白い君、紅い唇

14話 題:彼岸                     
「……血清は本当」
「…何で言わなかったの?」
「理由が言いにくかったからだけど…」
「修は、聞きたい?」
「俺は凛人の全部知りたい」
「安心して、失望するなんてことないから」
「絶対、ないから」
「宝くじ1等当たった瞬間に隕石落ちてきて死ななかったくらい無いから」
凛人の顔がちょっと綻んで、穏やかな横顔に変わる。風が吹いて凛人の髪はレースカーテンのように美しく靡いた。
「僕ね」
「死体の血を吸ってるの」
「死んだ人の血を吸ってると、死の一体感を味わえるから」
「そういう儀式をやるようになったの」
「…だから、血清を」
「うん。他人の血を吸うと危ないから」
「養父さんに頼んで死体に血清を施してもらってた」
その血清も、また養父が作った違法のものなのだろうか。血清という名目の独自の液体を注入しているのだろうか。
「…そっか」
鮮やかさが失われた唇になった理由が分かって俺は、血が滲んでいるというのは本当だったと知らされ、それに気づけなかった自分が恥ずかしい。
「じゃあ、今は口紅塗ってるだけなの?」
「…口紅を塗ってるのは」
「血の味を閉じ込めたいからなんだ」
「…修はやっぱり唇の違いに気づいてたんだね」
「いや、血を吸ってるって気づけなかった」
「俺はまだ、凛人の事全然分かってなかった」
「大丈夫、焦らないでいいから」
「今はあの刑事さんをどうにかしよ」
「…そうだね。時間はまだ沢山あるからな」
「もっと時間かけて、凛人の事教えて」
一拍置いて悩んだ様子で了承の言葉を告げた。凛人にはまだ大きな秘密が隠されている、それはいつ知れるのかな。その時間だけは早く訪れてほしい。
「あとさ、俺が嘘ついてたときに」
「めっちゃ…その、あー」
「…可愛い顔してたじゃん?」
「何でかなぁ〜って」
我ながら結構キモい質問をしたが、凛人は一切引いた様子を見せず、むしろ優しい慈愛に満ちた微笑みを見せてくれた。
「修ならわかってると思うけどな〜」
俺の脳みそは凛人と話していると、毎度のことエラーを起こしてしまい一時的にIQが下がる。
「……多分、予測でき…る。と思う」
「じゃあ、その予測教えて」
昂ぶった心臓は心拍数を大きく上昇させる。俺は脳みそが焼き切れるまで回転させて最適解を出そうとするが、俺の口からこぼれたのは情けないひと言だった。
「………ごめん、むりだった……」
顔を片手で隠して目を背ける。限界まで開いた窓から身を乗り出した。夕日がきっと俺の紅い耳の色を誤魔化してくれると願って。
「死体収集は、いつから始めれるのかな〜」
脈略も無しにそんな事を口にした。やっぱり死体収集が出来ないことが苦しいのだろう。
「あの刑事はさっさと追い払うよ」
「そうしよっか〜」
「もうちょっとだけ我慢しててな」
「良い子で待っとく」
可愛いセリフを反芻しながら俺は母親が待つ家へと帰宅する。さっきまで紅く照らしていた陽光はいつの間にか消えて、影に潜んでいた。
***
冷えた牢獄の中で俺は、白川聡一郎と再度面会を試みる。前に見た時よりも痩せこけて、40の齢に反して酷く老いていた。
「凛人くんと、お話してきました」
「!!!!」
「あのクソを殺してくれましたか?」
「…あぁいえ、死体収集の件に関して凛人くんは否定しました」
「そんな訳あるか!!!!!」
「ちゃんと調べろこのクソ刑事!!!!」
喋る回数が増えた分、暴言も増えてしまっている。本当こんな奴は久しぶりだ。
「……いや私も正直、凛人くんのことは疑っていますよ」
「はは……そうだよ、な」
薄らな笑みを浮かべたその顔は、殺意を隠す気は無かった。よほど裏切りが響いているのだろうか。
「君は、優秀な刑事だね…」
