白い君、紅い唇

10話 題:衝突                 
最近の教室は妙に周りの音が聞こえない。いつもは煩わしいほど聞こえていた、噂話。下世話な話。歩く足音の数。黒板の上にある時計の微かな秒針の音も。チャイムの音も。
今では、凛人の微かな息遣い。姿勢を変えた時に聞こえる布の擦れた音。シャープペンシルを出す際の独特のリズムで発せられる音。…凛人しか聞こえない。
自分でもとっくに狂っていることは自覚できる。嫌な音が聞こえなくなったのは清々するが。
そんな存在が俺にひっそり話しかけてくる。
「修は、作戦上手くいってる?」
「今は拡散中だ。そこそこ知れ渡ってきてると思うぞ」
「凄い…!もうすぐだね。きっと」
「そうだね」
今日も純白で、雪が日に当たる際の輝きを放っていた。それとは対照的な唇。今日は変わらず紅かった。ふと、前に凛人が言っていた「血が滲んでいるみたいで怖いって言われたことがある」という言葉を思い出す。
そいつは何をもってそういった表現をしたのだろうか。そいつには、凛人が血を吸った吸血鬼にでも見えていたのだろうか。例え血を吸っていた怪物でも、俺なら愛せる。
「おい、天才」
周りの音が聞こえない中、突如として介入した。聞き慣れているはずで、聞き慣れない低い声。
「お前か、もう用はないだろ」
「大ありだよ。放課後、旧棟にこい」
「嫌でも連れてくからな」
いつもの陽気でアホな新島斗真ではない。そこにいたのは正反対の冷徹な狩人の新島斗真だった。
「…どうした。いつものお前らしくもない」
「うるせぇ、とにかく来いよ」
勝手に約束を交わされてしまった。新島の性質上、拒否は許されないだろう。それにあの雰囲気だと、会合を拒否するのは不味いと予測できる。
「あの人、変だったね」
去ったのを確認して、凛人がまた話しかけてくる。
「何かあったのか…」
「ねぇ…行っちゃうの?」
「……断ったら、あの男は何をしでかすかわからん」
「おそらく重要なものだろう。今日、新島と決着をつける」
少し苦い表情を浮かべた凛人は、ほんのため息をついた。顔に少しだけだが、「嫌」という文字が見えるような気がする。
「…………分かった……」
「……でも」
死体や、科学薬品の匂いを隠す。グレープフルーツの匂いが最も強くなるくらいに身体を近づけ、耳元で囁く。
「あの男に、唆されないでね」
「……!…!?!!」
突如の耳囁きに、セリフとシチュエーションが相まって久しぶりに動揺が隠せなかった。この一瞬だけ体温が2度くらい上がった。耳もきっと真っ赤だろう。
「……心配、するな」
「そっか」
「はーい。授業始めますよ」
気づかぬ内に授業の開始時間を迎えた。囁いた言葉が耳に焼き付き、授業中も乱反射のごとく、脳内で反芻させた。
***
太陽が沈みかけて、紅い教室に変わったそこには新島斗真がいた。彼のところだけは一段階影が強く落ちていた。
「話があるんだな」
「……白川と、何でそんなに関わるんだ」
「凛人は、優しくこんな俺にも仲良くしてくれたから」
「それだけじゃねぇだろ」 
「いいか、あいつの養父、白川製薬は違法な行為をしてるんだよ」
「違法薬品を製造して、世間に売り出してる」
「お前最近聞かないか?」
「白川製薬の商品に違法な成分が入っているって」
広めたのは俺だから、知っていて当たり前だ。知れ渡っているなら作戦は順調に進んでいるのだろう。
「白川に関わると、マジでろくなことにならねぇんだよ」
「お前は、白川に利用されるかもしれないんだぞ?」
「なぁ、頼むよ。あいつから離れてくれ」
その言葉は冷徹な狩人の言葉ではなく、新島斗真自身の叫びのように聞こえた。それでも俺の気持ちは揺らぐことはない。
「法律なんて、凡人を守るためのルールにすぎない」
「俺と凛人はそんなしがらみから抜けた唯一の存在だ」
「新島。お前には理解できないだろうが、俺達が望んでるのは救済ではない」
「完成だ」
新島斗真は何も言わず、ただひたすらに強く拳を握っていた。微かに開いていた窓から来ている風が俺を後押ししている。そんな感覚になった。
