たった二文字の香りと重さ

 三年生になり、珍しく早起きをし、学校へ、貼りだされているクラス替えを、誰よりも早く見に行った。大きな紙の前で、ゆっくりと目を閉じて、両手を胸の前で握りしめた。

 怖い、指に力が入って、お願いと何度も胸の中で繰り返してから、目を開いた――。
 飛び込んできた、名前に私は、走って教室に入った。まだだれも来ていない。窓を開けると、桜の花びらが、教室に入って来た。揺られながら、机の上に、一枚。席に着くと、次々に入ってくる気配がしたのだが、私は、桜の花びらをみつめていた……。

「よう、元気か? 久しぶりに四人揃ったな」
 私の隣の席に、よね、ちゃこも、集まって、忘れることの無い声が、隣……。
 よねが、私の机に腰かけて。
「真ちゃん、何していたの? 学校で、みかけなかったのだけど?」
「塾、予備校。俺のメインのバンドメンバーは中学から一緒だけれど。あれらも、難関大目指すから」
「進路の話?」
 ちゃこが、驚くような大きな声、教室の生徒は一斉に、振り返っていた。
「国立を受ける、予備で私立も。高校受験で失敗したから」
 言われてみれば、確かに常に学年一位の真ちゃんが、どうして同じ高校にいるのだろうと……。
「お前ら進路は?」
「考えてない。お嫁さん?」
「はあ? まだ間に合うから、進路指導の先生と話し合って、自分が将来、何をしたいのかを……」
 私は、将来……何をしたいのだろう。考えては、いなかった。
「酷く無いか? 中間、期末ともに一〇〇点なのに、単位残り三分の一だから、成績二。生まれ初めてみた、二だぞ」
 私達は、なぜか、空笑い、二は、当たり前だったから。ちゃこが、椅子を私の隣にもってきて、
「真ちゃんは、先輩彼女と別れたの?」
 ちゃこ、ナイスな質問。私が聞きたかった事を、先に言ってくれた。私からは、聞けないのだけれど……。
「自称、彼女な、勝手に彼女名乗りやがって、付き合ってすらいないよ」
「えー!」
 私は、初めて声が出た。
「嘉織里、化粧しなくなったのだな」
 え? 私の事、見ていたの? 私は、探せなかったのに。

 午前で終わり、真ちゃんは、私を見て、
「久しぶりに行くか? 今のうちだけだ、遊べるのは」
「どうして?」
「だから、受験だと言ったろう? どこに行くか? はい、リクエストどうぞ」
 私は、とんかつ というつもりが、
「キャベツ」
 と言ってしまい、よねと、ちゃこは、大笑いしていた。私も笑った。いつ振りだろう、笑ったのは、私、笑っている。笑うことが出来ている。
「行くか、駅ビル。とんかつへ」
「キャベツでしょうと」
 ちゃこが、突っ込む。大笑いしながら、
 私は、顔が赤くなった、顔が赤くなったのは、いつ振りだろう、同時に、目頭が熱くなっているのが、わかった。久しぶりの気持ちだ。

 お店に到着。注文。よねは、メニューを見ながら、
「キャベツ、はじめから大盛にしたら」
「そんなに、食べないぞ」
 ちゃこが、
「2回くらい?」
「いや10回を下回る事はない」
「たべるじゃん」
 みんなで、大笑い。久しぶりに、私から声が出た、楽しいと思えた。楽しい、いつ振りだろう、楽しいという感覚……。
「キャベツ、知っているか? 伊豆市、天城山」
「なにそれ?」
「だから、キャベツの名産地。天城山の湧き水から、育つキャベツ、冬キャベツ。メニューに書いてあるだろ、キャベツの産地」
「本当だ、良く知っているね。キャベツマニアなの?」
 よねは、大笑いしながら、メニューを指さしていた。
 頂きます。
「見てみろ、このキャベツの山、素晴らしい」
「そりゃ、それだけ盛れば、とんかつ、食べているか、キャベツを食べているのか」
 ちゃこは、両指で、真ちゃんのキャベツの山の輪っかをつくっていた。
「ダメだろう、先にとんかつ食べちゃ、キャベツだけ残ってしまう、割合が大事」
「どうでもよくない?」
 私達は、大笑いしていた。あの時に戻れた気がしてきた。
「嘉織里、わかるか? 天城山のキャベツ、題材にしたのが?」
「とんかつ?」
 箸を落とした、真ちゃん。大げさに、固まっていた。ちゃこが、新しいお箸をもってきてくれた。
「天城山題材といえば、天城越え」
「あ!」
 声が出たと同時に、忘れていたドキドキが、胸を鷲摑み。覚えていてくれたのだ……天城越え。
「どうしたの、嘉織里まで、お箸落として」
 よねが、新しいお箸を持ってきてくれて、
「キャベツおかわり、私も!」

 自宅に帰り、部屋に入り、ベッドに飛び込んだ。覚えていてくれたのだ、天城越え……。引き出しを開けて、ノートを見つめると、トランプのハートマークが思い描かれた。――その日、久しぶりに、ベッドで泣いた。嬉しくて泣いたのは、初めて、かもしれない……。