慣れ親しんだ学び舎の卒業式は、雲一つない青空の下で行われた。
体育館での厳かな式典が終わり、校庭に出ると、そこはもう完全に無礼講の嵐だった。
後輩たちが花束や色紙を持って駆け回り、あちこちで歓声や泣き声が上がっている。
あたしは少し離れた花壇横のベンチに腰掛け、その喧騒をどこか他人事のように眺めていた。
視線の先、校門に近い一番目立つ場所では、案の定、大きな人だかりができている。
星名を中心とした集団。
いつも通り涼しい顔を保とうとしているようだが、制服のボタンは第二どころか下まですべて毟り取られ、挙句の果てにはネクタイまで引っ張られて、後輩の女子たちに囲まれながら辟易とした表情を浮かべている。
如月は相変わらずの人の良さで、泣き出す後輩を宥めたり、写真撮影に応じたりと忙しそうだ。
彼の制服からも、当然のようにボタンは消え失せ、誰かに貰ったのか大量の紙袋を抱えて苦笑いしている。
あの黒い髪。少し猫背気味の背中。
眼鏡の奥の、優しげに細められる瞳。
五年間の大半を、あたしはあの背中のすぐ隣で過ごしてきた。
彼が笑えば嬉しかったし、彼が悲しめば同じように胸が痛んだ。
彼への感情を自覚してからは、世界の色が変わったように思えた。
恋に焦がれ、嫉妬に狂い、醜い感情に振り回され、そして、あっけなく終わった。
今なら、あの中に混ざって「卒業おめでとう」と声をかけることができるかもしれない。
わだかまりを捨てて、昔のような親友の顔をして、笑いかけることができるかもしれない。
けれど、あたしはゆっくりと立ち上がり、彼らとは逆の方向へ、誰もいない裏門へと向かって歩き出した。
これでいい。
綺麗に終わらせる必要なんてない。
無理に『良い友達』に戻る必要もない。
ガラスに入ったひびみたいな恋だった。
迂闊に触れなければただの透明で、向こう側の景色も歪まずに見えていたのに、一度その亀裂に気づいてしまったら、もう元どおりの一枚には戻らない。
あたしは、ずっと無傷のつもりでいた。
友達という名の、平らで安全な面の上に寝転んで、同じ夜を何度もなぞっていけると思っていた。
でもあの雨の夜、歩道橋の上から見下ろしたそのひびは、静かで、誰にも聞こえない音で、確実に私の心の深い所に浸食していた。
差し出されることも、ほどかれることもなく、ただ彼の心の中の情動を鎮めようとしていた、如月の握りしめた手。
割れないように必死で押さえつけているみたいだったな。
安易に触れれば割れてしまうのは予定調和だ。
透明だったはずの間には、もう細い線が走っている。
見えないふりはできるけれど、消すことはできない。
そんな恋だった。
あの夏の夜のベランダでぽろりと落ちた、線香花火の火種みたいに、熱くて、痛くて。
足の甲に小さな火傷の痕を残して。
思い出すたびに少しだけちくりと痛む。
硝子のひび割れから浸食した一瞬の眩い光が、チリチリと焦燥を燃やしている。
一方的で、決して報われることはなかったけれど。
熱さも、痛みも、彼に恋をして流したたくさんの涙も、すべてがあたしの財産だ。
間違いなく、あたしの青春のすべてだった。
振り返ることなく、裏門を抜ける。
冷たい風が桜の蕾を揺らし、あたしの髪を吹き抜けていく。
遠くで響く歓声も、吹奏楽部の奏でる音楽も、もう届かない。
胸を張り、一歩を踏み出す。
春から始まる新しい生活には、彼を思い出すような景色は一つもないはずだ。
今はただ、空っぽになったこの胸に、新しい風をいっぱい吸い込みたかった。
体育館での厳かな式典が終わり、校庭に出ると、そこはもう完全に無礼講の嵐だった。
後輩たちが花束や色紙を持って駆け回り、あちこちで歓声や泣き声が上がっている。
あたしは少し離れた花壇横のベンチに腰掛け、その喧騒をどこか他人事のように眺めていた。
視線の先、校門に近い一番目立つ場所では、案の定、大きな人だかりができている。
星名を中心とした集団。
いつも通り涼しい顔を保とうとしているようだが、制服のボタンは第二どころか下まですべて毟り取られ、挙句の果てにはネクタイまで引っ張られて、後輩の女子たちに囲まれながら辟易とした表情を浮かべている。
如月は相変わらずの人の良さで、泣き出す後輩を宥めたり、写真撮影に応じたりと忙しそうだ。
彼の制服からも、当然のようにボタンは消え失せ、誰かに貰ったのか大量の紙袋を抱えて苦笑いしている。
あの黒い髪。少し猫背気味の背中。
眼鏡の奥の、優しげに細められる瞳。
五年間の大半を、あたしはあの背中のすぐ隣で過ごしてきた。
彼が笑えば嬉しかったし、彼が悲しめば同じように胸が痛んだ。
彼への感情を自覚してからは、世界の色が変わったように思えた。
恋に焦がれ、嫉妬に狂い、醜い感情に振り回され、そして、あっけなく終わった。
今なら、あの中に混ざって「卒業おめでとう」と声をかけることができるかもしれない。
わだかまりを捨てて、昔のような親友の顔をして、笑いかけることができるかもしれない。
けれど、あたしはゆっくりと立ち上がり、彼らとは逆の方向へ、誰もいない裏門へと向かって歩き出した。
これでいい。
綺麗に終わらせる必要なんてない。
無理に『良い友達』に戻る必要もない。
ガラスに入ったひびみたいな恋だった。
迂闊に触れなければただの透明で、向こう側の景色も歪まずに見えていたのに、一度その亀裂に気づいてしまったら、もう元どおりの一枚には戻らない。
あたしは、ずっと無傷のつもりでいた。
友達という名の、平らで安全な面の上に寝転んで、同じ夜を何度もなぞっていけると思っていた。
でもあの雨の夜、歩道橋の上から見下ろしたそのひびは、静かで、誰にも聞こえない音で、確実に私の心の深い所に浸食していた。
差し出されることも、ほどかれることもなく、ただ彼の心の中の情動を鎮めようとしていた、如月の握りしめた手。
割れないように必死で押さえつけているみたいだったな。
安易に触れれば割れてしまうのは予定調和だ。
透明だったはずの間には、もう細い線が走っている。
見えないふりはできるけれど、消すことはできない。
そんな恋だった。
あの夏の夜のベランダでぽろりと落ちた、線香花火の火種みたいに、熱くて、痛くて。
足の甲に小さな火傷の痕を残して。
思い出すたびに少しだけちくりと痛む。
硝子のひび割れから浸食した一瞬の眩い光が、チリチリと焦燥を燃やしている。
一方的で、決して報われることはなかったけれど。
熱さも、痛みも、彼に恋をして流したたくさんの涙も、すべてがあたしの財産だ。
間違いなく、あたしの青春のすべてだった。
振り返ることなく、裏門を抜ける。
冷たい風が桜の蕾を揺らし、あたしの髪を吹き抜けていく。
遠くで響く歓声も、吹奏楽部の奏でる音楽も、もう届かない。
胸を張り、一歩を踏み出す。
春から始まる新しい生活には、彼を思い出すような景色は一つもないはずだ。
今はただ、空っぽになったこの胸に、新しい風をいっぱい吸い込みたかった。



