白い君、紅い唇

19話 題:白日                  
太陽は苦手。それは産まれ持った体質の関係でもあるし、僕を影から引きずり出してしまうから。この白くて死んだような見た目のせいで気味悪がられて、それのせいで人を信じなくなって、さらに孤立した。
そんなとき、小学3年生のときに間違った運命が定まり始めた。
「今日は楽しかったね。凛人」
僕の本当のお母さん。黒沢優子はこんな見た目の僕をちゃんと愛してくれた。誕生日には僕に似合う白い石のペンダントをくれた。
「凛人。ずっと深海生物見てたな」
「たのしいもん!」
お父さんの黒沢善一は、お母さんと同じで僕のことを愛してくれる。それにこの人は正義感が強いから困ってる人は助ける。まるで戦隊モノのヒーローのようだと思っていた。
「ねぇおかあさん。おかしたべてもいい?」
「ご飯食べたあとなら、ね」
「むぅ…」
「じゃあ、家まで競争するか凛人!」
「家に早く着けば、お菓子も早く食べれるぞ!」
2月の寒い時期だけれど、お父さんは夏のように暑かった。
「うん!おかあさんもかけっこやろ!」
「よーし!まけないぞ〜!」
信号が青になって、横断歩道を走って渡る。体の大きさの関係で僕は一番最後になってしまった。渡り切ろうとしたとき、手に持って触っていたペンダントを落としていることに気づいた。
あれはお母さんからもらったものだったから、僕は赤信号になったのに気づかずペンダントのところまで引き返してしまった。
軽自動車が走って来ていることなど一切考えずに。見て気づいた時には大きなクラクションの音が響いていた。この時の僕は何が起こるか想像できなかった。
一瞬で鈍い音ともに、僕の手から日傘が飛んでいって、コンクリートに横たわっていた。周りにいた人が悲鳴を上げていたり、慌ただしく逃げていく様がなんとなく理解できた。
オレンジ色の空を見ていた、灰色の瞳は僕の体に纏わりついた大きな体を認識した。
それは紛れもなく、僕の父親。黒沢善一だった。
お父さんは僕を庇った。当時はただ、紅いジュースを流しているくらいにしか認知できなかったけれど、なぜだかそれは凄く。
魅力的に見えてしまった。
今まで味わったことのない、高揚感。お父さんの顔をなぞるととても冷たく頬に流れた紅いジュースが指に付着した。変な匂いがしたから食べてはいないけれど。
「おとうさん」
上に乗っかった屈強な腕をどかして、冷たくなった体を揺する。これはきっと寒いからではない気がした。僕を見れば笑っていた顔も、今は全く動かなくて、その顔は生きていた頃の笑顔より綺麗に思えてしまった。
「あっ…」
拾いに行ったはずの白いペンダントは紅く塗れて、割れていた。破片を集めていたら指を少し切ってしまった。そこからはお父さんと同じ紅いジュースが流れ出たことに驚いた。
「おかあーさん」
辺りを小さい体で見回しながら、お母さんを探す。横断歩道の先で俯いて力が抜けたようにしゃがんでいた。
「ごめんなさい。これ、こわしちゃった」
お母さんは僕の言葉に一切反応しなかった。ただ、見たことない暗い顔をして、泣いていた。
「おかあさん。このあかいの、なに?」
僕は切れて紅いジュースが滲んだ白い指を見せる。それを見せても、お母さんは何にも話してくれなかった。
「ねぇ、おかあさん、おかあさん」
お父さんと同じように、体を揺する。お父さんとは違って暖かったその体は、とても気持ち悪いと思ってしまった。冷たくなった体はとても、気持ちよかったというのに。
沢山の大人が駆けつけて、それから知らない車にのって何処かへ行った。大人がなにか話していたような気がするけれど、僕はもうあのお父さんの姿と、あの紅いジュースの匂いと、冷たい感触で頭がいっぱいになっていた。
それからお母さんと静かな場所へ行った。そこには沢山人がいて、みんな僕とは真逆の黒い服を着て、泣いている人が何人かいたのを覚えている。勿論お母さんは泣いていたけれど、僕は一粒の涙もこぼすことは無かった。
お父さんの写真の周りには白い花が飾られていたことを覚える。その花はいままで見たどの花より、綺麗だった。
