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「ほら、志乃ちゃん起きて」
「ん〜」
「今日1限からやろ? 遅刻するで」
「……やば、起きないと!」
伊鈴は一人暮らしをしていて、私は実家暮らしだったため、夏頃からはよく彼の家に泊まっていた。
週の半分ほどを一緒に過ごしていたこともあって、かなり彼の存在が大きくなっていった。
伊鈴が食あたりになったときには、看病をして、たまご粥を作った。食後にりんごを剥くと、彼はうまいうまいと平らげていた。
反対に私が生理痛で辛いとLINEをしたら、大学の前まで飛んで来て元気になるまで一緒にいてくれたこともあった。
「志乃ちゃんが準備してる間、俺は食パンでも焼いとく」
「うわーん、ありがとう」
「よしゃ任せろ」
授業が終わって、そのまま彼の家に行って、朝まで過ごして、また授業に行く。
その生活が当たり前のようになっていた。
「あ、志乃ちゃん。今夜もSwitchで夜更かしやからな」
「くっ、今度は絶対負けへんから!」
「負けず嫌いやな〜」
「もちろん。じゃあ、行ってきます」
「あ、近くまで送ってく」
「神様」
夜は、ふたりで自炊をしたり、たまにデリバリーを頼んだりした。
「今日はリッチにデリバリーします?」
「あり! 私ピザがいい」
「よし、せっかくやからコンビニでお菓子買って、パーティーするか」
「そうしよ。結局外出て買い物するっていうね」
「アホみたいやけど、夜一緒にコンビニ行くのが趣やねんな」
「間違いない」
お風呂のあとは、必ず彼が私の長い髪を乾かしてくれた。時間かかるし面倒だろうからいいよ、と何度か断っても、絶対にドライヤーは譲ってくれなかった。その時間がすごく好きだった。
友達のような恋人。まさにその言葉がしっくりくる関係。
ただショッピングモールを回っているだけで楽しいし、夜な夜なゲームをして盛り上がるし、寝よう寝ようと言いながらベッドの上で2時間語り尽くした日もあった。
一緒にいるのはすごく自然で、楽しくて、笑いが絶えなかった。
だけど、1年ほど経った頃から、喧嘩が増えるようになった。
喧嘩というより、私が一方的に怒ることが多かったと思う。彼の発言や、行動が、少しずつ気になるようになってきて、なんだか愛されていないような気分に陥ることもあった。
怒りながら彼のことが好きなのに、彼の良さを私は潰しているのではないかとも考えるようになった。
だけどどうしても我慢ができないときがあって、そのたびに話し合いをした。
やめてほしいと伝えたことを改めてくれなくて、変わると言いながら変わらなかった。さらに相手に変わってほしいと思っている自分が傲慢のように思えて、うっすら自分のことが嫌いになった。
何度も、同じことを繰り返した。
「伊鈴も言いたいこと言いなよ」
「うん、なんていうか、そうやな」
「いいよ言いたいことあるんやったら遠慮せんと言って」
「うん、でもさすがに、言葉選んで伝えるな」
喧嘩をしても私が彼に怒っても、彼は感情的になって私を攻撃することなく、いつだって言葉を選んでくれた。そんなところも、すごく愛していた。
どうして好きなのに、こう上手くいかなくなったんだろう。
毎日のように泣いたけれど、好きだから、別れたくなかった。
「……最近は伊鈴の良さを、私は押しつぶしてるよね」
「でも、俺が悪いやん」
「伊鈴は伊鈴そのままを受け入れてくれる人のほうが良いんよ」
「そう、なんかな」
伊鈴はこういうときに、そんなことないって言ってくれない。優しさなのかもしれないけれど、そういうところに愛の所在を見失ってしまうのは私の悪い癖だった。
「もう、……俺ら無理なんかな」
ふたりで話し合ったあの夜、最後はお互い涙が止まらなかった。
嗚咽が混じって何を言っているのかわからなくなるくらい、ふたりとも必死だった。
こうなってしまった理由は、簡潔に言えば“一緒にいないほうが良いと思ってしまったから”だ。詳細は、もう思い出したくはない。鮮明に記憶を呼び戻すと、あの夜が蘇る気がした。
別れたくない、でも別れたい。
矛盾ばかりの思考から、何度も泣いて、泣き疲れて、数日後どうにか別れる決心がついた。
「……伊鈴、別れよう」
彼は引き止めなかった。
私に「いままでありがとう」と言った。
いままで、という言葉になぜかとても苦しくなった。
高校のときからの思い出が波のように突如押し寄せてきたことと、もうふたりのこれからはないんだと痛感したことが原因だったのかもしれない。
引き止めない彼は、最後なのに意地悪だと思った。
だけど勝手に限界を迎えて別れを告げた私のほうが、よっぽど酷い人間だろう。
別れてすぐ、LINEも削除しインスタの相互も外した。
彼の存在をなるべく見ないように、彼の情報に触れないように努めた。



