15話 題:回帰
退屈なときの俺に伝えたい。お前は今、退屈を破砕して新しい世界へと行った。と言えばその時の俺は、希望に満ちるのだろうか。満ちなければ俺は俺自身を殺す。
「おーい。修〜」
甘く穏やかな声色が耳に届くと、俺の脳は一人しか回答を提示しなかった。
「ぼーっとしてどうしたの?」
「お昼休み終わっちゃうよ?」
「あーいや、今楽しいなって思ってさ」
「…そーだねっ!」
中庭は穏やかで、まるで俺達だけの世界を形作っているようだ。
「ところで…今日の放課後からさ始めよっか」
「最初は小さい奴からな」
「分かってるよ。大丈夫、修よりそういうの詳しいから」
「俺に知識で戦うのかー?この〜」
柔らかくて薄いほっぺたを優しく突く。マシュマロをさらに柔らかくした感触だ。薄いのにも関わらず不思議なものだ。
邪魔なんてもうどこの誰でもできない。幸せがやっと回帰したのだ。
***
この寒い季節は陽が沈むのが早くなり、暗闇に包まれる。それは俺達にとっては好都合なことだ。
「じゃあ行こ」
「足元気をつけるんだぞ。暗いから」
「はーい」
世界が黒く染まっても、凛人は白くあり続けた。彼を染めることなどきっと誰にもできはしない。唯一、紅い唇だけを除いて。
「最初は虫から集める」
「この時期だと活動してないから捕まえやすいんだよね」
虫がいそうな公園まで、二人で並んで歩いていく。凛人は歩きながら落ちている葉っぱの裏を見ていた。その手つきは手慣れていて、死の執着に関しては彼のほうが熟練だと認めざるを得ない。
凛人を見ていたら、いつの間にか公園に辿り着いていた。公園は黒に染まって人がいたとしても誰か認識出来ないだろう。しかし彼の白は見えてしまう、染めずとも隠すことくらいならできないだろうか。
「あ、いた」
石の下に居たダンゴムシの幼虫を躊躇いもなくつまみ、虫籠に入れていく。凛人はどんどん虫を見つけていく。この公園には冬を過ごす虫が多いのか、凛人が何かしらのセンサーを働かせているのか。きっと後者だろうな…。
何も手を出せず、俺はただ凛人の手捌きをみているしかなかった。どんどんと溜まっていく。土の匂いが強くなって虫籠の中の虫はもがくことなく命を失っていく。
凛人に選ばれた虫は、とても光栄なことだろう。慈愛を与えられ、恒久の時を過ごせるのだから。
「うん。今日はこのくらいにしとこ」
「凄いな、凛人」
「たまにはいいとこ見せないとね」
気づくと1時間24分時間が経過していた。退屈な頃の時間の流れがどんなものだったか、もう思い出すことはできない。
「帰って、保存しよっか」
「嬉しい。修と一緒に集めれるの!」
「俺は集めてないよ。凛人が凄いの」
「修も出来るようにならないとね」
「そうだなぁ…」
真っ白の屋敷に戻って、大量の蟲の死骸を保管する。消毒をして、ひたすら乾燥させた後、針を刺して固定するが凛人が可哀想と言ったので針は捨てて、そのまま不安定な状態で置いておくことにした。標本作りと工程は殆ど変わらないけれど、凛人が採ってきた虫なら神聖な儀式の中の一つの工程に昇華する。
「順調。虫に慣れたら、小動物とか取っていこっか」
「死の固定は無限の可能性だな」
「でしょ。修もゆっくり死を知っていけばいいよ」
「…楽しみなこった」
永劫この関係は続くのだろう。全くもって後悔はしない。
***
寒気が殆ど過ぎ去って気温が18度くらいの心地よい風を吹かせるようになった。凛人との活動も、もうかなり慣れた。ここ一帯の虫はほぼ取り尽くしたと思えるくらいの量が集まって、小動物も今や当たり前に手を出すようになった。
「風が涼しい」
靡いた色素の薄い髪を見ていると、天の川を連想する。星のような輝きの髪は凛人をさらに輝かしいものに変えていた。
「俺はこのくらいの季節がちょうど好きなんだよな」
「…僕は冬のほうが好きかな」
「なんで好きなの?」
凛人が俺の腕に触れるくらいの距離に近づいてくる。吹いた風はグレープフルーツと春の心地よい風と混ざり、非常に爽やかだった。
「修とこうやって近づいてもいいから〜」
「……可愛い……」
