君が忘れた物語

 「どうか、お願いします……っ!」

 翌日、俺は頭を下げていた。

 メイクに関するある算段、と言っても単純な話で、クラスメイトの中で一番メイクに精通していそうな子、つまりは夏目さんに、ただお願いするしかなかった。

 クラスのアイドル、学園のマドンナ、高嶺の花。月並みではあるけど、彼女を形容する言葉は枚挙に|《いとま》がない。彼女の反感を買うだけで学校生活が脅かされるような、つまりはそんなにもリスキーな相手に頭を下げていたのだった。

 ただ、春木さんの明るい表情を見たいという一心で。

 「えっ! むしろやらせてほしい!」

 そう即答があった。
 
 あれ、思ってたのと違う。 

 「ずっと、春木さんメイクしたら似合いそうだな〜って思ってたから、そう声かけてもらえて光栄だよ!」

 彼女の一語一句を耳にする度に、クラスの実権を掌握する女王的なイメージが、音もなく崩れ去っていった。

 いつも周りの人たちに合わせて微笑んでいる夏目さんの印象は、話してみると随分違った。強い目元の印象と、彼女を慕う周りの人からの人望を見ていると、どうしても女王様感が拭えなかったのだけど、実際はめちゃくちゃ気さくで、柔らかく笑う人だった。

 きっと彼女も、自身にかけられた印象や期待に応える苦労があるんだろうなと思いつつ。

 本来の夏目さんが広く知られたら、今よりももっと人気が出るんだろうな、なんて考えながら彼女の承諾に笑みで返す。

 「あ、でも、その代わり、ではないんだけど、私からもお願いがあるの」
 
 「お願い?」

 なんだろうと思っていると、意外な言葉が続いた。

 「次の期末テスト、かなり不安だから勉強を教えてほしいな、って……」

 「夏目さん、勝手なイメージだけど、成績いいと思ってた」

 「悪くはないよ? でも、親が厳しくって、少しでも成績落ちると色々制限されちゃうから……」

 でも、どうして俺に……? そんな疑問符が浮かぶ。

 「あっ、もしかして秋岡くん、知らない?」

 「なにを?」

 「あのね、春木さんって、ものすごく頭いいんだよ」

 ようやく合点がいった。俺ではなく、春木さんを希望ということか。

 「私も自分を優等生だと自負してるけど、私が優等生なら、春木さんは特待生」

 春木さんの成績、そんなによかったんだなと、驚きと同時に新たに知れたことを嬉しく思う。

 「じゃあ春木さんにかけあってみるよ。きっと平気だと思うから、三人で勉強会でもしよう」

 ここまで気さくで人の良い夏目さんとだったら、春木さんも仲良くできるはずだ。

 そんなことを思って、勝手に承諾した。