白い君、紅い唇

17話 題:契り                   
朝日が顔を照らして、瞼ごしに光を感じる。白色の陽光は凛人のようだった。
そんな凛人は俺の上に乗って穏やかな表情を浮かべて寝ていた。なんともまぁ幸せすぎる光景なのだろうか。そう思うと同時にこの体勢が官能的すぎていかがわしい想像をつい働かせてしまった。罰ならいくらでも受けますよ。
「あっ…そうだ」
ポケットを探って携帯を取り出す。恒例にしたい凛人の寝顔撮影タイムを俺は開始する。俺は反省した、連写音で起きてしまうことを考慮して動画撮影に切り替えた。
一切の手ブレなく俺は凛人の寝顔を色んな角度から撮影していく。
白いまつ毛も、色の薄い髪の色も、透き通った純白の肌、そして血を含んでいない紅い唇。凛人を構成するすべてが完璧なまでに美しい。カメラ越しだとしても美しさが変わることは無い。
「……綺麗に、撮れてそう?」
「えっ!?」
いつから起きていたのか、慌てる俺を横目に凛人は俺から降りて隣に座る。
「おはよう。修」
「あ…うん、おはよう。凛人」
「今日は家で朝ごはん食べよっか」
「あぁ。そうだな」
今日は都合よく休日なので、一日凛人の屋敷で過ごすのも悪くないかもしれない。いや、過ごしたい。そんな欲望もきっといつか実現すると俺は思う。
「…痛〜」
玄関でそのまま寝たせいで体が馬鹿みたいに痛い。布団のありがたみを感じた朝になった。まぁ、凛人が痛くないならいいか。
大分見慣れたこの屋敷のキッチンで俺は凛人と一緒に朝食を作る。ギリギリ冷蔵庫にあった食材で副菜は作れそうだ。
朝にこうして並んで、キッチンで料理をして、朝日を感じられるこの時間は計り知れない喜びの時間になるだろう。
「洋食になりそう。いいかな?」
「さすがに我儘言えないな」
凛人が食パンを2斤だしているその姿はもう、嫁と言っても過言ではないのだろうか?
いや、それを確実なものにするために俺は今日この日に凛人に想いを伝えるのだ。そう思いながらも準備を着々と進めていく。
トースターで焼いて食パンからトーストに変化したこれに残り僅かのバターを塗って、凛人が買ったであろうヨーグルトを並べる。俺と凛人、どちらもアロエのヨーグルトだ。それしか無かったのでしょうがない。
「アロエ好きなんだ」
「うん。美味しくて」
「じゃあ、俺もアロエ好きってことで」
「…そうしよっ!」
もっと可愛くなったその笑顔を直接見ると流石に目が潰れてしまう。
透明なコップに牛乳を注いでいる姿はまるでヨハネスフェルメールの牛乳を注ぐ女に似ている。凛人は一体どこまで魅力的なのだろうか。
スピーディーに朝食が出来上がり、対面で朝食を食べ始める。質素だけど、どんな朝食よりも価値がある。単純なもので構成されているものをどれだけ引き立たせるかはその人次第だ。
「あっ。修それ…」
「うん?」
胸元を指差されて見ると、紅いリップをつけた唇が白いシャツに堂々と移っていた。うつぶせで凛人は眠っていたのだし、リップを取る前に寝てしまったのだから必然なことだろう。
「ごめん。リップ取るの忘れてた…」
「いや家宝にするよ」
「えぇ〜」
流石に若干困惑した顔を浮かべているけれどきっと嬉しい…はず。この白シャツが一生洗濯ができないことが確定したことで朝食を再開する。
あの、黒くて重い空気の家で食べた好きな鯖の味噌煮よりも、このトースト一枚と質素な副菜のほうが味わい深くとても美味しい。
「うん。凄く美味しい」
「修と食べるご飯は美味しいなぁ」
「俺も、そう思ってるよ」
「気が合うね!」
「前から、だろ?」
人生で一番美味しい朝食を食べ終えるのは名残惜しいけれど、凛人との時間は無駄にできない。朝食を食べたあとでこんなに晴れやかな気分になったのは初めてだ。
愛の感情を持っていると、世界はここまで澄み渡るというのだ。今最も幸せな人間ランキングというのがあれば、トップ3には確実に食い込むだろう。むしろ贅沢に1位と言ってもいいかもしれない。
今日は休日で、凛人と長く一緒に居れる日。前に一緒に映画を見に行ったときよりもずっと楽しい。これは俺たちの関係がより良くなっているものだという十分な証明になる。