「俺を裏切った、ゲスな部下とあの悪魔とは大違いだ……!」
「期待しているね……」
「…ははっそうですか」
この男はどこまでも自分が上の立場だと錯覚を続けている。こいつはいつ歯車が狂ったんだろうか。
「他に何か、覚えていることはありますか?」
「チッ。だから!!死体を集めてるあのクソガキを早く殺してくれって言ってるだろ!!!!」
「何回同じ事を言わせるんだよ!!!!!」
「死体収集は白川凛人が行ったで、間違いないですか」
「決定的な証拠だろ…?」
「あのガキは苦しんで死んで地獄で一生焼かれ続けていればいいんだよ!!!」
「あぁそうか。俺の嫁を殺したのも」
「全部あのガキだ…」
「そうだ、それこそ決定的だったなぁ……!」
白川真美子を殺したのはこの男だが、そんな事を口にしたら暴れ出してこのガラスを蹴り破って来るかもしれない。そう思っていると、ブツブツ呟いていた声が急に大きな笑い声に変わって、ガラスを強く叩き始める。
今日もまた、まともな情報を得られないまま、面会は終了した。きっとこれ以上の情報は期待できまい。
あの二人に対する疑念は沸々と沸き上がる一方だった。
***
黄昏時だが、雫が落ちて空は曇天に包まれて、夜のように暗かった。雫はより強さを増して、槍が落ちるように地面を突き刺していた。
「今日も、くると思う?」
曇天なんて、一切気にしない程の白い輝きを持った凛人は、少し不安の表情を浮かべていた。
「…きっと、今日も来る」
「こんな大雨だけどな」
「修とは…離れたくないな」
「大丈夫。離れたら、俺は自分自身を嫌いになるよ」
新島大斗の襲来を予測しているのも束の間、インターホンが鳴り響いて新島大斗がやってきた。雨音が煩く突き刺すのにも関わらずインターホンの音は余りにはっきり聞こえた。
「本当、連日すいませんね…」
前日と全く変わらない対応を取って、また流れでこの邪魔な臭いの男を家に上げなければならない。最悪なことに今日は雨だから、上げざるを得ない。
「まだ…聞きたいことがあるんですか?」
「あーー」
「本当に、凛人くんは死体収集をしていないんだよね?」
凛人の顔を見て、そうはっきり伝えた。
「はい」
「……ふぅ。そっか」
「君からもこの屋敷からも、消臭剤の香りがするのは何でかな?」
「…消臭剤」
「そう、このグレープフルーツの匂い」
「特に凛人くんは匂いが強い」
蔓延する消臭剤の匂いが当たり前になり、このグレープフルーツの背徳感の匂いに酔っていた俺は口を挟もうするが、それより先に凛人が喋り始める。
「養父さんのこと、忘れたいんです」
「あの人がいたっていう事実を匂いで消したいんです」
「僕ができるのはそれくらいで…」
「死体の匂いを消したいから。ではないかな?」
「…それもあるかもしれないですね」
「とにかく、僕の汚点を早く消したいんです」
「………似てるなぁ………」
小声で呟いた声はグレープフルーツの匂いに脳が麻痺していて聞きそびれてしまった。
「あの、もう捜索は辞めてくれませんか?」
「凛人はこういう話、もうしたくないんです」
腕を組んで、深く呼吸をした後の沈黙。新島大斗の顔が冷徹なものに変わったのを俺は見逃さなかった。
「…確かに、逮捕したときの家宅捜査で殆どの証拠品は押収したよ」
「それら一切に凛人君に関係するものは無かったよ」
「なら、何故ここまでするんですか?」
「俺の長年の刑事の勘が、怪しいって叫んでんだよ」
勘だけでこの男はこんなにしつこく動くというのだ。新島斗真のあのしつこさは父親譲りだったか。新島一族は俺の計算から外れる行為をしてきて困るものだ。
「そんな訳で、凛人くんの事。色々調べさせてもらったよ」
凛人の大きい目がほんの少し開いた。もしも、死体収集が過去から今にわたって続いているものだとしたら。
