に口をつけた。
カリ、カリ。
噛み砕く音だけが、やけに大きく響く。
味気ない。
同じ食べ物でも、あの皺だらけの手がないだけで、こうも違うものか。
男はしばらく家の中を見回し、コートを羽織った。
「俺、病院行ってくるからな。大人しくしてろよ」
そう言って出ていく。
病院。
その言葉の意味を私は知らない。
だが、サチコのいない場所をそう呼ぶのなら、あまり愉快なところではなさそうだった。
また静かになる。
私は食事を終え、顔を洗ってから、家の中を巡回した。
居間、異常なし。
台所、異常なし。
縁側、異常なし。
誰もいない。
ガラス戸の向こう、庭には雪が積もっていた。
かつてサチコと並んで見た梅の木も、今はただ白く黙っている。
私は再び寝室へ戻った。
布団の隙間に顔をうずめる。
サチコの匂いは、日に日に薄くなっていく。
それがたまらなく気に入らなかった。
「ニャア……ニャアァン」
まったく、手のかかる孫娘だ。
私がいないと夜は寒いだろうに。
足元を温める者もなく、どうやって眠るつもりなのだ。
私は布団にさらに体を押しつけた。
残り香を逃がさぬよう、目を閉じる。
長たる私は、決して寂しいわけではない。
ただ、私が守るべき存在が、今ここにいない。
それだけのことだ。
……一刻も早く戻ってこい。
お前には、私という保護者が必要なのだから。
外では雪が降り続いていた。
しんしんと、音もなく。
私の領地を白く埋めながら、春の気配を遠ざけていく。
だが、それでも私は待つ。
あの寒がりで、無防備で、放っておけない同居人が、また縁側で日向ぼっこをしたいと言い出す日を。
そのときは仕方なく、また隣で付き合ってやるつもりだった。
庭の梅の枝も、古びた縁側も、音もなく白く染まっていく。
私はコタツの中で丸くなり、その気配をぼんやり感じていた。
そのときだった。
けたたましい音が、家の外から近づいてきた。
「ウー、カンカンカンカン!」
私は耳をぴんと立てた。
なんだ、この騒がしい鳴き声は。
次の瞬間、玄関が乱暴に開いた。
冷たい外気が一気に流れ込み、家の匂いをかき乱す。
入ってきたのは、見知らぬ男たちだった。
揃いの服を着て、大声を上げながら、まっすぐサチコのもとへ向かっていく。
「サチコさん! わかりますか!」
「すぐ運びます!」
うるさい。
無礼な連中だ。
しかも土足のまま上がり込み、私の被保護者に勝手に触れている。
「シャアァッ!」
私は毛を逆立てて威嚇した。
これ以上、その子に触るな。
そう告げたつもりだった。
だが男たちは、私の声など耳にも入らぬ様子で、サチコを布に乗せ、あっという間に持ち上げてしまった。
サチコは動かなかった。
目を閉じたまま、いつものように「タマや」とも、「いい子だねぇ」とも言わない。
私を撫でる手も、力なく垂れ下がっていた。
私は玄関まで駆けた。
外には、赤と白の巨大な鉄の獣が口を開けて待っている。
赤い光を点滅させ、不快な声で鳴き続けていた。
男たちは、その獣の腹の中へサチコを運び込む。
やめろ。
どこへ連れていく。
叫んだつもりだったが、私の喉から出たのは短い鳴き声だけだった。
扉が閉まる。
鉄の獣は吠えながら、雪の降る道の向こうへ消えていった。
あとには、静かな空気だけが残された。
冷たい風が、しんしんと吹き込んでいる。
私はしばらくその場を動けなかった。
耳だけが、もう遠ざかってしまった騒音の名残を探していた。
やがて、家の静けさが戻ってきた。
いや、戻ったのではない。
元の静けさとは違う。
何かがひとつ、ぽっかり抜け落ちたあとの静けさだった。
私はゆっくりと家の中へ戻った。
居間。
台所。
縁側。
どこにもサチコはいない。
コタツはついたままだったが、その中にはあの足の動きも、布団越しのぬくもりもない。
湯呑みは半分ほどお茶を残したまま、卓の上で冷えていた。
「ニャア」
鳴いてみる。
返事はない。
やれやれ。
なんということだ。
あの子はまた、私の目を離した隙に無茶をしたらしい。
ひ弱なくせに、守護者である私を置いてどこへ行くというのか。
私は寝室へ向かった。
乱れたままの布団がある。
そこへ飛び乗り、鼻先を押しつける。
ほうじ茶。
古い化粧水。
日に干した布の匂い。
その奥に、たしかにサチコの匂いが残っていた。
だが、ぬくもりはもうなかった。
私はその場で丸くなった。
寒い。
家が寒いのではない。
この家から、サチコの体温が消えてしまったのだ。
それから数日、サチコは戻らなかった。
代わりに、息子という男がやってきた。
以前にも何度か見たことのある顔だ。
サチコの匂いを少しだけまとっている。
「タマ、ばあちゃんいなくて寂しいな。ほら、メシだぞ」
男は台所へ行くと、乱暴な手つきで袋を開けた。
ドサドサと、大量のカリカリが器に落ちる。
「ニャアーッ」
なんだその雑な献上は。
サチコはもっと丁寧だった。
器を置く手つきも、声も、私を見る目も、ずっとやわらかかった。
男は鈍感にも私の抗議を気にせず、がさつな手で頭をぽんぽん叩いた。
「ちゃんと食えよ」
無礼千万。
私はそっぽを向いたが、やがて空腹には勝てず、渋々器に口をつけた。
カリ、カリ。
噛み砕く音だけが、やけに大きく響く。
味気ない。
同じ食べ物でも、あの皺だらけの手がないだけで、こうも違うものか。
男はしばらく家の中を見回し、コートを羽織った。
「俺、病院行ってくるからな。大人しくしてろよ」
そう言って出ていく。
病院。
その言葉の意味を私は知らない。
だが、サチコのいない場所をそう呼ぶのなら、あまり愉快なところではなさそうだった。
また静かになる。
私は食事を終え、顔を洗ってから、家の中を巡回した。
居間、異常なし。
台所、異常なし。
縁側、異常なし。
誰もいない。
ガラス戸の向こう、庭には雪が積もっていた。
かつてサチコと並んで見た梅の木も、今はただ白く黙っている。
私は再び寝室へ戻った。
布団の隙間に顔をうずめる。
サチコの匂いは、日に日に薄くなっていく。
それがたまらなく気に入らなかった。
「ニャア……ニャアァン」
まったく、手のかかる孫娘だ。
私がいないと夜は寒いだろうに。
足元を温める者もなく、どうやって眠るつもりなのだ。
私は布団にさらに体を押しつけた。
残り香を逃がさぬよう、目を閉じる。
長たる私は、決して寂しいわけではない。
ただ、私が守るべき存在が、今ここにいない。
それだけのことだ。
……一刻も早く戻ってこい。
お前には、私という保護者が必要なのだから。
外では雪が降り続いていた。
しんしんと、音もなく。
私の領地を白く埋めながら、春の気配を遠ざけていく。
だが、それでも私は待つ。
あの寒がりで、無防備で、放っておけない同居人が、また縁側で日向ぼっこをしたいと言い出す日を。
そのときは仕方なく、また隣で付き合ってやるつもりだった。


