君が忘れた物語

 ……その映画の内容は、問題を抱えたヒロインのことをヒーローが支え次第に恋に落ちていくのだけど、唐突の事故でヒーローを亡くし、そこから喪失感を引きずりながらもヒーローの意志を継いで前を向いていく。と、そんな話だった。

 この話が妙に心にきてしまって、ヒーローの言動がいちいち奏多に似ているように思えて、つまりは自分と重ねて観てしまったせいで情緒のコントロールができなくなってしまったのだった。

 なんとか呼吸を整え流れる涙を拭う。この涙は、奏多と離れ離れになってしまってからはじめて流したものだった。

 そんな私を心配顔で見つめる彼に、もうこんな泣き顔を見られてしまったのだから隠すことはないだろう。そんなふうに思い、少し寄りかかってしまおうという甘えた気持ちが、

 言葉となって口をついて出た。

 「話、聞いてくれますか……?」

 「もちろん。どんな話でも」

 私の言葉に対して、一切の不安を感じさせない間で返答があった。言葉に包容力があるというか、彼の前ではなにを話しても平気だという不思議な安心感があった。

 「私ね、恋人がいるんです」

 いた、と過去形にした方がいいのかな。

 「もう、恋人って言っていいのかわからないんだけど……」

 そうして話し出すと、口からついて出てくる言葉には収拾がつかない。思い出話から抱いていた不安や不満、そしてこれまで募らせてきた寂寥感を、言葉にして全部吐き出していた。

 きっと聞いていても楽しくない話だったと思う。それでも、一度たりとも邪魔することなく、ちゃんと聞いているという姿勢を崩さずに私のことを見てくれていた。

 そうして、思いつく限りの言葉を尽くし終えると、「こんな自分と映画を重ねて泣いてしまいました」と、少し羞恥心を抱きながら言った。その頃にはもう涙は止んでいた。

 「そうだったんですね」

 俊くんは頷きながらそう返事すると、続けて私の思いもよらない言葉を吐いた。

 「彼氏さん、素敵な人なんですね」

 「………っ」

 半分以上が愚痴にも聞こえるような不満や文句といった感情の吐露だったのに、それに対して素敵な人だという感想が出るのは、予想外だった。

 「どうしてそう思うんですか」

 「だって、心優しい瑚子さんに、ここまで想われているんだから。いい人に決まってます」

 そう言われ、またしても目尻が滲んでしまう。

 「帰りましょうか、よければ家の近くまで送らせてください」

 今はひとりになりたくなかったけど、家の場所を知られるのは少し抵抗がある。そんな
 
 私の気持ちを()み取ってか、よければ家の近くまで、という提案の仕方がありがたく、同時にとても温かな優しさを感じられる言葉だった。

 ふたりで乗る帰りの電車では優先して私を座らせてくれようとし、歩いている時には気が紛れるような様々な話題を挙げて話をしてくれた。

 優しく微笑む彼を見ていると、少しずつ心が落ち着いていくことを実感した。本当にいい人だなぁとしみじみ思う。

 「この辺りでいいですよ」

 あと家まで五分もかからないというような場所でそう告げる。並ぶ住宅街からは夕食を準備する良い香りがした。

 「わかりました、残りの道も気をつけて」

 「ありがとうございます。そして、今日はすみませんでした、迷惑をかけてしまって……」

 一日の失態を思い出しつつ、そう謝罪する。

 「いいえ、俺の方こそ知らなかったとはいえ辛い気持ちにさせるような映画に誘ってしまって申し訳ないです」

 そう言い合って、少しの沈黙が私たちの間に横たわる。気まずさから私が「それじゃあ」と別れを切り出そうとした時に、彼の口は「瑚子さん」と紡いでいた。

 あらためて彼に向き直る。

 「どうかしましたか?」

 街灯に照らされた彼の表情は真剣そのもので、意を決したようにさらに口を動かした。

 「瑚子さんが奏多さんのことを想っているのはわかっています。奏多さんが俺の持っていないものをたくさん持っている素敵な人だということも」

 熱意のある言葉に、私の心に緊張が走る。

 「でも、きっと、俺にしか持ちえないものもあります。なにより、今隣で瑚子さんに優しくできるのは俺です。だから……」
 
 一瞬口を(つぐ)んで、再度動き出す。

 「だから! 俺のことをちゃんと見てほしい。少しずつ、俺のことを考える時間を増やして、そうして好きになっていってほしい。そのための努力は惜しまないから」

 切実な声に表情だった。私のために向けてくれる言葉に、私はどう返せばいいのだろう。

 きっと誰にでも優しい彼の特別になれるのは、すごく幸せなことなんだと思う。

 でも、私はどこまでいっても奏多の姿を探してしまっている。今すぐに答えを出すなら、それはもう。

 私が答えあぐねていると、俊くんは距離を縮めてきた。

 「可能性が今後まったくないのなら突き放してほしい。でも、少しでも俺が隣にいられるかもしれないのなら、許してほしい」

 そう言って、彼は私の背に腕を回した。

 私は、突き放すことも受け入れることもできず、どうすればいいかもわからず両手を宙に彷徨わせた。

 嫌悪感はないけど、すんなりと受け入れられるものでもなく、だからといって突き放そうとも思えず。そんな曖昧さが今の私の素直な気持ちだったのだと思う。

 ほんの数秒抱擁した彼は、すぐに身体を離して「ごめん、でもありがとう」と言った。

 「また連絡したり、お出掛け誘ったりしてもいい?」

 「あ……、うん」

 そう返事するのが精いっぱいだった。

 またね、と言い合ってその場から離れ家に向かう。気づけば、彼との間に敬語はなくなっていた。

 彼と時間をともにしているうちに、奏多に対する気持ちや罪悪感は、薄れていくのだろうか。ひとりになった時間で、そんな考えをぐるぐると巡らせていた。