「凛人くんは両親を小さい頃に亡くしているみたいだね」
「…はい」
俯いて消えそうな声で返事をする。俺も知らない凛人の過去の情報をこの男は握っているというのか。
「当時、その家で見つかったものがあるんだけど」
「このくらいの…」
手で大きめの立体の四角を表現する。
「お菓子の箱に、蟲の死骸が沢山入っていたんだ」
凛人はやっぱり小さい頃から死体収集をしていたとこの男は言った。そうなってくると話は大きく変わってしまう。既に情報が向こうに渡っているなら、例え誤魔化したとしてもこの男は一生をかけてでも俺達の事を探り、引き裂こうとするのだろう。
「…………」
「君のお父さんもお母さんもそういう行為をした痕跡はない」
「状況的に見ると、君が集めたとしか思えないんだ」
「いやまぁ、君の集めていた蟲の死骸は犯罪に抵触はしないんだけどさ」
「…蟲だけで終わってるなら良いんだけど」
「人の死体が出てきちゃってるしね」
「鳥とかも、法的にアウトだからね?」
引き裂かれる予測が脳を駆け巡った。凛人を此岸に渡すわけには行かない。このまま彼岸にずっと居なければいけないのに。だって彼は、死を愛しているのだから。
このまま誤魔化すのはもう無理だ。
そう思っていると、ふと新島斗真が頭をよぎった。監視役の使命を担ったであろうあの男は義務的じゃなく、己の感情を優先して俺と凛人を離そうとした。
―そうだな、お前の…例えば、親とかに…指示されて、凛人のことを監視しているとかな。
そうか、こいつに指示されて新島斗真は監視役をやらされていたのだ。やらされていたのなら、この男は殴ってでも監視役を任命しそうだ。実の息子がターゲットの息子と同級生で、同じ学校に入学させて仲良くすれば、潜入などが容易くなると考えたのだろう。それは大きな計算違いだと言う事に気づいた新島斗真は俺を引き離そうして、失敗。忽然と姿を消した。
この男が一人の青年の人生を狂わせたのだ。
「あの斗真君は見つかりましたか?」
急に話を振られたせいか新島大斗は少し反応が遅れて口を開く。凛人もこちらを見て、どこか信頼したような顔を見せた。
俺に是非任せてほしい。
「ん?…あぁいやまだ見つかっていない」
「俺、斗真君が消えた理由分かりますよ」
新島大斗は驚いた表情を浮かべた後、すぐさま刑事の顔に切り替えた。
「……教えてくれるかな?」
「斗真君は監視役を担っていますよね」
「監視?」
「白川聡一郎の息子…の凛人を監視するために斗真君を派遣したんですよね」
「…………」
腕を組んで、ただひたすら黙って俺を見つめている。その目を見ていると凍ってしまうくらいの冷徹さを秘めていた。
「そのことで、俺と斗真君。喧嘩しちゃって」
「凛人にちょっかいかけようとしていたので、強く言ったらそのまま」
「……………」
「斗真がそれを言ったのか?」
「…そうです。彼の口からちゃんと聞きました」
「先月会ってそのまま教室に残して帰った以降、彼は消えました」
「その日から連絡が取れなくなっていますよね」
「………ふぅ…」
何かを諦めたような顔をして、語り始めた。この男がいる限り、充満した苦い匂いが消えることはない。早く終わらせてグレープフルーツの匂いに酔いたい。
「ここで違うって言ってもね…」
「分かったよ。斗真が監視役をしていたことは認める」
「でも、それは斗真が望んだことだ」
「…でもこんなことになるなんてな。まさか姿消すとは思いもしなかった」
「教えてくれてありがとう」
「斗真はちゃんと探し出すから、心配しなくていい」
刑事はさらっと嘘をつくものだ。新島斗真は監視役など望んではいなかった。
―なぁ、頼むよ。あいつから離れてくれ
―犯罪に加担するのかよ!!
