11話 題:饕餮
新島斗真がここ最近行方不明になったという噂を聞いた。そんなこと俺も凛人も当たり前に気にしていない。むしろ向こうから去ってくれたのなら好都合だ。
そんなことよりも、養父を落とす作戦のほうが大事。あの違法薬品をネットに拡散してから、ここ最近ネットでかなり注目を浴びるトピックとして話題になっている。コメントを見れば猛批判の声が溢れ、白川製薬はかなり炎上している。
「凛人」
「なーに」
「ほら、結構拡散されてる」
「本当だ。でもテレビとかじゃ全然やってなかったよ」
「あぁ…放送局にでも圧をかけてるんだろう」
「テレビ放送局はやってることやってるだろうしな」
「それだけ、あっちには権力があるってことだな」
「僕がなにかできることある?」
「う〜ん」
凛人を危険に晒したくはないのだが、そんなこと言っても無駄な気がする。
「あ、でも器具を盗むのはちょっと難しいかも」
「分かった。じゃあそのミッションは破棄して構わない」
「うん…ごめんね」
「大丈夫。日記のコピーもあるんだから」
「心配しなくていいよ」
「俺達の未来のために」
「…未来の為に」
小指を結び合わせて、約束をより強固なものにする。既に周りなんて酸素の一部にしか見えない。既に俺の意識は、全て凛人に捧げていた。
***
帰宅すると、仕事に行っているはずの母親がいた。母は封筒をを持って俺に駆け寄ってきた。
「ねぇ、修」
「白川製薬から手紙が送られてきたんだけどね」
「…白川製薬」
発信源を特定されたのだろう。しかし勘付かれるのは既に想定内、母親が広めているというのも危険の可能性はあったのだから。もう時期、養父と直接話すタイミングが来るだろう。もしかしたら今、この瞬間でもおかしくはない。むしろ手紙が送られてきたならこの中身は…。
「迷惑行為は辞めてください。警察に通報する。みたいな内容が書かれてあるの」
「私達が最初に気づいたのがバレちゃったのかな…?」
母親は大雑把にまとめていたが、通報を余儀なくする可能性もございます。と記されていた。
「うん…。危ないかもだから母さんは家にしばらく籠ってたほうがいいかも」
「そうね。しばらく休みの連絡入れないと」
そう言って休暇の連絡をしにリビングへ向かった。
直接、手紙で送ってくる。警告文なのに果たし状の文言に見えてくる。記されてはいないがこれは直接話に言ったほうがいいだろう。
ネットニュースを確認すると、あれだけ荒れていたコメントやネット記事がほとんど消されていた。10分前にもあったネットの呟きも、サイトも全て削除されている。不自然なまでの工作。警察に動きがないから、もしかして警察すら脅して黙らせる権力…いや情報を持っているのか?