脳が制御しきれず小さい声として出てきてしまった。俺の脳みそは凛人の情報を大量に摂取すると壊れてしまうらしい。
「あー。いや、いつでも…近づい…ても…いい…っていうか…」
「やっぱり修は嘘つけないんだね」
「…俺が凛人に嘘付いたらどうなるかな」
「うーん。…イメージできない!」
「奇遇だね。俺自身も想像できないんだ」
そもそも凛人に嘘をつく必要ははない。むしろどこまでも純白の君を嘘で穢すわけにはいかない。
「あぁそうだ」
「コレクションを整理しておくから、明日は一人で集めてきてくれないか?」
「沢山あるから時間がかかりそうだからね」
「うん。よろしく」
この生活を謳歌していても実は一つ、未だ言えていない言葉がある。あの言葉を言っても問題はないだろうし、俺と凛人の関係性がより良くなる結末しかきっと待っていないはずだ。
「じゃあ、また明日ね」
「あぁ、おやすみ凛人」
「おやすみ。修」
君に、好きの2文字を伝える日はもう近い。
***
空は澄み切った水色で、陽光が二つの世界を照らす。寝て起きればまた一日が始まる。それが幸せなことを俺は忘れるわけにはいかない。
リビングを出ると、母が朝食を作っていた。その姿は随分と老いて、やつれて、少し無気力に見えた。まだ38というのに全く釣り合っていないように思える。
「大丈夫?母さん」
「え?急にどうしたの?」
「…元気なさそうだなって思ってさ」
「……あ〜あ。そう見えちゃったか」
「お母さん今ね、自分に自信が持てないの」
「仕事でなんかあった?」
事が解決したので、今は普通に仕事をしている。でも前より随分疲れた顔を浮かべるようになった。
「…うーん、ちょっと…遠巻きに見られるようになったのかも」
「前みたいなエネルギッシュさがなくなったって」
「そんな声も聞こえたわ」
「やっぱり、見た目のせいなのかな」
こんなことになったのは、あの美容液を辞めてからで、そこから仕事を暫く休んでもらったのも関係しているかもしれない。
「…そっか」
「ごめんねこんな話」
あまり踏み込むことができない話で一瞬沈黙が訪れる。…この家にいるときだけは退屈を痛いほど感じてしまう。
「…最近お友達とよく遊んでるみたいね」
「あ…うん。楽しいよ」
「良かった。修が楽しい思いをしていて」
「…お父さんみたいにならなくて良かった」
「え?」
「何でもない。独り言よ」
前の軽快な雰囲気は、時間の流れに身を任せてしまったようだ。出される料理もあのときの味では無かった。好きな鯖の味噌煮もこの瞬間だけはなんだか美味しく感じない。
「……学校行ってくるね」
「いってらっしゃい。修…」
重くて、黒くて、暗かった空気は、外に出れば勝手に消えていった。
学校へ向かう道中、全く同じ場所に凛人は居た。真っ黒な俺を白く照らしてくれる救いの存在。
「なんかあった?」
「………昔には戻れないって思ってさ」
「今が…満足じゃない?」
「逆。今が満足だから昔には戻りたくないってこと」
「そっかぁ〜」
「ほら、行こう」
「うん!」
水色の空を見れば、家にいた時よりも変わっていないはずなのに一層晴れやかに輝いていた。
***
今日は放課後でも陽光が強い。この体とは相性が良くないのに、とても嬉しい気持ちになる。修は僕のために動いてくれて、始めて会った時のあの感情はきっと正しいもので、あのときの僕は良い選択をしたって思える。
今日は僕一人で命を収集しに暫く歩いた先にある林の中へ赴いた。前と比べて、凄く晴れやかな気持ちで命を採れる。林の隙間から射す光は残酷にも心地よいものだった。
「今日はいっぱい取れたなぁ」
独り言がついつい溢れてしまうくらいに、僕の気持ちは誰にも止められないのだ。
すぐに時間が経って暗くなる前に、大量の死骸が入った虫籠をリュックに仕舞って修の元へ急ぎ足で帰る。
「まだそんなきめぇことしてんのな」
「…!」
当然話しかけられて、びっくりして後ろを振り返るとそこには消えたはずの人がいた。
「俺、見ちまったんだわ」
「ずーーーーーーーっと」
雰囲気が変わっているけれど、その顔は間違いなく…。
