君が忘れた物語

 そんな毎日の中で、でも俺は彼女との距離の縮め方に迷っていた。先日変に意識してしまったせいか、挨拶する以外に接点を持てずにいた。授業でのグループワークとか席替えとか、そういうところで「同じになれ〜!」と運頼みする始末だ。案の定、まだ一度も同じになっていない。

 だけど、ある放課後。いつもならそそくさと足早に帰路につく彼女が、珍しく残って席に着いていたことがあった。なにかするわけでもなく(たたず)む春木さん。

 「ちょっとごめん、先帰ってて!」

 いつも一緒に帰る例の三人にそう告げると、彼らに背を向けて教室内の窓際にある彼女席へと向かった。

 彼女の席のそばまで来るも、そこから俺と彼女の間に大きな静寂が横たわった。教室内にはまだ(まば)らに人が残っていたから声をかけづらかったのかもしれない。少し待っていると次々と教室から人は減っていった。そうして、黒板を片づけていた日直らしきクラスメイトが出ていくと、ついには俺と彼女のふたりだけが教室に取り残される形となった。つまりは、話しやすいふたりの時間になったのだ。

 「…………」

 「…………」

 「……えっと、春木さん」

 ひとまずは、声をかけてみる。きっかけを作らないと会話にすらならなそうな雰囲気だった。

 「……はい」

 「なにか用事があって残ってるの?」

 「ううん、別になにもないよ」

 「そうなんだ」

 じゃあどうして残っているのかと、そう聞きたい気もしたけど、なぜか聞けなかった。

 逆に、彼女がこう言う。

 「秋岡くんこそ、友達みんな帰っちゃったみたいだけど、どうしてひとり残ってるの?」

 「え、あー、俺が今日の日直かと……」

 苦しすぎる言い訳だった。だって、君が珍しく残っていて、話せるチャンスかもしれないと思ったから。だなんて恥ずかしくて言えるはずがない。

 そう思っていたら、またも彼女が先手を取った。

 「私はね、あえて残ってたの」

 「あえて?」

 「うん。なにも用事はなかったけど、なにも用事がなかったからこそ残れたとも言えるかな」

 合点のいかない言い方だなと思った。用事がないと残る理由なんてないだろうに。

 「私が放課後、こうして時間を持て余してたら、きっと秋岡くんが声をかけてくれるんじゃないかと思って」

 「それは……」

 そこまで計算してのことだったらしい。実際そうなっているわけだけど、じゃあどうして俺が声をかけてくるかもと、それだけの理由で学校に残っていたんだろう。そんな俺の疑問を察してか、彼女は続けた。

 「私は、秋岡くんに言いたいこと、聞きたいことがあるの」

 「聞きたいこと……?」

 少なからず興味を持たれていることは喜ばしいことなのかもしれないけど、思いもよらない返事に構えてしまう。

 「うん。聞きたいこと」

 構えつつも、チャンスだと思った。距離の縮め方に困っているのも事実だったから、このやり取りの中でなにかきっかけを掴みたい。

 「俺も春木さんに聞きたいことあるんだ。だから、お互いに順番ずつ、っていうのでどうかな?」

 「いいよ。そうしよう」

 納得したように(うなず)く春木さん。そんな春木さんが待っていてくれたから実現した時間だ。最初の質問はもちろん彼女から。

 「じゃあ、俺に聞きたいことってなに?」

 「……うーん、じゃあ」

 僅かな間を置いて、どう質問するかを決めたらしい。そう迷うくらいには、俺に訊ねたいことがあるらしかった。

 「今さらではあるんだけど……。あの夏祭りの日、私が天体望遠鏡を落として怪我させちゃったのって、秋岡くんだよね?」

 「俺で間違いないけど、驚かせたのは俺のせいだったんだから気にしないでいいんだよ」

 「痛かったよね、ごめんね。でもありがとう。これを確認したかったのもあるけど、私が聞きたいのは、どうしてあの時、あんな場所にいたのかってこと。夏祭りもやってたのに」

