けれど。
あたしの口から出た言葉は、自分でも驚くほど、静かで、確かなものだった。
「ごめん、星名」
星名の手に包まれた自分の手を、ゆっくりと、引き抜く。
星名は何も言わず、ただ静かにあたしの目を見ていた。
「星名のことは、本当に、すごく大切に思ってる。この一年、星名がいなかったら、あたしは絶対ここまで来れなかった。……でも、それは、恋じゃないの」
残酷な言葉だと思った。
相手の好意をすべてわかった上で、それをはねつける。
こんなの、ただの我儘でしかない。
「あたしの心のどこかは、ずっとある瞬間から止まってて。別の誰かで、その穴を埋めるのは……星名に対して、一番失礼だと……思う、から」
沈黙が落ちた。
星名はゆっくりと目を伏せ、やがて、短く息を吐き出して、自嘲するように笑った。
「……お前、ほんと頑固だな」
「ごめん」
「謝るな。振られる覚悟くらい、最初からしてた。……やっぱり、あいつには勝てねぇか」
「そんなんじゃないよ。ただ、あたしが、まだちゃんと前を向けてないだけ」
少しだけ気まずい空気が流れる中、星名は立ち上がり「ま、北の大地でヒグマにでも食われないように気をつけろよ」と、いつもの調子で頭を乱暴に撫でつける。
その不器用な優しさに、思わず泣きそうになった。
星名の背中を見送りながら、あたしの胸の内には、ひとつの大きな気づきが広がっていた。
――好意を受け止め手放す事って、こんなに苦しいことなんだ。
星名からの真っ直ぐな想いを突き返したとき、あたしの心を満たしたのは、優越感でも安堵でもなく、酷い罪悪感と、胸を抉られるような痛みだった。
好きになってくれた気持ちに、応えられない。
相手がどれだけ自分を大切に思ってくれているか痛いほどわかるのに、自分の心がどうしても別の方向を向いていて、その気持ちを欺くことができない。
無理に応えれば、結果的に相手をもっと深く傷つけることになる。
だから、断るしかない。
自分の手で、相手の心を決定的に壊してしまうとわかっていても。
その重さを、痛みを、知った瞬間。
あたしの脳裏に、あの夏の終わりの、如月の顔がフラッシュバックした。
『好き、なのかもしれない』
あたしがそう告げた刹那。
虚ろな視界の中で見た、如月のあの静かな瞳。
あたしの涙を拭ってくれた、あの戸惑いがちな大きな手。
あの時、如月は、今のあたしと同じ気持ちだったのだろうか。
五年間、親友としてずっと隣にいて、大切に思っていた相手から、突然向けられた想定外の熱情。
如月は気が優しくて、寂しがり屋で、他人の痛みに敏感な人だった。
あたしを振ることで、あたしがどれほど傷つくか、彼がわからないはずがなかった。
それでも、彼は嘘をつけなかったのだ。
同情や惰性であたしを受け入れることは、五年間の友情に対する裏切りであり、あたしという人間に対する最大の侮辱になると、彼なりにわかっていたから。
あたしが星名を断ったように。
如月もまた、身を切るような思いで、あたしの手を離したのかもしれない。
如月が悪いわけじゃなかった。
彼があたしを避けるようになったのも、新しい彼女を作ったのも、あたしがいつまでも『元親友』というぬるま湯に浸かって、前に進めないでいるのを見抜いていたからかもしれない。
嫌われたからじゃなくて、如月の中では、あたしに対する恋が、生まれなかっただけだ。
ずっと胸の奥につっかえていた、黒く濁った感情。
どうしてあたしじゃダメなの、という怒りや、如月への理不尽な怨嗟が、まるで春の雪解け水のように、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
あぁ、そうか。
あたしは、ちゃんと振られていた。
あの時、すでに、優しく、誠実に。
頬を伝う一筋の涙は、悲しみのそれではなく、長い間抱え込んでいた呪縛からようやく解放された、安堵の涙だった。