新島斗真だった。
退屈なときの俺に伝えたい。お前は今、退屈を破砕して新しい世界へと行った。と言えばその時の俺は、希望に満ちるのだろうか。満ちなければ俺は俺自身を殺す。
「おーい。修〜」
甘く穏やかな声色が耳に届くと、俺の脳は一人しか回答を提示しなかった。
「ぼーっとしてどうしたの?」
「お昼休み終わっちゃうよ?」
「あーいや、今楽しいなって思ってさ」
「…そーだねっ!」
中庭は穏やかで、まるで俺達だけの世界を形作っているようだ。
「ところで…今日の放課後からさ始めよっか」
「最初は小さい奴からな」
「分かってるよ。大丈夫、修よりそういうの詳しいから」
「俺に知識で戦うのかー?この〜」
柔らかくて薄いほっぺたを優しく突く。マシュマロをさらに柔らかくした感触だ。薄いのにも関わらず不思議なものだ。
邪魔なんてもうどこの誰でもできない。幸せがやっと回帰したのだ。
***
この寒い季節は陽が沈むのが早くなり、暗闇に包まれる。それは俺達にとっては好都合なことだ。
「じゃあ行こ」
「足元気をつけるんだぞ。暗いから」
「はーい」
世界が黒く染まっても、凛人は白くあり続けた。彼を染めることなどきっと誰にもできはしない。唯一、紅い唇だけを除いて。
「最初は虫から集める」
「この時期だと活動してないから捕まえやすいんだよね」
虫がいそうな公園まで、二人で並んで歩いていく。凛人は歩きながら落ちている葉っぱの裏を見ていた。その手つきは手慣れていて、死の執着に関しては彼のほうが熟練だと認めざるを得ない。
凛人を見ていたら、いつの間にか公園に辿り着いていた。公園は黒に染まって人がいたとしても誰か認識出来ないだろう。しかし彼の白は見えてしまう、染めずとも隠すことくらいならできないだろうか。
「あ、いた」
石の下に居たダンゴムシの幼虫を躊躇いもなくつまみ、虫籠に入れていく。凛人はどんどん虫を見つけていく。この公園には冬を過ごす虫が多いのか、凛人が何かしらのセンサーを働かせているのか。きっと後者だろうな…。
何も手を出せず、俺はただ凛人の手捌きをみているしかなかった。どんどんと溜まっていく。土の匂いが強くなって虫籠の中の虫はもがくことなく命を失っていく。
凛人に選ばれた虫は、とても光栄なことだろう。慈愛を与えられ、恒久の時を過ごせるのだから。
「うん。今日はこのくらいにしとこ」
「凄いな、凛人」
「たまにはいいとこ見せないとね」
気づくと1時間24分時間が経過していた。退屈な頃の時間の流れがどんなものだったか、もう思い出すことはできない。
「帰って、保存しよっか」
「嬉しい。修と一緒に集めれるの!」
「俺は集めてないよ。凛人が凄いの」
「修も出来るようにならないとね」
「そうだなぁ…」
真っ白の屋敷に戻って、大量の蟲の死骸を保管する。消毒をして、ひたすら乾燥させた後、針を刺して固定するが凛人が可哀想と言ったので針は捨てて、そのまま不安定な状態で置いておくことにした。標本作りと工程は殆ど変わらないけれど、凛人が採ってきた虫なら神聖な儀式の中の一つの工程に昇華する。
「順調。虫に慣れたら、小動物とか取っていこっか」
「死の固定は無限の可能性だな」
「でしょ。修もゆっくり死を知っていけばいいよ」
「…楽しみなこった」
永劫この関係は続くのだろう。全くもって後悔はしない。
***
寒気が殆ど過ぎ去って気温が18度くらいの心地よい風を吹かせるようになった。凛人との活動も、もうかなり慣れた。ここ一帯の虫はほぼ取り尽くしたと思えるくらいの量が集まって、小動物も今や当たり前に手を出すようになった。
「風が涼しい」
靡いた色素の薄い髪を見ていると、天の川を連想する。星のような輝きの髪は凛人をさらに輝かしいものに変えていた。
「俺はこのくらいの季節がちょうど好きなんだよな」
「…僕は冬のほうが好きかな」
「なんで好きなの?」
凛人が俺の腕に触れるくらいの距離に近づいてくる。吹いた風はグレープフルーツと春の心地よい風と混ざり、非常に爽やかだった。
「修とこうやって近づいてもいいから〜」
「……可愛い……」