想像以上の白川製薬の権力。大丈夫焦るな。ここで焦るのはただの凡人だ…。
作戦が急激に動きを始めたので、急ぎ凛人に電話をかける。
「どうしたの、修」
「養父から、手紙が届いた」
「そっち行って、直談判する」
「うん。分かった」
「玄関は開けとくから、明日にでも来て」
「朝方にそっちへ行くよ」
「もう少しだから、頑張ろう」
「そうだね。頑張ろ、修」
電話を切る。電話を切るとき、凛人と切り離された気がして辛い気分になってしまう。しかしそれ以上に辛いのは凛人を助けられないことだ。
証拠を再度確認したりして、明日に備えた。明日が最高の日か最悪の日になるかは俺次第だ。
***
朝方、母親に気づかれないよう音を立てず靴を履き、静かに扉を開けて外へと出る。出る前に見た母親の顔は美容液を辞めてから少しくすみが目立つようになっていた。
3℃の冷えた朝の空気は肺を直接刺す。まだ街が眠っているこの瞬間は俺一人だけのような錯覚に陥ってしまう。でも大丈夫、俺はあのときみたいに一人で退屈してない。あの地獄には俺だけの白い君がそこにいるから。絶対救ってみせるから。そして二人だけの楽園を作る。
白くて機械仕掛けの家。あの不気味な声はなく、導かれるがままに玄関を開け屋敷へと足を踏み込む。
「おはよう。早頭修君」
偽物ではない本物の人間の声が屋敷に響いた。闇を隠した、偽善者の男の声が。
「1階。右奥の書斎部屋に来なさい」
それだけ言って、それ以上は何も言わなかった。ここで行かないという選択肢は無い。廊下はドライアイスのように冷たく、太陽がより高く昇り始める時間になった。本来眩しい陽光もここにいると、全く届かない。カーテンを閉め切られて、ここに差す光は薄い明かりのLEDライトだけだった。
凛人は一体どこにいるのだろう。養父が待ち構える書斎部屋にいるのだろうか。そうだとしたら、養父と同じ部屋に居て、当たり前に側に居る。
…そこはお前じゃない。俺はお前よりもずっと長く凛人と一緒に、凛人の側に、居るべきだ。
一番奥の部屋の扉が解放されている。規律正しく並べられた本棚が見えた。
「…………」
「君と一度、お会いしてみたかったよ」
キャスター付きの高級な椅子を180°回転させこちらに姿を見せる。
「お前が凛人の養父か?」
「いかにも、私が凛人の養父だ」
「白川聡一郎(しらかわそういちろう)だ」
「お見知りおきを」
あんな闇を隠していながら丁重に対応するこの男の姿が不気味で、不快で吐き気がしてくる。
「賢い君なら、来てくれると思ったよ」
「警察に頼らない君の姿勢。僕は評価するよ」
軽くも重い、気味が悪い拍手を鳴らす。並べられた不気味な本棚の中には研究記録や、凛人の日記でも隠されていそうだ。
「それで、君が行っている我が社への」
「迷惑行為を早急にやめていただきたい」
この男は高級な椅子に深く腰掛けているのにも関わらず、上を取られている感覚を味わわせてくる。
「迷惑行為ではないです」
「俺は真実を世間の奴らに伝えているんです」
「真実という名のデマをかな?」
「もう隠しても意味はないですよ」
「懸命に証拠集めでもしたのか?」
「…えぇ、そうですね」
順番に証拠をこの男に叩きつけていく。緊張感を感じるこの最中感じた、凛人と同じグレープフルーツの消臭剤の香りを漂わせているこの男に感情を荒ぶらせないよう、慎重に冷静に感情を保つ。
「1つ目は世間の批判的な視線です」
「貴方の製品に疑念を浮かべ、大きく拡散されています」
「それが証拠か?」
「スクリーンショットだって撮ってます。世間はこうして批判的なコメントを書き残し広めていますよ?」
「でもそのサイトはないだろう?」
「コメントも勿論ない」
「世間がどれだけ声を上げても、私らが…」
なにかをいいかける前に話をやめる。椅子から立ち、俺の前へと向かってくる。グレープフルーツの香りがより一層強くなるほどに。
「…録音は、不公平だな」