俺は今、本当に贅沢をしすぎているような気がして、また悪いことでも起きないだろうかと考えてしまう。
「俯いてどうしたの?」
「俺、贅沢かな?」
「……贅沢で何か悪いの?」
「悪いことが起きないといいなって思ってさ」
「もし起きちゃったら、また一緒に乗り越えよう」
「大丈夫。修が居れば百人力だもん」
「ははっ。俺任せか!」
いくらでも任せてくれていい。君には全て捧げるって決めているんだから。
「それで、今日はどうする?」
「また、死体集めでもするか?」
「今日は…辞めとく」
儚く言ったその言葉の後、光が差して灰色の瞳を鮮明に引き立たせた。凛人の目に映った俺の姿は遺影のようだ。
「その代わり、今日はいっぱい修とお出かけする!」
真反対の弾んだ声に反して、不相応なまでの凍てついた美しさの顔だった。
「それでもいい?」
「いいよ!」
ほぼノータイムでOKを出した俺は凛人の前じゃ本当に単純な男になってしまう。俺の脳なんていつの日か、壊れてしまったのだ。良い方向に、壊れたのだ。
「じゃあ早速行こうか」
「あ!待って!」
慌てて凛人が腕を掴んできた。細身な腕は俺の腕を緩やかに掴んでいる。
「流石に、その服で歩くのは、ね…」
俺の胸元には、紅い唇の跡が残っている。流石にこれで歩くのは不味いか。見せびらかすような趣味は無いし。というか俺の白シャツは俺よりも早く凛人とキスしてるって考えたら、腹が立ってきた。シャツに嫉妬しだすなんて俺はもう末期なのだと確信する。
「…僕の服、貸すから」
超最高の展開が訪れた。これは俗に言う彼シャツと呼ばれるやつで間違いないだろう。俺の脳内は凛人の服で埋め尽くされた。その事を考えながら歩いているせいで壁にぶつかりそうになる。多分凛人は慌てた顔をしていそうだ。
この広い屋敷には服だけの部屋なんてものもある。一つの部屋が丸々服で綺麗に陳列されているその様は、洋服店と比較しても差し支えなかった。
「着替える所はそこだから」
指を差した所はまさに試着室と同義だろう。しっかり全面の鏡も用意されている。
「修は僕よりちょっと大きいから、入るといいけど」
俺は176センチで、凛人とは4センチ差で若干窮屈なサイズは、凛人の世界に俺を無理くり介入させている気分になった。そのくらいは許してくれないかな。
「あっ!」
「びっくり〜どしたの?」
「俺、風呂入ってねぇ」
「…あぁ。そういえば僕も入ってないなぁ」
「今度は、一緒に入る?」
「…………………すぅ…………………………」
今一緒に入ったら、理性が保たなそうなので苦渋の決断を俺は下した。
「………先に、ハイッテ、キテ」
「ちょっとカタコトになってる」
凛人はクローゼット?から出ていって、風呂場へ行ったようだ。俺は凛人が風呂から出てくるまでに色々服をみて回る。
お洒落なスーツやカッターシャツなど、年齢に反して不相応な服もあれば、パーカーやジャージ。ジーンズなどカジュアルに着こなせそうな衣装も用意されている。
バリエーション豊かで何を決めるか決めあぐねてしまう。オシャレはあまりしてこなかった人生だったのが今とてつもなく後悔している。
軽く何着か手に取ると、俺は悪魔に負けて匂いを嗅いでしまった。甘い柔軟剤の匂いがして、大変興奮した。何着か嗅いで我に帰って、随分凛人にのめり込んでいることを改めて自覚した。
「今日は、一段と変だな…俺」
「明るい修はとっても魅力的だよ」
最早、声すら出なかった。俺の脳は時間の逆算を始めて出した答えは、俺の変態的行為を見ていたというものだ。
「……ごめん」
「どうせ着るんだから。匂いが気に入ってくれてよかった」
「お風呂どうぞ」
お風呂上がりという白い顔の頬が桃色に染まって、僅かに濡れた髪の質感や、パジャマ姿という余りにも素晴らしい状態を直視できず、俺は若干目線を外して応答する。
「…はい」
「あ。脱衣場に服、仮置きしといたから」
「…ありがとう」
「…………風呂場ってどこ?」
「……1階降りて、左の廊下に行って、4つ目のドアを空けたらあるよ」
「了解」