「俺からも一つ聞いていいか?」
「………もうねぇだろ」
「お前はいつから白川製薬が違法行為をしていることを知っているんだ?」
新島斗真の目が少し開き、目線が一瞬揺らいだ。驚いたような、勘付かれて焦っているようなこのリアクション、こいつは何かを隠している。
「お前、前に凛人と関わるなって何回か言ってただろ」
「いや、だから違法成分が入った商品が売り出されてたって」
「その情報が広がる前から、お前は言っていたぞ」
「…それは」
「それと、お前の運動センス」
「は?」
「自慢だが、俺は色んな音を一度に聞き取れる」
「複数の足音の具体的な数、誰が何の話題を話しているとかな」
「でも、お前は一片の音も立てず俺の背中をよく取っている」
「それは…単純に運動神経の問題だろ」
「運動センスがいい奴でも微かに息が聞こえたりする」
「でも、お前はない。息でも止めているのか?」
「…止めてねぇよ」 
「そうか。それとお前凛人の家の前までついてきたことあったな」
「それは何でか。言えるか?」
「ただの興味本位だよ…」
「誤魔化すならもっといいのがあっただろ」
これまでの背中を簡単に取る能力。警戒の呼びかけ。そして、勉強会のときにも凛人の方へと目線を送っていたり、白川製薬の違法に既に気づいている。これらを踏まえて俺の脳が出した予測は恐らく当たっているだろう。
「…お前は」
「警察側の人間か?」
「!?」
「確信を与えるような顔はしないほうがいいぞ」
「そうだな、お前の…例えば、親とかに」
「指示されて、凛人のことを監視しているとかな」
「……っ」
「当たりか?なら、これ以上変な事はするな」
「…お前は…」
「ん?」
「犯罪に加担するのかよ!!」
「お前は賢いんじゃない、狂ってんだよ!!」
「その自覚を持てよ!!」
「なぁ、修…」
肩を強く掴まれる。俺はその手を引き離して新島斗真の正義に俺の正義をぶつける。
「犯罪。その言葉は理解不能な現象に名前をつけて安心を得たいだけだ」
「俺達はこの世界で唯一の腐らない美しさを求めてるだけだ」
「……なんだよ、それ…」
「…新島。もうお前じゃ到底理解できない所に俺はいるんだ」
「じゃあな」
朽ちて、紅く染まっていた教室は、くすんで黒くなっていた。新島斗真の影がこの教室を飲み込んだみたいに。
暗くなった廊下を歩いていくと、一瞬白い人影が見えた。
「…凛人」
「……流石、修」
「いつからいたんだ?」
「ずーっと、会話がギリギリ聞こえるくらいの場所にいた」
「修が気づかないくらいのとこ」
「現に気付かれてるけどな」
「修、あんなに僕の事思ってくれてたんだね」
暗闇を消し去る、そんな光が見える彼の微笑みは、目が笑っていなくて。ほんの少しだけ死の気配を感じた。
「解決したし」
「帰るか」 
「うん。暗いとこ怖いから」
「…暗くなるまで待たせてごめんな」
「一緒に帰るほうが嬉しいもん」
本当、彼は良い返しをしてくれる。人が喜ぶセリフを躊躇せずぶつけてくるのが、惚れの加速度を上昇させていく。
***
暗闇に落ちたこの教室は、俺に後ろ指を指して、負の感情をどんどん産み出してしまう。俺は、失敗した。こんな事を報告すれば最悪な事が起こるなんてすぐ分かる。
「なんで…なんでだよ…」
これ以上監視を続けるのは、俺にはもうできない。
修と衝突しても、気持ちの動きは一切なかった。
「……はぁ…」
「俺、なんで白川の事監視してたんだっけ」
「修となんで友達になりたかったんだっけ…」
そうだ。全部を忘れて、このまま逃げてしまえばいいんだ。
もうお前じゃ到底理解できない所に俺はいるんだ。
修は俺を必要としない。1回も名前で呼んでくれなかった。1回も友達として見てくれなかった。
喚くな。お前はただ淡々と監視していればいい。
白川の監視の目的も指示されてやってただけ。刑事の父親が、俺を苦しめて自由を奪ってた。
「俺は、自由になりたい」
全てを投げ売って、父親に尽くした俺はなんて愚かだったのだろうか。
自由の道をいけば、救われるのだろうか。そう願って父親の連絡先を消し、暗闇をはらい除け教室を後にした。