上着の内ポケットに隠したボイスレコーダーを回収される。気づくはずがないのに、一体どうやって…。
「もう、2.3個は隠し持っているだろう?」
冷たい手が俺の体を探る。右の袖に隠していたものも、靴に隠していたものも、隠していた6つのボイスレコーダーは全て回収されてしまった。
「金属探知が反応していたものでね」
目線が揺らいでしまった。
「君の弱点は他人をかなり下に見ているところだ」
「続きだが、世間がどれだけ声を上げようとも」
「私達が、謝罪声明をすれば大きく変わることは無い」
「以上だ。…まだ何か持っているという顔だね」
ボイスレコーダーも取られた。この男は俺が思っている以上の圧倒的な存在。残っている証拠だけで、この男を本当に落とせるのか。いや、落とさなければ凛人と俺の未来は無い。荒くなった呼吸をなだめ冷静を保つ。
「…えぇ、まだありますよ」
「あなたの企業が出しているこの美容液」
「化合物ポリメチルメタクリレートの極微細粒子と高濃度ホルマリンの重合体」
「これらは人体の生態組織の腐敗を止め、形状を永遠に固定するものだ」
「貴方は、世間の人が生きたまま標本に変わっていく様を楽しんでいるだけです。違いますか?」
「違法成分なんか売り出していたら大問題だな」
俺が隠し持っていたボイスレコーダーを弄くり回しながら腑抜けた声で返答した。全くの無関心で、聞き流しているこの状況。
「…それだけじゃないです」
「凛人のことも」
「管理して、観察日記までつけて…」
「貴方は凛人を人間じゃなく、標本の一部にしたかっただけだ」
「………………」
「既に情報は、複数のクラウドにアップロードしてある」
「ここで語った情報全てを」
「表向きの輝いた経歴も、違法薬品、息子の異常な管制」
「そして、地下室の死体も明るみに出れば誤魔化しなど出来ない」
「たかだかネットの声を消せたとしても、意味はないですよ」
「…まだ、嘘をつきますか?」
「結構、頑張ってたんだね」
「でもね、修君」
名前呼びをされると、鳥肌が立つ。何故ここまで気持ちが悪いのか俺の思考の歯車が故障をしてしまいそうだ。
「この世の中は、真実だけで動いていない」
「納得で動かしてるんだよ」
「そう、私には人々を納得させられるだけの金も、地位も、権力も、実績もある」
「いくらでも君の出した真実は消し去る事ができる」
「……でま、かせ…じゃ…」
「本当だよ。でも君に教えるわけはない、私は沈黙を貫くよ」
残忍な笑みをこの男は浮かべた。駄目だ、この不快の渦に飲み込まれてしまう。冷たい手も、グレープフルーツの香りも、凛人と一緒なのが、酷い嫌悪感を産み出してしまう。
「君の、恵まれた知恵は一体どこにいったんだい?」
荒い呼吸が止まらない。止められない。手の震えも、目線の動きも。なんで、俺の脳はこういうときに動かないんだ…?
「もう一度言おう」
「迷惑行為を早急にやめていただきたい」
「やめないなら、君の母親もどうなるか…」
「母は関係ない…!」
母親を俺と凛人の人生に巻き込ませたくは無い。
「あぁ、それと」
「凛人には二度と関わらないでもらおうか」
凛人に関われない。俺はまた退屈な存在に戻ってしまう。やっと人生に色が介入してきたのに、そんなのは絶対に嫌だ。そうなるくらいなら、この男を今ここで…。
「だーめ」
強張った肩に冷たい手が触れる。目の前のこいつと同じ匂いがするのに温かくて、優しい不快感など一切無いその存在はただ一人しかいなかった。
「凛人!?部屋に居ろといっただろ?」
「…ちゃんと、来てくれたか…」
「うん。来たよ」
「これも、君の想定内というのか…?」
勘違いしてるなら、利用する。それが賢いやり方だ。
「あぁ、そうだ」
「…チッ」
「…凛人、そいつに肩入れしてる理由は知らんが」
「お前の安寧を壊そうしているんだ」
「大人しく戻っていなさい」
凛人を見ると、思考を無理くり回転させる程の笑みを浮かべた。ここまでこの男と対照的に違うものだというのか。…違う。この男と比較すること自体そもそも間違っている。