教えてもらった道順を辿って、風呂場へ着く。開けると脱衣場の段階で結構広いことが分かる。俺のアパートとは大違いだ。次いで目にとまったのは、白い大きめのタオルと両方黒のパジャマらしき服。そして肌着とボクサーパンツだった。
下着がさらっと用意されているけど、これは流石に新品だろうか。もし使っているやつだったら俺の皮膚と凛人の皮膚が間接的に重なることで俺の脳はありえない程の高揚感を覚えて体温が指数関数的に上昇して、それから……。淡々とそういうことを考えるようになってしまったな…。
そしてさらに目にとまったのは、洗濯かごに入った凛人が脱いだ服と下着だった。
…今日はあまりにも誘惑が多すぎる。
服を脱いで、かごにかけて置いておく。流石に一緒の所には入れない。
風呂場の扉を開ければ、お湯の熱気を一気に感じる。そうだ。さっきまでここに凛人が居たのだ。凛人の裸はきっと石像のように白くて、水に濡れたその肉体は凹凸に沿って水が滴る所が一番のポイントで凛人の魅力を爆発させるのだろう。
そしてこの椅子。もし凛人が座っていたのなら、ここに座ることで擬似的な皮膚の接触が可能という訳で…。
もう駄目だ。色々膨れてしまう前にさっさと身体を洗って、湯船に浸かる。昨日入れたっきりのお湯は追い焚きされて十分体が温まる。
妄想を働かせた体が高揚しすぎて熱中症を引き起こす前に、風呂場を後にする。
脱衣場に綺麗に畳まれて、鎮座している衣服をもしもの事を考えて、ゆっくり着替える事にした。この黒いパジャマらしき服も、下着二種もちょうど良いサイズで凛人の凄さを改めて知った。
高級そうなドライヤーで髪をいつもより丁寧に乾かした。いつもはもっと雑なのだが、凛人といざ出かけるとなると丁寧にせざるを得ない。
「……お待たせ」
服が陳列された所に凛人がいると、ファッションモデルがプライベートで服を選んでいる様子に見える。
「うん。パジャマ合ってて良かった」
「あぁ、ピッタリだな」
「…よし、服決めよっか」
数多の誘惑の状況下で、若干頭から消えていた本来の目的を思い出した。
「うーん…。俺、服選ばないから分かんないんだよな」
オシャレに時間を割くのが無駄だと考えていたので、一日パジャマなんてザラにあった時もあった。
「じゃあ、練習しとこ。後々困っちゃうから」
「そうだよな…」
自分の容姿や、背丈、性格を鑑みて決めた衣装を手に取って試着室で着替える。
「どう?」
選んだのは、触り心地が良かった白いカッターシャツと、足の長さに合致しそうな黒のスラックスだ。
凛人は少し驚いた顔をしてから、吹き出すように笑った。
「いつもの修だね」
「あ…やっぱそうか……」
「いいよ。修がそれ選んだんでしょ?」
「逆に見慣れてて落ち着くよ」
「じゃ、これで」
これから仕事に行く風貌は、俺の未来を映しているように見えた。会社員になって凛人を支えていたら、どれだけ幸せだろうか。
「行くか!」
外に出れば、陽光に照らされて心地よい。陽光が苦手な君でも浴びられそうな穏やかで心地よい暖かさだった。それでも日傘を差していたけれど。
「…それで、どこに行こうか」
勢いよくは出たのはいいが、何にもプランを決めていない。無策で行動なんて昔の俺が知ったらどう思うのだろうか。凛人とのデートに無策で臨むなんてありえない。って言うかも。
「そーだなぁ…」
「……公園まで歩く?」
「そーすっか」
お決まりの場所には顔を出しておくのも悪くはない。道中、枯れた花や死んだ虫が転がっていた。随分回収したはずなのに未だ湧いて出てくる様に命の巡りを感じた。
凛人を見れば、収集するときの達観した玄人の表情を浮かべていた。灰色の瞳が見ているものは命を狙っていない、純粋に繋ぎ止めたいだけという思いが読み取れた。
昔の俺が知らない、凛人のその姿に俺はまた一段階恋をする。今日にでも俺は君と同じ場所へ行けるだろうか。
「死体集めじゃないとあんまり来る意味ないな〜」
「…あ、そうだ。久々に書店に行こうか」
「うん!行こ」
