隣の席のあいつには、見えないものが見えているらしい

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 夜の井の頭公園は、昼間の健全で楽しげな雰囲気とはまた違った顔を見せる。薄暗がりを歩きながら、陽翔は手持ちのカメラに向かって、かつてこの公園で起きた事件の解説を始めた。

 井の頭公園では、1994年に猟奇的な殺人事件が起きている。34歳の男性が被害者となり、その遺体は同じ大きさに切り分けられて公園内に遺棄されたという。犯人はいまだ見つかっておらず、未解決事件として多くの謎が残されている。

 撮影しているのは、動画配信サイトにアップするための動画だ。心霊スポットや過去の事件現場を歩き、そこにまつわる解説をしつつ動画を撮る。怪現象が起これば儲けもの、そんな気持ちで中学生の頃から動画を撮ってきた。

 事前に作っておいた原稿を思い出しながら喋りつつビデオを回した。最初は数えるほどの人にしか見て貰えなかった動画だが、あるときたまたま怪現象を捕らえ、それが動画サイトのおすすめに上がったことから登録者数が急増した。いまでは多くの視聴者を抱えているが、まだまだだ。
 なぜなら動画を撮る目的は、登録者数のためではなく、どうしても叶えたい願いのためだから。

 そのときふと、足を止めた。対岸の七井橋の傍はボート乗り場になっており、スワンボートやサイクルボートが並んでいる。昼間は楽しげに池の中を動き回っているスワンたちも、夜は行儀良くおなじ方向に首を向けて静止している。その様子は静謐で、どこか寂しげにも見えた。

「……犯人も、このスワンボートを見たんですかね。それとも、そんな余裕なんてなかったかな……」

 原稿にない言葉が、口からこぼれた。
 かの事件の犯人は遺体をどこかで解体し、この公園に持ち込んで遺棄したのではと言われている。

 ――犯人は一体なぜ、何を考えて、そのようなことをしたのか。

 そう思ったときのことだった。視界の端のスワンボートが僅かに揺れるのが見えた。

「え?」

 地震か、と思った。けれど足元は揺れていない。揺れているのはスワンボートの群れだけだ。その揺れはどんどん大きくなり、池にはざわざわと波が立ち始めた。陽翔は思わずアクションカメラを構える。これはスクープだ、と頭のなかで鐘が鳴った。慌ててズームして、揺れるスワンボートを捉える。

「見えますか? いきなりスワンボートが揺れ始めました。地震とかじゃないです。まるで、生き物みたいに」

 興奮で声が震える。怪異を、捉えた。そう思った瞬間。

「は?」

 不意にカメラを持つ右腕を強く引かれた。思わずカメラを落としそうになり、慌てて持ち手を強く掴む。右腕を見てみるが、そこには何も無い。なのに、まるで見えない何かに引っ張られるように、腕が引かれる。その強い力に抗えず、よろめきながらそちらへ足を踏み出した。

「なんだ?」

 戸惑いに頭が支配される。懸命に「何か」を振り払おうとするけれど、からみつくそれは離れない。見えないけれど、確かになにかが「いる」。

 怪異に会いたいと思ってきた。けれどこれはあまりにも急で、対応の仕方がわからない。パニックにならないようにと思うが、どうしようもないまま引きずられるように池に近づく。するとスワンボートが一艘、吸い寄せられるようにこちらに近づいて来るのが見えた。

「……なんで?」

 運転席には誰もいない。明らかにおかしい。するとまた腕を引かれ、陽翔は気づいた。

 ……自分の身体が、もはや自分の意思で動かせなくなっていることに。