「嫌。戻らない」
「はっ…?」
「僕は修の味方するって決めてるから」
「…ははっ。そいつをどうやって庇うんだ凛人?」
「お前は、何も出来ないだろう?」
「大人しく俺の家族で居ておけ」
イライラしているのか頭を荒く掻きむしった。
少し感情的になったこの男は、やはり凛人を偽物の家族の渦中に巻き込んでいるだけだ。
「養父さん。昔こんなことあったよね」
取り出した16GBのUSBメモリをスマホに差し込む。一つの動画ファイルが表示された。この動画が饕餮のようなこの男を喰らってくれる事を願って。
新島斗真がここ最近行方不明になったという噂を聞いた。そんなこと俺も凛人も当たり前に気にしていない。むしろ向こうから去ってくれたのなら好都合だ。
そんなことよりも、養父を落とす作戦のほうが大事。あの違法薬品をネットに拡散してから、ここ最近ネットでかなり注目を浴びるトピックとして話題になっている。コメントを見れば猛批判の声が溢れ、白川製薬はかなり炎上している。
「凛人」
「なーに」
「ほら、結構拡散されてる」
「本当だ。でもテレビとかじゃ全然やってなかったよ」
「あぁ…放送局にでも圧をかけてるんだろう」
「テレビ放送局はやってることやってるだろうしな」
「それだけ、あっちには権力があるってことだな」
「僕がなにかできることある?」
「う〜ん」
凛人を危険に晒したくはないのだが、そんなこと言っても無駄な気がする。
「あ、でも器具を盗むのはちょっと難しいかも」
「分かった。じゃあそのミッションは破棄して構わない」
「うん…ごめんね」
「大丈夫。日記のコピーもあるんだから」
「心配しなくていいよ」
「俺達の未来のために」
「…未来の為に」
小指を結び合わせて、約束をより強固なものにする。既に周りなんて酸素の一部にしか見えない。既に俺の意識は、全て凛人に捧げていた。
***
帰宅すると、仕事に行っているはずの母親がいた。母は封筒をを持って俺に駆け寄ってきた。
「ねぇ、修」
「白川製薬から手紙が送られてきたんだけどね」
「…白川製薬」
発信源を特定されたのだろう。しかし勘付かれるのは既に想定内、母親が広めているというのも危険の可能性はあったのだから。もう時期、養父と直接話すタイミングが来るだろう。もしかしたら今、この瞬間でもおかしくはない。むしろ手紙が送られてきたならこの中身は…。
「迷惑行為は辞めてください。警察に通報する。みたいな内容が書かれてあるの」
「私達が最初に気づいたのがバレちゃったのかな…?」
母親は大雑把にまとめていたが、通報を余儀なくする可能性もございます。と記されていた。
「うん…。危ないかもだから母さんは家にしばらく籠ってたほうがいいかも」
「そうね。しばらく休みの連絡入れないと」
そう言って休暇の連絡をしにリビングへ向かった。
直接、手紙で送ってくる。警告文なのに果たし状の文言に見えてくる。記されてはいないがこれは直接話に言ったほうがいいだろう。
ネットニュースを確認すると、あれだけ荒れていたコメントやネット記事がほとんど消されていた。10分前にもあったネットの呟きも、サイトも全て削除されている。不自然なまでの工作。警察に動きがないから、もしかして警察すら脅して黙らせる権力…いや情報を持っているのか?
想像以上の白川製薬の権力。大丈夫焦るな。ここで焦るのはただの凡人だ…。
作戦が急激に動きを始めたので、急ぎ凛人に電話をかける。
「どうしたの、修」
「養父から、手紙が届いた」
「そっち行って、直談判する」
「うん。分かった」
「玄関は開けとくから、明日にでも来て」
「朝方にそっちへ行くよ」
「もう少しだから、頑張ろう」
「そうだね。頑張ろ、修」
電話を切る。電話を切るとき、凛人と切り離された気がして辛い気分になってしまう。しかしそれ以上に辛いのは凛人を助けられないことだ。
証拠を再度確認したりして、明日に備えた。明日が最高の日か最悪の日になるかは俺次第だ。