「おかあさん。このおはななぁに?」
「………菊の花よ」
「そっかぁ、きれいだね。このおはなさん」
「…………そうね」
久しぶりに微笑んだその顔は、あの時の笑顔より酷く真っ黒だった。その顔はなんだか怖くて、そのまま真っ黒に塗りつぶしてしまいたかった。
お母さんと手を繋いで暗い夜道を歩いていると、バッタが踏み潰されたのか、ぐちゃぐちゃになって落ちていることに気づいた。
その様に、お父さんとはまた違う美しさを感じた。
足を止めて見惚れているのに、お母さんは足をとめることはなかった。無理やり手を引っ張られて少し痛かった。
あの日から、お母さんはまともに僕と喋らなくなってしまった。ご飯も買ってきたおにぎりが数個と、魚がプリントされたコップには水道水が雑に注がれていた。
一緒にご飯も食べず、ずっと部屋に籠っていて、たまに泣いている声が微かに聞こえていて、ご飯を買いに行く時に出てくるときのお母さんは、髪がボサボサで昔のように丁寧に整えていなかった。僕を前のように連れて出ることはなかった。
***
小学4年の冬の帰り道。僕は前に見た動かなくなってバラバラになったバッタを家に持って帰った。水族館のお土産に買って帰った、お菓子が沢山入っていた大きな缶の中に入れた。
この大きな缶の中はきっと、宝物だらけになるんだと思う。
それから、小学校の帰りには毎回動かなくなった虫を探すようになった。
ある時、スズメの雛が落ちていることに気づいた。手袋越しにスズメを触ってみても何も起きない。これもまた、動かなくなっている。
それなら、このスズメも宝物になる。
もう随分、集まってきた。満杯にはほど遠いけれど、僕の気持ちはどんどん満たされていく一方だった。集まって発生した匂いはあの時のお父さんの紅いジュースと似ている匂いがした。
お母さんは僕がこんなことをしているなんて、一切気づいていない。もう最近、おしゃべりできてない。どうすればお話できるかな?お母さんは僕のことを知りたいかな?
そんな僕はあることを閃いた。この選択はきっと正しいものだと僕は信じ切っていた。
こんなに綺麗なものを、お母さんにも見せないと。
玄関を開けて帰ってきたお母さんに、僕は笑顔で話しかけに行った。
「お母さんみて!」
印象に残る可愛い魚がプリントされたお菓子の缶を開けて、大量の動かない生物を見せる。
「バッタも、鳥も、クワガタも」
「とっても綺麗でしょ!」
開けると、あの匂いが一気に解放された。お母さんは苦い顔をしていたけれど、僕は関係なしに様々な虫や動物を見せる。
「……はっ……?」
買い物で買ってきたものが、床に寝そべる。
「お母さんにもあげる」
一番カッコいい、クワガタを手渡しする。でもお母さんは手を差し出すことはなかった。
「………なさい」
「なぁに?」
久しぶりに聞いたお母さんの声は、小さく掠れて聞き取りにくかった。
「捨ててきなさい!!!!!!」
なのに突然、聞いたことない金切り声を上げ、缶を払い飛ばし虫や動物が散乱する。
「………失敗した……」
「………あの人が死んでなければ…」
頭を掻きむしりながら、小さい声でそう聞こえた。ボサボサになった髪の毛はさらにボサボサになっていた。
「…お母さん…」
涙目になった僕は、何で怒られたのかさっぱり分からなかった。
散乱した虫や動物を集め直し、お母さんの部屋の前で「ごめんなさい」と繰り返し言っていた。
部屋から出てきたときのお母さんの目は、酷く怖いものだった。
「お母さん…」
「…何で、あの人みたいにならなかったのかな………」
「何でこんなことになったかな…」
消え入りそうで苛立っている声で呟いたけれど、静寂なこの空間にいる僕の耳にはちゃんと聞こえてしまった。
翌朝、目が覚めて部屋を出るとお母さんの姿が見えた。テーブルの上に乗っていたから、何をしているのか話しかけに行った。
「お母さん!おはよう!」
足に触ると、お父さんのときみたいに、冷たかった。
よく見るとお母さんは足を宙に浮かして、揺れ動いていた。電気をつけないとお母さんの顔はよく見えなかった。