 それが聞きたいことのひとつ目だった。深い理由はないから面白い返答はできないけど。

 「だからだよ」

 「だから?」

 「あの時、俺はまだ引っ越してきて間もなくて、街中を散策してたんだ。しているうちに、一方向に人が流れていっていることに気づいて後を追うと、神社で夏祭りをやってたんだ」

 今から二か月ほど前のことだ。秋の季節が顔を出し始めている現在とは違って、半袖を着ていてもむせかえるような暑い夏の日だった。

 「もちろん、夏祭りも風情があって雰囲気もいいし好きなんだけど、だからこそ、その夏祭りのせいで誰からも注目されない神社近くの山が気になってね。気づけば登ってた」

 天邪鬼(あまのじゃく)と思われるかもしれないけど、俺としては、そういう〝見られるもの〟のせいで陰になっているような、見えづらくなっている場所にこそ、興味が湧く。実際、彼女と一足早く出会えたわけだから。

 「……その気持ちは、なんとなくわかる気がする」

 自分としても天邪鬼だなと思うほど、曲がった考え方と思っていたのに、思いもよらな い共感が得られた。

 「私もそう。夏祭りの日にあえて天体観測してたのは、誰もが祭りや花火に目を向ける中で、誰にも見られていない星空が一番綺麗に見えるんじゃないかと思ったから」

 まあ実際は、祭りや花火の明るさのせいで、いつもほどは綺麗に見えなかったんだけど。と、苦笑する春木さん。

 「あと、あの日の天体望遠鏡、俺が預かってるから、そのうち返させてね」

 「……わざわざありがとう」

 話す波長、考え方、そういう要素たちが、彼女と合致している感覚で、共有する時間を心地よく感じ始めていた。

 「じゃあ俺の番。春木さん、最初はスルーだったのに、どうしていつからか俺の言葉に返事してくれるようになったの?」

 「……返したくなったから」

 「えっ、それだけ?」

 「うん。返そうって気づいたら思ってただけ。その頃から、秋岡くんは私の興味の対象だったんだろうなとは思うけどね」

 お互い答え合うと、要領を得たように、スラスラと質問し合っていった。好みや趣味、家族構成からちょっとした悩みまで。

 それらが肩慣らしだったかのように、ある瞬間から春木さんの表情には少し真剣味が加わった。

 「じゃあ、次の質問ね」

 「うん」

 「どうして私に構うの?」

 「え、どうしてって……」

 「異性と仲良くなりたいなら、人気もあって見た目もいい、夏目さんみたいな人の方がいいと思う。秋岡くんなら臆せずに話しかけられるだろうし」

 これが、彼女の最も聞きたいと思っていたもののひとつなんだろうことは、その雰囲気からも察せられた。

 春木さんは、クラス内で意図的にひとりぼっちでいようとしている節があるし、なにか理由があってそうしているなら、俺の存在が邪魔だということも想像に難くない。

 「それとも、私が孤立しているから気にしてくれてるとか? そういうお節介精神?」

 少しきつい言い方だと思った。やっぱり〝ここ〟に、彼女を知るためのなにかがあるんだろう。

 「いいや。そんなお人好しみたいな理由じゃないよ。むしろ、前者の理由にかなり近い」

 「前者?」

 「異性と仲良くなりたいなら夏目さんがいいだろってやつ」

 「そう言ったけど……」

 「単純な話だよ。俺にとっては、ここに来て一番素敵に見えた異性が春木さんだったってだけ。一番近づきたい異性に必死に声かけるなんて、単純だし、純粋でわかりやすいでしょ」

 「…………」

 「いや、こういうタイミングで黙らないでほしいなぁ。恥ずかしいこと言った自覚はあるけど、できるだけ素直に、誠実に答えたいと思ったから包み隠さず言ったんだぞ」

 「あっ、ごめんなさい。あの、えっと、男子にそんなこと言われたのはじめてだったから。なんて返したらいいかわからなくて」
 
 視線を彷徨(さまよ)わせて、俺と合うとすぐ()らす。そんな落ち着かない表情の春木さんが、とても可愛いなと思った。紅潮した頬は、きっと差し込む西陽のせいなんかじゃない。

