夕立みたいな恋だった





彼のことを好きになった瞬間を、いまだに鮮明に覚えている。


高3の春。化学の授業で、実験をする日だった。
中学生の頃に実験で軽い火傷をしたことがトラウマになっていた私は、着火マンで炎を付ける作業が極端に苦手になっていた。けれどそれは私の役目になっていたため、他の作業をしている子に頼むのは気が引けていた。人に頼ることが得意ではなかったのも理由のひとつだ。

……怖いな、また火傷したらどうしよう。
いや、でも火傷するほうが珍しいんだから、さっさと終わらせよう。

覚悟を決めて震える手で着火マンを持って、ガスバーナーに近付ける。

大丈夫大丈夫、と心のなかで唱えていたその瞬間だった。

「貸して」

えっと声を出す間もなく、同じ班の彼────清水(しみず)伊鈴(いすず)が私の手から着火マンを取り上げた。

「作業終わったし、なんか佐藤(さとう)が火つけるの危なそうやから俺やるわ」
「伊鈴……私だって火つけるくらいできるって」
「おけおけ」
「適当に返事せんといてよ」
「んー。あ、火ついた」

ほれ簡単、と青く光る炎を指差して、伊鈴がニコッと笑った。

きっかけはただそれだけだったように思う。
伊鈴はクラスのリーダー的存在で、よく周りを笑わせている男の子だという印象で、同じクラスになったこの春からは当たり障りなく話をする程度だった。
男の子はもちろん、女の子ともよく喋る人だ。それはモテているというより、皆んなが喋りやすい人というイメージだ。

「ほんまにありがとう、伊鈴」
「えーよ」

ただのお調子者だと思っていたけれど、私の異変に気がついたのか代わってくれた。
それを認識した途端、なぜか心臓がうるさくなった。あ、好きになるかも、なんて思考もちらついた。

助けてくれた、優しい人だ、ギャップじゃん……嬉しい。
頭の中でぐるぐると色々な感情が渦巻いて、実験中はそれほど面白くない話題でも、彼と喋っているとき無駄に多く笑ってしまったように思う。


いま思えば、好きになる理由が単純すぎる。
だけど、弱っているときに助けられた……というのは恋のきっかけでよくあるものだ。



それからは、出席番号が前後ということも相まって、どうでも良いことでゲラゲラ笑う仲になった。ノリが同じで、笑いのツボも同じで、すごく気が合った。

志乃(しの)ちゃんさ、今日の担任のネクタイ見た?」
「見た。ネクタイの柄、魚やったよね」
「担任の苗字、海野(うみの)やから魚に親近感持ってんのかも」
「バカ、担任に聞かれたらどうするん」
「いやいや、志乃ちゃんがあのネクタイ見て肩震わせてたん俺知ってるからな」
「げ、サイテー」
「ふは。げ、とか言うなよ」

彼は私のことを“佐藤”から“志乃ちゃん”と呼ぶようになった。それはまた仲の良い証拠のようで、少し嬉しかった。

しかし私たちが通う高校は進学校であり受験生だったため、お互い好意を持っていることは感じつつも、受験が終わるまでは何もアクションは起こさないまま時が過ぎた。

受験に没頭していたからか、あっという間に1年が過ぎて、気付けば高校の卒業式の日を迎えていた。

「志乃さ、伊鈴に告白せんくて良いん?」
友達にそうけしかけられても、どうしても勇気が出なくて首を横に振った。
「もう良いよ。大学で新しい人見つける」
「えー……そう?」
「相手も何考えてるかわからへんし、どっちもまだ大学決まってないし」
「まあ、それはそうやね」

意地だったのかもしれない。
もしかしたら彼から告白してくれるかも、だなんて自意識過剰なことを思っていたし、いやいっそ大学で新しい人探そうかなだなんて投げやりにもなっていた。

その日、伊鈴とは一度も話さなかった。
卒業式なのに、ひと言も。