あの時の金切り声も、小さくて掠れた声も聞こえなかった。聞こえたのは、なにかが軋む音と、僕の心臓の音だけだった。
僕はなんとなく理解した。きっとお母さんはお父さんと一緒になったんだって。
学校にも行かず、一日中ずーっとお母さんを眺めていた。
怖い目もしない、怖い声も出さない。そのお母さんはとても…。
綺麗だった。
人がこうなると失敗したとも言わない、僕を悪く言わない。僕はもうこの現象が素晴らしいものだと確信した。
小学校に来なくて心配したのか、家に来た先生が悲鳴を上げすぐに誰かに電話をして大人がいっぱい来ていた。ザワザワとしていたけれど、僕にはお母さんしか見えなかった。
薬の空き瓶や、タバコの箱が落ちている。
箱にあった頭がきり離された芋虫を見て、またお母さんを見る。
「お母さん。この芋虫と一緒だね」
うるさい音なんて、聞こえなかった。
僕は、あの家から離れて別の家に移り住んだ。ここは僕と同じで、お母さんやお父さんがいない子が来る所。
新しい小学校に来たけれど、僕と話す子は一人もいなかった。それはここに来てからも、前の学校でもそうだった。それにこの家だと、動かない虫や動物を集めることができなかった。
集めたものは全部、持っていかれてしまったからやることがなくなってしまった。暇を持て余していると、虫や動物の本が目にとまった。開けば沢山の虫や動物が動かない状態でそこに居た。僕はあっという間にその本に夢中になってしまった。
それでも僕は、自分の手で集めれないことにモヤモヤを越えて、まだわからない苛立ちと不安の感情に支配されてしまった僕は、シャープペンシルで指を刺して紅いジュースを出す遊びをしていた。痛かったけど、これを見れるならいいかなって思った。
でもそれをここの家の人に見られて怒られたから、もうやらないことにした。
苛立ちと不安を抱えながら本を読んでいたある時、大人が二人。僕のことを選んだみたいだった。
長い年月の後、僕は白川凛人として新しい僕みたいに白くて、とても大きい家で過ごすことになった。
「ここが新しいお家だよ」
この人は白川聡一郎で、僕の新しいお父さん。前のお父さんよりかは暑くない人でヒーローとは呼べなかった。
「よろしくね。凛人くん」
僕の新しいお母さんの白川真美子。前のお母さんよりかは怖い顔をしなかった。
僕の一番の嬉しいことは、動かない虫や動物を集めれることにあった。運よくこの家は広くて、見つかりにくかった。
なのにある日、虫を持っているところを白川聡一郎に見つかってしまった。
また前のお母さんみたいに、怖い声を出すかな…?怖い顔をするかな…?
返ってきた反応は、全く違うものだった。
「凛人。死体に興味あるのか?」
「…えっ……死体ってなに?」
「今凛人が持ってる虫の状態のこと」
「わぁ…。じゃあ、あの紅いジュースは何ていうの?」
「指から出てきたの」
「……それは、血のことかな?」
「ち。っていうんだ…」
「そうだよ。それで凛人は死体に興味あるのか?」
「うん!興味ある!」
「じゃあ…お母さんには内緒な」
「うん!!」
前のお父さんよりヒーローではないって思っていたけれど、全然こっちのほうが僕のヒーローだった。
長い期間、色んな死体を集めるようになって、お父さんにも協力してもらうことになった。今のお父さんは僕が知らない死体の集め方を教えてくれたり、大切に保存できる方法も知れた。僕はここにきて色んな知識を知ることができた。
そんなある日、お父さんとお母さんの大きい声が屋敷から聞こえてきた。この声を聞くとあの時を思い出して、スマホを手に取って声の方向に行くと何やら喧嘩しているみたいだった。僕は動画撮影を始めた。なんだか良いことが起きそうだったから。
声はさらに勢いを増して、お母さんが倒れる瞬間を見た。近くに行くと血がどんどん溢れて、紅が床に染み込んでいた。
血に触れたかったけど、お父さんに気付かれたら、また怖いことになるかもしれないから急いで部屋に戻った。
寝たふりをしながら僕は考えた。あれは一体どうなるのか、前のお父さんもお母さんも僕のコレクションにはならなかった。なら、今のお母さんは一体どうなるんだろう?
