君が忘れた物語

 「中学卒業してからの一年で、九回、かな」

 「九回……、秋岡くんは頑張ってると思うよ。会うためにバイトまでして、むしろそこまでしてくれる男の子って、なかなかいないと思う」

 夏目さんからの呼び出しだった。俺と同じタイミングで上京して、美容関係の仕事に就きたいという夢に向かって、高校生という身でありながらひとり暮らしをしている。

 そして、俺と瑚子の、東京にいる唯一の共通の友人だった。

 だからこそ、こうしてなにかある度に呼び出しがかかる。きっと瑚子から俺に関することで何か相談があったんだろう。

 「でも、どうして会った回数なんて聞くんだ? 瑚子からなにか言われた、とか」

 「んー、まあ否定はしないんだけどねえ、ちょっと話しづらいことだからさ」

 新宿(しんじゅく)駅から歩いて十分程度、少し離れた場所にあるマクドナルドは、夜の時間帯になると人の出入りが減って、東京の中心部にしては落ち着いた場所になる。

 「だからここを指定したんだろ。すんなり話してくれればいいのに」

 話しづらいこと、おおよその予想はついている。

 付き合ってもうすぐ二年。遠距離恋愛だけど定期的に会っていて、変わらずに関係は良好。なのに俺たちは……。

 「じゃあ、もう言っちゃうんだけどさ」

 それはきっと、言葉も選ばずに、という宣言だと受け取って咄嗟に受け身を取る。

 「秋岡くん、瑚子ちゃんのこと少し不安にさせてるよ。こうして離れている時間が長いからこそ、わかりやすい繋がりが欲しいものなんじゃないかな?」

 ただ、俺が想像していたよりはずっと優しい言葉が返ってきた。それでも夏目さんの言いたいことはよく伝わってくる。

 「不安に、させちゃってるのか……」

 「瑚子ちゃんのこと好きなんでしょ?」

 「そりゃあもちろん。でなきゃ、こんなに会いに行かないよ」

 「それなら、だよ。少なくとも、瑚子ちゃんは受け入れる、というか待ってると思う」

 待たせて、不安にして、友達にまで相談させて。

 俺はそうまでして、瑚子とキスより先に進めていなかった。

 「秋岡くんのそれはさ、瑚子ちゃんのことを、大切に想う気持ちからきてることだとは思うんだけどね。大切に想うのなら、瑚子ちゃんの気持ちをもっと見てあげてほしいな」

 挙げ句の果てには、夏目さんにここまで言わせてしまっている。

 瑚子は、夏目さんに自分の症状の話をぼんやりとした、とは言っていた。けれど、どうしても瑚子の記憶のことを考えてしまう。なにも忘れることができない瑚子に対して、そういう行為は印象が強すぎるのではないか、とか、嫌な記憶として残ってしまったらどうしよう、とか。そんなことを考えているうちに、俺は出したい手を、この二年間引っ込め続けている。

 「大切だからこそ、手を出せないんだ」

 「……そっか。瑚子ちゃんも苦労するなぁ」

 半ば呟くようにそう言うと、あらためて俺に向き直る。

 「はっきり言って、瑚子ちゃんは待ってるからね。あんまり女の子に恥をかかしちゃだめだよ」

 「あ、ああ……」

 「それと、来月付き合って二年でしょ? そういう節目というか、記念日みたいな特別感に頼ってみるのもいいと思うよ。素敵な記憶に残りやすいし、自分を納得させられるかもしれないから」

 俺の考えをお見通しとでも言うかのように、具体的で現実的な参考になる言葉をくれる。

 「ほんと、夏目さんはどんな経験してるんだよ」

 そう反撃してやろうとするも、濃いめのアイメイクが飾られた大きな瞳からウィンクが返ってくるだけだった。

 でもそうか、二年記念の日、か……。