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伊鈴に別れを告げたのは私だ。後悔はまったくしていない。それなのに、ふとした瞬間にあの頃に戻りたいと思ってしまう。
たくさん傷ついて、たくさん傷つけたのに。
別れたいま、伊鈴のことはうっすらきらいで、だけど、紛れもなく大好きだった。
目を閉じれば、思い出が蘇る。
抱きしめられたときの温もりだとか、笑ったときの綺麗に上がった口角だとか、眠っているときの寝言だとか。
私はいまだに、彼の部屋と同じ匂いのディフューザーが嗅げない。あの店のディフューザーコーナーに立ち寄れるのには、まだ風化できていない。
ほかにも、彼にルールをいちから教えてもらったゲームや、彼と一緒に聴いた曲や、彼と一緒に観ていたYouTuberの動画や、ふたりで作った料理や、彼と一緒に行った場所も苦しいくらいに憶えている。
ふだんは大丈夫なのに、ときどき涙が出る。その瞬間を乗り越えたら、また大丈夫になる。
この恋は、夕立みたいだ。
真剣に向き合ったからこそ、彼との時間が大切な宝物になった。
また彼と会うのは、数年後の同窓会だ。
きっとその頃には大丈夫になっていて、「久しぶり」と言えるようになっているはずだ。
そのときまで、ときどき傘を差して夕立を凌ごう。
スマホを取り出して、天気アプリを開く。
今日の天気は、────晴天だ。