僕にくれると、嬉しいのにな。
朝焼けが訪れても、お父さんは何もない様子で僕に接していた。きっと僕は知らないって思っているのかもしれない。もし気づいていても、僕はきっと何もしないって思っているんじゃないかな。その考えはきっと合っていて、ここがなくなったらまた苛立ちと不安の日々に戻ってしまう。
そんなことを考える僕の頭は紅い血でいっぱいだった。僕が見ていた人の死体はいつも血を流している。血が死体と関係があるのなら、僕は、血が欲しい。
そうだ、死体の血を、飲めばいいんじゃないのかな。
この色褪せた唇が鮮烈に紅くなったら、凄く素敵だと思うな。
でも、自分の指を刺していたらまた怒られてしまいそうだったから、お父さんにそのことを言った。
「血が飲みたい…?」
「うん。そうしたら死体と一緒になれた気がするでしょ?」
「…なら、血の細菌を消す薬を作ろうか」
「普通に飲んでは危ないから、必ずお父さんに言うんだよ」
「うん!ありがとう!」
冷たくない手が僕の頭を撫でる。この人も冷たければ良かったのに。
中学生になっても変わらず死体収集を続け、当たり前に血の儀式をこなすようになって、僕にとって死は隣にいて当然になった。
小さい頃は知らなかったことも、今なら全部説明できると思う。
そして高校1年の時、いじめの被害にあった。
僕の全部を否定してくるこの学校には、居られなかった。でも今のお父さんは僕を新しい学校に通わせようと行動していた。死体収集も、保存もこなしてながらもなんだかんだ学校に通っていたのはお父さんの思想のせい。もっと死体収集に時間を使えるはずなのにって思うばかり。このとき僕は本当にこの人はヒーローなのかって疑問に思った。ヒーローでも…父親でも。
この人は、僕を拾った。ただの養父の人。
それなのに、あの人はいつも僕の期待に応えてくる。この関係は、なんて吐き気がするんだろう。
運命が変わったのは、高校2年生のとき。秋あたりの時期に転校してきた僕はまた嫌な未来に動いてしまうと感じていた。
そんなとき、珍しく僕に話しかけてきたのは隣の席に居た。
早頭修という青年だった。何故か分からないけれど、この人は僕に興味を示してくる。今まで見たことないほどに。
始めて会ってから分かったのは、この人は僕のことをちゃんと見てくれているっていうことだった。そんな存在を僕は、手放したくないなって思った。長年孤独に居た僕が、この人を好きなるのにさほど時間はかからなかった。
いつか、僕の、宝物になってほしい。
そんな願いを抱えて、今まで生きていたというのに。死こそ僕の象徴だと言うのに、そんな僕が。
一人の青年を生き延びさせたいと、思ってしまった。
***
「……んと……」
聞き慣れた、優しい声が振動と共に聞こえてくる。ぼんやりと外を見れば紅葉が遠くに薄ら見えた。
「凛人」
「………ん…?」
気づけば車の中に居た。隣には、あの時より大人びた早頭修が居た。死んでない、魂だけというわけでも、お化けというわけでもない。
生きて、そこにいる。
もし、あの時死んでいたら、一緒にお出かけも、修の面白い反応も、優しい心も全部なくなってたんだ。血が滲んだ紅い唇がちょっとだけ震えた。
「なんかうなされてたけど、大丈夫?」
「…大丈夫。声を聴いたら安心した」
「なら、まだ寝てていいよ。水族館結構遠いからな」
「…うん。ありがとう」
「何の夢見てた?」
当たり前に喋りながら運転をこなせる修は、随分見てきた。
「………修が知らないこと」
「俺に教えてくれないの?」
「今の記憶で塗りつぶされたから、もう思い出せませーん」
「そんなぁ…」
こんな記憶、白日のもとに晒す必要はない。だって昔の僕が考えないようなことを今しているんだから。
生きて、朽ちる所を見たい。僕のために汚れる修を見たいなんて。そっちのほうが贅沢だと思う日が来るなんて。