***
朝方、母親に気づかれないよう音を立てず靴を履き、静かに扉を開けて外へと出る。出る前に見た母親の顔は美容液を辞めてから少しくすみが目立つようになっていた。
3℃の冷えた朝の空気は肺を直接刺す。まだ街が眠っているこの瞬間は俺一人だけのような錯覚に陥ってしまう。でも大丈夫、俺はあのときみたいに一人で退屈してない。あの地獄には俺だけの白い君がそこにいるから。絶対救ってみせるから。そして二人だけの楽園を作る。
白くて機械仕掛けの家。あの不気味な声はなく、導かれるがままに玄関を開け屋敷へと足を踏み込む。
「おはよう。早頭修君」
偽物ではない本物の人間の声が屋敷に響いた。闇を隠した、偽善者の男の声が。
「1階。右奥の書斎部屋に来なさい」
それだけ言って、それ以上は何も言わなかった。ここで行かないという選択肢は無い。廊下はドライアイスのように冷たく、太陽がより高く昇り始める時間になった。本来眩しい陽光もここにいると、全く届かない。カーテンを閉め切られて、ここに差す光は薄い明かりのLEDライトだけだった。
凛人は一体どこにいるのだろう。養父が待ち構える書斎部屋にいるのだろうか。そうだとしたら、養父と同じ部屋に居て、当たり前に側に居る。
…そこはお前じゃない。俺はお前よりもずっと長く凛人と一緒に、凛人の側に、居るべきだ。
一番奥の部屋の扉が解放されている。規律正しく並べられた本棚が見えた。
「…………」
「君と一度、お会いしてみたかったよ」
キャスター付きの高級な椅子を180°回転させこちらに姿を見せる。
「お前が凛人の養父か?」
「いかにも、私が凛人の養父だ」
「白川聡一郎(しらかわそういちろう)だ」
「お見知りおきを」
あんな闇を隠していながら丁重に対応するこの男の姿が不気味で、不快で吐き気がしてくる。
「賢い君なら、来てくれると思ったよ」
「警察に頼らない君の姿勢。僕は評価するよ」
軽くも重い、気味が悪い拍手を鳴らす。並べられた不気味な本棚の中には研究記録や、凛人の日記でも隠されていそうだ。
「それで、君が行っている我が社への」
「迷惑行為を早急にやめていただきたい」
この男は高級な椅子に深く腰掛けているのにも関わらず、上を取られている感覚を味わわせてくる。
「迷惑行為ではないです」
「俺は真実を世間の奴らに伝えているんです」
「真実という名のデマをかな?」
「もう隠しても意味はないですよ」
「懸命に証拠集めでもしたのか?」
「…えぇ、そうですね」
順番に証拠をこの男に叩きつけていく。緊張感を感じるこの最中感じた、凛人と同じグレープフルーツの消臭剤の香りを漂わせているこの男に感情を荒ぶらせないよう、慎重に冷静に感情を保つ。
「1つ目は世間の批判的な視線です」
「貴方の製品に疑念を浮かべ、大きく拡散されています」
「それが証拠か?」
「スクリーンショットだって撮ってます。世間はこうして批判的なコメントを書き残し広めていますよ?」
「でもそのサイトはないだろう?」
「コメントも勿論ない」
「世間がどれだけ声を上げても、私らが…」
なにかをいいかける前に話をやめる。椅子から立ち、俺の前へと向かってくる。グレープフルーツの香りがより一層強くなるほどに。
「…録音は、不公平だな」
上着の内ポケットに隠したボイスレコーダーを回収される。気づくはずがないのに、一体どうやって…。
「もう、2.3個は隠し持っているだろう?」
冷たい手が俺の体を探る。右の袖に隠していたものも、靴に隠していたものも、隠していた6つのボイスレコーダーは全て回収されてしまった。
「金属探知が反応していたものでね」
目線が揺らいでしまった。
「君の弱点は他人をかなり下に見ているところだ」
「続きだが、世間がどれだけ声を上げようとも」
「私達が、謝罪声明をすれば大きく変わることは無い」
「以上だ。…まだ何か持っているという顔だね」