 「でも、やっぱりそれなら夏目さんの方が……」

 まだそんなことを言うのか!と正直思ってしまったけど、どうにか声には出さない。

 「確かに夏目さんが人気なのも慕われてるのもわかる。わかるけど、春木さんだって負けちゃいないさ。目鼻立ちが整ってるんだから、めちゃくちゃ化粧が似合うと思う。夏目さんは普段からメイクしてるっぽいし、だから春木さんだって!」

 都会では中学生にもなるとメイクしてる女子も多かった。その中の夏目さん的立ち位置の女子が、鼻と骨格が綺麗なら誰でもメイク映えする。と豪語していたことを今でも覚えている。彼女の言っていた良い素材というのは、まさに春木さんのような子のことなんだろう。

 「春木さんが良ければ、近々メイクさせてほしい。きっと楽しいと思うから」

 ある算段を立ててそう言った。

 「私はいいけど、秋岡くん、メイクなんてできるの……?」

 都会に住んでた男の子はそんなことまでできるんだ、なんて声が聞こえてきそうな顔をしていたけど、もちろんメイクなんてできない。でも、メイクをする環境を整えることはできると思っていた。

 「俺に任せてくれ。大丈夫」

 納得はいっていないながらも「わかった」と承諾してくれた。楽しみがひとつ増えたと心の中でガッツポーズした。

 そして、次は俺の質問の番。

 時間的にこれが最後の質問になるだろうと思う。

 俺があんなにも恥を忍んで素直に答えたのだから、少し踏み込んだ質問をしても許してほしいという気持ちで、口を開いた。

 「俺からの質問ね」

 「どうぞ」

 「春木さんは、どうしていつもひとりなの?」

 失礼な言い方なのはわかっているけど、これが一番聞くにわかりやすいと思った。

 「こう話している感覚的にも、友達が作れないだなんて思えないし、周りに嫌われたりしてる様子もない。むしろ、周りが春木さんに遠慮してるように見えるんだよ、俺には」

 きっと聞かれたくないことだったろう。

 春木さんはわかりやすく口ごもっていた。

 だから、容赦なく言葉を畳み掛けた。

 「元からひとりなんじゃなくて、自分からひとりになっているようにしか見えないよ」

 そこまで言うと、春木さんは観念したのか、弱々しい声音で言った。

 「病気、みたいなものだから」

 「ひとりになろうとしてしまう病気?」

 「違くって、変な症状がいつも付き(まと)ってるから、その症状から自分を守るために、極力誰とも接しないようにしてるの」

 人を自ら避ける理由があるのだろうとは思っていた。ただ、どんな症状だと人を避けながら生活しなければいけなくなるのか、俺の想像は及ばなかった。

 「その症状は、今現在も発症してるの?」

 「うん」

 その返事には、これ以上は語らない、もう言い切ったぞと、そんな意思が感じられた。

 「教えてくれてありがとう。春木さんのことを知れるのは、すごく嬉しいよ」

 素直な言葉だった。少しの恥じらいはあれど、今日話した感じでは、多少わかりやすい言葉を言った方がちゃんと伝わると思った。

 「こちらこそありがとう。楽しかった」

 互いにお礼を言うと、そのまま解散の流れになった。

 相手は女の子だし、放課後少し長く残ってしまったから家まで送り届けたい気持ちもあったけど、やめた。きっと俺のせいで気疲れしていると思ったから。だから別れ際にこう言う。

 「金曜日の放課後、今日みたいに学校に残ってて!」

 「うん?」

 「さっき言ってたメイク、やるから」

 「……わかった」

 少しの間があったけど、嫌だというような感情は伝わってことなかった。むしろ、少し楽しそうな雰囲気もあった。

 「じゃあまた明日」

 「うん、また明日」

 こうしてふたりきりで挨拶できたことへの嬉しさを|《か》み締めつつ、俺は帰路についた。