―お前は賢いんじゃない、狂ってんだよ!!その自覚を持てよ!!
連なった新島斗真の言葉は、どうしてもあいつ自身の思いにしか聞こえない。俺の耳は優秀なはずだから。
「監視役をやらされていた。が正しいんじゃないんですか?」
「えっ…?」
「…どうしてそう思うのかな?」
「斗真君に、訓練をさせていませんか?」
「彼の異様な運動センスは突飛なものです」
「斗真は運動の才能があったんだよ。それでサッカーの推薦で入学を認めてもらった」
「いえ、彼は一切物音を立てずに背中を取ってくることが度々ありました。時には一切気づけないほどの尾行も成功させていました」
「流石に才能じゃ片付けられませんよね。教育という名目で誰かに、もしくは親の貴方が直々に教え込む可能性はゼロではないと思います」
「そして、喧嘩したとき彼は…」
「涙ながら、親父の思い通りになるのは嫌だ。って」
そんなこと口にしていないが、きっと新島斗真はそう思っているはずだ。これは嘘ではない、代弁しているだけだ。
「余程、残酷に斗真君を操作してきたんですね」
「……そんな。そんな訳…」
始めて見せた新島大斗の動揺の顔。このまま追い詰めて王手を指せば、白川聡一郎の時よりも容易にこの男を陥落させることができる。
新島斗真のエピソードを思い出していると、出会った当初に腹をさすっていたことを思い出した。食べ過ぎと言っていたが、暴行を受けて腹をさすっていたとしたら?
「あれほど怯えた様子なら、暴力で黙らせていてもおかしくはないですね」
「…………斗真…」
「嫌になったんでしょうね、貴方の正義をぶつけられる度に斗真君は自分を消したくなった。そして今まさに消えてしまった」
「きっと斗真君は貴方に教えてもらった技術を使って、完璧に自由へ逃げたのでしょうね」
「……はぁっ…」
新島大斗は力なく歩いて、壁にぶつかりそうになる。大粒の雨音はこの男を徹底的に貫き、痛めつけているだろう。
「刑事さん。こんな何も出てこない家を無駄に調べるより」
「罪と向き合っていくほうがよっぽど有意義ではないですか?」
「……ぁ……」
掠れた声が新島大斗から零れ落ちた。腕を組む気力すらないその手はだらしなく垂れていた。
「もし、出会えたとしても斗真君は貴方のことを父親として見ないと思います」
「…どうぞ。お引き取りを」
震えながらその背中は、壁にぶつかりながら玄関を開け、雨に撃ち抜かれながら広い庭を歩き消えていった。老いた犬を雨の中放り出したように。
雨が降っていながらも俺は窓を全開にして、部屋を換気する。苦いこの空気は雨にのまれて消えてしまえばいいのだ。
「すごいね。修」
「なんか、黙って見ちゃってた」
「任せてくれたのは凛人だろ?」
「…賢すぎて、心読めるようになっちゃった?」
「できたらいいなとは思ってるよ」
「…もう、来ないかな…?」
「あれだけボロボロになってでも来たら、お手上げだな」
「死体収集、始めよっか」
「やったぁ!」
喜びの声をあげて、俺に抱き着いてきた。グレープフルーツの香りは芳しく、疲弊した体と心を徹底的に癒やしてくれる。大人が酒に逃げる理由が少し分かった気がする。
抱き返して、細く白い首元に顔をうずくめていると、このまま溺れていくのも良いと思ってしまう。いや、きっと思ってもいいだろう。
「今日は疲れたから、明日から本格的にやっていこうか」
「…うん!」
凛人を彼岸に残すことができた。もう、此岸には戻りたくない。