ボイスレコーダーも取られた。この男は俺が思っている以上の圧倒的な存在。残っている証拠だけで、この男を本当に落とせるのか。いや、落とさなければ凛人と俺の未来は無い。荒くなった呼吸をなだめ冷静を保つ。
「…えぇ、まだありますよ」
「あなたの企業が出しているこの美容液」
「化合物ポリメチルメタクリレートの極微細粒子と高濃度ホルマリンの重合体」
「これらは人体の生態組織の腐敗を止め、形状を永遠に固定するものだ」
「貴方は、世間の人が生きたまま標本に変わっていく様を楽しんでいるだけです。違いますか?」
「違法成分なんか売り出していたら大問題だな」
俺が隠し持っていたボイスレコーダーを弄くり回しながら腑抜けた声で返答した。全くの無関心で、聞き流しているこの状況。
「…それだけじゃないです」
「凛人のことも」
「管理して、観察日記までつけて…」
「貴方は凛人を人間じゃなく、標本の一部にしたかっただけだ」
「………………」
「既に情報は、複数のクラウドにアップロードしてある」
「ここで語った情報全てを」
「表向きの輝いた経歴も、違法薬品、息子の異常な管制」
「そして、地下室の死体も明るみに出れば誤魔化しなど出来ない」
「たかだかネットの声を消せたとしても、意味はないですよ」
「…まだ、嘘をつきますか?」
「結構、頑張ってたんだね」
「でもね、修君」
名前呼びをされると、鳥肌が立つ。何故ここまで気持ちが悪いのか俺の思考の歯車が故障をしてしまいそうだ。
「この世の中は、真実だけで動いていない」
「納得で動かしてるんだよ」
「そう、私には人々を納得させられるだけの金も、地位も、権力も、実績もある」
「いくらでも君の出した真実は消し去る事ができる」
「……でま、かせ…じゃ…」
「本当だよ。でも君に教えるわけはない、私は沈黙を貫くよ」
残忍な笑みをこの男は浮かべた。駄目だ、この不快の渦に飲み込まれてしまう。冷たい手も、グレープフルーツの香りも、凛人と一緒なのが、酷い嫌悪感を産み出してしまう。
「君の、恵まれた知恵は一体どこにいったんだい?」
荒い呼吸が止まらない。止められない。手の震えも、目線の動きも。なんで、俺の脳はこういうときに動かないんだ…?
「もう一度言おう」
「迷惑行為を早急にやめていただきたい」
「やめないなら、君の母親もどうなるか…」
「母は関係ない…!」
母親を俺と凛人の人生に巻き込ませたくは無い。
「あぁ、それと」
「凛人には二度と関わらないでもらおうか」
凛人に関われない。俺はまた退屈な存在に戻ってしまう。やっと人生に色が介入してきたのに、そんなのは絶対に嫌だ。そうなるくらいなら、この男を今ここで…。
「だーめ」
強張った肩に冷たい手が触れる。目の前のこいつと同じ匂いがするのに温かくて、優しい不快感など一切無いその存在はただ一人しかいなかった。
「凛人!?部屋に居ろといっただろ?」
「…ちゃんと、来てくれたか…」
「うん。来たよ」
「これも、君の想定内というのか…?」
勘違いしてるなら、利用する。それが賢いやり方だ。
「あぁ、そうだ」
「…チッ」
「…凛人、そいつに肩入れしてる理由は知らんが」
「お前の安寧を壊そうしているんだ」
「大人しく戻っていなさい」
凛人を見ると、思考を無理くり回転させる程の笑みを浮かべた。ここまでこの男と対照的に違うものだというのか。…違う。この男と比較すること自体そもそも間違っている。
「嫌。戻らない」
「はっ…?」
「僕は修の味方するって決めてるから」
「…ははっ。そいつをどうやって庇うんだ凛人?」
「お前は、何も出来ないだろう?」
「大人しく俺の家族で居ておけ」
イライラしているのか頭を荒く掻きむしった。
少し感情的になったこの男は、やはり凛人を偽物の家族の渦中に巻き込んでいるだけだ。
「養父さん。昔こんなことあったよね」
取り出した16GBのUSBメモリをスマホに差し込む。一つの動画ファイルが表示された。この動画が饕餮のようなこの男を喰らってくれる事を願って。