あたしの口から出た言葉は、自分でも驚くほど、静かで、確かなものだった。
「ごめん、星名」
星名の手に包まれた自分の手を、ゆっくりと、引き抜く。
星名は何も言わず、ただ静かにあたしの目を見ていた。
「星名のことは、本当に、すごく大切に思ってる。この一年、星名がいなかったら、あたしは絶対ここまで来れなかった。……でも、それは、恋じゃないの」
残酷な言葉だと思った。
相手の好意をすべてわかった上で、それをはねつける。
こんなの、ただの我儘でしかない。
「あたしの心のどこかは、ずっとある瞬間から止まってて。別の誰かで、その穴を埋めるのは……星名に対して、一番失礼だと……思う、から」
沈黙が落ちた。
星名はゆっくりと目を伏せ、やがて、短く息を吐き出して、自嘲するように笑った。
「……お前、ほんと頑固だな」
「ごめん」
「謝るな。振られる覚悟くらい、最初からしてた。……やっぱり、あいつには勝てねぇか」
「そんなんじゃないよ。ただ、あたしが、まだちゃんと前を向けてないだけ」
少しだけ気まずい空気が流れる中、星名は立ち上がり「ま、北の大地でヒグマにでも食われないように気をつけろよ」と、いつもの調子で頭を乱暴に撫でつける。
その不器用な優しさに、思わず泣きそうになった。
星名の背中を見送りながら、あたしの胸の内には、ひとつの大きな気づきが広がっていた。
――好意を受け止め手放す事って、こんなに苦しいことなんだ。
星名からの真っ直ぐな想いを突き返したとき、あたしの心を満たしたのは、優越感でも安堵でもなく、酷い罪悪感と、胸を抉られるような痛みだった。
好きになってくれた気持ちに、応えられない。
相手がどれだけ自分を大切に思ってくれているか痛いほどわかるのに、自分の心がどうしても別の方向を向いていて、その気持ちを欺くことができない。
無理に応えれば、結果的に相手をもっと深く傷つけることになる。
だから、断るしかない。
自分の手で、相手の心を決定的に壊してしまうとわかっていても。
その重さを、痛みを、知った瞬間。
あたしの脳裏に、あの夏の終わりの、如月の顔がフラッシュバックした。
『好き、なのかもしれない』
あたしがそう告げた刹那。
虚ろな視界の中で見た、如月のあの静かな瞳。
あたしの涙を拭ってくれた、あの戸惑いがちな大きな手。
あの時、如月は、今のあたしと同じ気持ちだったのだろうか。
五年間、親友としてずっと隣にいて、大切に思っていた相手から、突然向けられた想定外の熱情。
如月は気が優しくて、寂しがり屋で、他人の痛みに敏感な人だった。
あたしを振ることで、あたしがどれほど傷つくか、彼がわからないはずがなかった。
それでも、彼は嘘をつけなかったのだ。
同情や惰性であたしを受け入れることは、五年間の友情に対する裏切りであり、あたしという人間に対する最大の侮辱になると、彼なりにわかっていたから。
あたしが星名を断ったように。
如月もまた、身を切るような思いで、あたしの手を離したのかもしれない。
如月が悪いわけじゃなかった。
彼があたしを避けるようになったのも、新しい彼女を作ったのも、あたしがいつまでも『元親友』というぬるま湯に浸かって、前に進めないでいるのを見抜いていたからかもしれない。
嫌われたからじゃなくて、如月の中では、あたしに対する恋が、生まれなかっただけだ。
ずっと胸の奥につっかえていた、黒く濁った感情。
どうしてあたしじゃダメなの、という怒りや、如月への理不尽な怨嗟が、まるで春の雪解け水のように、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
あぁ、そうか。
あたしは、ちゃんと振られていた。
あの時、すでに、優しく、誠実に。
頬を伝う一筋の涙は、悲しみのそれではなく、長い間抱え込んでいた呪縛からようやく解放された、安堵の涙だった。