脳が制御しきれず小さい声として出てきてしまった。俺の脳みそは凛人の情報を大量に摂取すると壊れてしまうらしい。
「あー。いや、いつでも…近づい…ても…いい…っていうか…」
「やっぱり修は嘘つけないんだね」
「…俺が凛人に嘘付いたらどうなるかな」
「うーん。…イメージできない!」
「奇遇だね。俺自身も想像できないんだ」
そもそも凛人に嘘をつく必要ははない。むしろどこまでも純白の君を嘘で穢すわけにはいかない。
「あぁそうだ」
「コレクションを整理しておくから、明日は一人で集めてきてくれないか?」
「沢山あるから時間がかかりそうだからね」
「うん。よろしく」
この生活を謳歌していても実は一つ、未だ言えていない言葉がある。あの言葉を言っても問題はないだろうし、俺と凛人の関係性がより良くなる結末しかきっと待っていないはずだ。
「じゃあ、また明日ね」
「あぁ、おやすみ凛人」
「おやすみ。修」
君に、好きの2文字を伝える日はもう近い。
***
空は澄み切った水色で、陽光が二つの世界を照らす。寝て起きればまた一日が始まる。それが幸せなことを俺は忘れるわけにはいかない。
リビングを出ると、母が朝食を作っていた。その姿は随分と老いて、やつれて、少し無気力に見えた。まだ38というのに全く釣り合っていないように思える。
「大丈夫?母さん」
「え?急にどうしたの?」
「…元気なさそうだなって思ってさ」
「……あ〜あ。そう見えちゃったか」
「お母さん今ね、自分に自信が持てないの」
「仕事でなんかあった?」
事が解決したので、今は普通に仕事をしている。でも前より随分疲れた顔を浮かべるようになった。
「…うーん、ちょっと…遠巻きに見られるようになったのかも」
「前みたいなエネルギッシュさがなくなったって」
「そんな声も聞こえたわ」
「やっぱり、見た目のせいなのかな」
こんなことになったのは、あの美容液を辞めてからで、そこから仕事を暫く休んでもらったのも関係しているかもしれない。
「…そっか」
「ごめんねこんな話」
あまり踏み込むことができない話で一瞬沈黙が訪れる。…この家にいるときだけは退屈を痛いほど感じてしまう。
「…最近お友達とよく遊んでるみたいね」
「あ…うん。楽しいよ」
「良かった。修が楽しい思いをしていて」
「…お父さんみたいにならなくて良かった」
「え?」
「何でもない。独り言よ」
前の軽快な雰囲気は、時間の流れに身を任せてしまったようだ。出される料理もあのときの味では無かった。好きな鯖の味噌煮もこの瞬間だけはなんだか美味しく感じない。
「……学校行ってくるね」
「いってらっしゃい。修…」
重くて、黒くて、暗かった空気は、外に出れば勝手に消えていった。
学校へ向かう道中、全く同じ場所に凛人は居た。真っ黒な俺を白く照らしてくれる救いの存在。
「なんかあった?」
「………昔には戻れないって思ってさ」
「今が…満足じゃない?」
「逆。今が満足だから昔には戻りたくないってこと」
「そっかぁ〜」
「ほら、行こう」
「うん!」
水色の空を見れば、家にいた時よりも変わっていないはずなのに一層晴れやかに輝いていた。
***
今日は放課後でも陽光が強い。この体とは相性が良くないのに、とても嬉しい気持ちになる。修は僕のために動いてくれて、始めて会った時のあの感情はきっと正しいもので、あのときの僕は良い選択をしたって思える。
今日は僕一人で命を収集しに暫く歩いた先にある林の中へ赴いた。前と比べて、凄く晴れやかな気持ちで命を採れる。林の隙間から射す光は残酷にも心地よいものだった。
「今日はいっぱい取れたなぁ」
独り言がついつい溢れてしまうくらいに、僕の気持ちは誰にも止められないのだ。
すぐに時間が経って暗くなる前に、大量の死骸が入った虫籠をリュックに仕舞って修の元へ急ぎ足で帰る。
「まだそんなきめぇことしてんのな」
「…!」
当然話しかけられて、びっくりして後ろを振り返るとそこには消えたはずの人がいた。
「俺、見ちまったんだわ」
「ずーーーーーーーっと」
雰囲気が変わっているけれど、その顔は間違いなく…。
新島斗真だった。
