恋愛ごっこ

 制服が冬服へと衣替えされて、銀木犀の柔らかな匂いが微かな芳香を放つ頃になって、如月にまた、新しい彼女が出来たと云う事を、友達づてに聞いた。

 惚れっぽくて冷め易い癖に、その瞬間瞬間の気持ちに懸命になりすぎて、すぐに傷つく如月の新しい恋が、なるべく長続きしますように、なんて殊勝な事を考えてみる。

 自分の気持ちに気が付いた今、あたしは彼の幸せを願う事くらいしか出来ない。
 我慢できずに伝えてしまった言葉に、如月が答えることは無かったのだから。

 親友と云う居場所を失ってしまった事には変わりないけれど、顔を合わせれば挨拶くらいはするし、時々は昔のようにノートの貸し借りをしたりもする。

 ただ、それが毎日では無くなっただけで。
 ただ、顔を合わせない期間が、段々と長くなっていっただけで。

 如月の新しい彼女からしてみれば、良い変化をもたらしたに違いない。
 異性の親友が居なくなったという事実は。

「おー、なんか久しぶり」

 二学期から予備校に通い始めたあたしは、授業が終わると速攻で校門を出て行く。
 もともと部活には入っていなかったから、今までも特別な用事が無い限りは放課後の校内に延々と居座っている事は少なかった。

 その日、午後九時まで組まれている講座が急に休講になって、予備校に通い始めてからは、珍しくも早い時間に解放される。
 お腹も空いたし家に帰る前に一人でお茶でもしようかな、などと考えながら駅に向かう途中、ファストフード店から出てきた少し目立つ集団に出会う。

 黒い髪と眼鏡をいつも探して居る訳では無いのだけれど、自分と同じ制服を身に纏っている彼等の中で、あたしはいとも容易く彼を見つけてしまった。
 ひら、と手を振ってみると、野球部の主将を務めている星名に何やら耳打ちした後、集団から離れて如月が此方に向かって歩みを寄せる。

 秋の気配が大分強まって、そろそろマフラーでも出そうかなどと思っていたのに、如月はいつものようにネクタイを緩く結んで、シャツの第二ボタンまで外していた。

「寒くないわけ?」

 眉を顰め寒そうな襟元を指差すと「男の子だし」と笑う。

 実に三週間ぶりに交わされる挨拶以外の他愛無い会話をぎこちなく進めながら、あたしたちはどこへ行くでもなく歩いていた。

 午後六時を過ぎたばかりなのに、世界は黄昏時を通り越して、すっかり宵の闇。
 ショーウィンドウから漏れる明かりや道行く車のヘッドライトが、少しばかり目に眩しい。

 野球部は夏の大会が終わった後、三年生が引退し、新部長となった星名を中心に新体制を纏め始めた。
 中等部の時の再現のように彼を補佐する形で副部長に収まったのだと、如月は言った。

「まあ新鮮味もないし、あいつらとの付き合いも五年越しだからな」

「あはは、そうだね。如月がこんな小っちゃい時からの付き合いだもんね」

 おどけて自分の肩辺りを指差してみる。

「そーんな小さかったか?」

「えーでも、あたしとあんまり変わらなかったような。いつの間にか育っちゃってさ」

 頭一個分は優にあたしより大きい如月を横目で見ると、彼は眉を上げあたしを見下ろした。眼鏡の奥で細められる柔らかな視線に縫いとめられ、途端に息苦しくなってくる。顔に貼り付けていた笑顔が、固まったような気がする。

 あたしと如月をすっかり隔ててしまった境界線は、思いのほか高く、簡単に踏み越えられるものではない。

 如月の隣で、何も考えずに笑っていたあの頃に戻れるものならば、戻りたいけれど、それは叶わぬ願いだった。
 だって、もうこんなに、その黒い瞳を見るだけで心が逸るのだから。
 大きく脈打つ心臓を宥めるようにそっと手を当てる。

「えーと」

 何かを言わなければ、と絡められた視線を無理に外し、爪先を見ながら「お腹が空いた」と呟くように言葉を落とすと、少し間をおいて、昔のように如月の掌があたしの頬を優しく抓った。

「夕飯前に食べたら、太るぞ」

 たぶん大して長い時間では無かったのだろうけど、如月がそう答えるまでの時間は、あたしにとって、とてつもなく長く思えた。

「太ってもいいお腹空いたんだもん! どっか行こうよー」

 昔の自分の口調を意識している時点で、友達失格なのは判っているのだけれど。

「我儘姫だなあ」

 何度ツッコミを入れても、直らないあたしを『姫』と呼ぶ口癖を耳にして、もしかしたらもう一度友達からやり直せるかもしれない。
 と単純な心は急浮上。
 すぐ右隣を歩き始めた体温に向け、飛び切りの笑顔を演じつつ見上げると、如月はひょいと肩を竦めた。