3カ月ぶりくらいに二人で書店へ向かう。前に行ったあの書店。俺が凛人の冷たかった手を知って消臭剤の匂いを知ったとき。オススメの本を教えてもらったとき。この日は俺をより一層、退屈から引き剥がした瞬間だった。
あの時期のほどよく寒い風を思い出して横並びに書店へ足を運ぶ。
「懐かしいね。この道歩いたなぁ」
「あん時の俺はもういないだろ?」
「だいぶ消えてきたかな?」
俺はだいぶ凛人に近づけているようだ。きっと今日は全てが上手くいくはず。
昔のことを思い出していたら、ある時トイレに行ったっきり帰ってこずに連絡も一切つかなくて翌日になったらしれっと居たっていうエピソードの真相を聞きたくなった。
「なぁ、凛人。昔さ、連絡が一切つかなくて翌日になったら普通に居た時があったじゃん?」
「………あったね」
「なんでかなって思ってさ」
「……うーん」
落ちた枯れ葉を軽い足取りで飛び越えた。凛人はあくまで踏み荒らすようなことはしない。
「あの時の僕は、修より大事なものを優先してたから。かな〜」
確かにあの時の凛人は生きている奴に興味が無かったとは思う。出会って間もないからまだ仕方ないのだが、なんだか負けた気がして凄く悔しい。
そんなことを話していたら到着していた。一切変わっていない中田書店に入って本をのんびり眺める。
あの時の凛人におすすめしてもらった小説はまだ店頭に並んでいた。この小説の感想は細かく凛人に感想を伝えていた。
「まだ、残ってるんだ」
「今は本読んでる?」
「最近は修との生活が忙しくて読めないなぁ〜」
「それは、幸せか?」
「そりゃそうでしょー!」
オススメの小説はないとのことなので、とくに買わず書店を後にする。この思い出も二人で懐かしいと笑い合えるといいな。
「次は…どうしよっか」
「修まだお金あるよね?」
「あぁ、まだ遊べるぞ」 
今日はいくらでも君に付き合うよ。なんて未だ言えない。意気地無しな自分をひたすら恨む。
「じゃあまた映画見に行こっか」
「見たい映画があるのか?」
「うん。今日は修でも見れそうなやつだから安心して」
見たいのが無かったのでありがたい。…こう思ったのは2回目だ。いい加減見たいもの決めとくべきだな。凛人は映画好きそうだし。
またも前に行った、タケノコ公園の近くにある映画館を目指す。タケノコ公園は、凛人がスズメの死体を回収した所で、その横顔が美しかった事を今でも鮮明に思い出せる。
昔の俺は忘れても、凛人だけは忘れる事はない。あってはならない。
都合良く凛人の見たい映画の上映時間と、今の時刻が10分差だった。やっぱり今日は上手くいく。
「今日のはグロくないから」
「凛人はそれでいいのか?」
「今日くらい修が好きそうな映画見ようと思って」
俺が好きそうか…。映画のジャンルでこれと言って好きなものがないから、それを一番好きなジャンルってことにしよう。
チケットを買って、薄暗い劇場へ入る。白い凛人は暗い中だと余計に目立つ。闇に包まれても尚、彼は一生白く。彼を一滴たりとも染める方法はもうどこにも存在しないのだ。
上映が始まって、静寂が訪れると凛人と俺二人きりだけになってしまったような錯覚に陥る。
孤独な芸術家が自分の良き理解者を見つけた話。これはヒューマンストーリーというのに該当するのだろう。なら、俺はヒューマンストーリーが一番好きだということにしよう。
この話は自分達の関係性を余りにも、鮮明に表現していた。俺らをモデルにしたかのようなこの作品の最後は二人の心中だった。悲哀の雰囲気に包まれるこの最中で俺は、凛人となら、心中しても構わない。そんな場違いなことを考えた。
凛人が目線に気づいたのか、横目でこちらを見る。映画の光に当てられたその顔は、際限なく美しさを引き出していた。
上映が終わって気づけば空が橙色に染まり始めていた。楽しかった一日もあっという間に終わってしまう。この時間は果てしない程に儚くて、白昼夢のようなこの時間が、永劫続くか、今日で終わってしまうのか、全ては最後に言う言葉に託されただろう。
「…早いね。一日って」
「一旦、凛人の屋敷行っていいか?」
「………うん。良いよ」
断絶された屋敷で、今日、俺は愛を告げるのだ。永遠の契りになることを祈って。