君が忘れた物語

 週明けから、春木さん呼びから瑚子呼びに変わったことは、周囲の反応も変えた。ふたりで出掛けたこともあって週明けには呼び慣れてしまっていた俺は、学校でも「瑚子ー!瑚子ー!」と、連呼し、その様子から色々と根も葉もない(うわさ)を立てられることになったのだった。

 「それ、根も葉もあるじゃん」

 「下の名前で呼び合うって、そう言うことだよなぁ……」

 「ハレンチ! どこまでいったのよ!」

 いつもの男友達が三者三様で質問攻めしてきた。教室内が妙に静かで、俺に対して聞き耳を立てているように見えるのも、きっと気のせいなんかではないのだと思う。この学校、というかこの田舎町という環境が娯楽に飢えていて、だからこそ他人の恋愛事情という面白いネタには余計に注目が集まるらしい。誰々が付き合ったらしい、なんて噂は半日あれば学校中に広まるくらいだ。

 ただ、期待には応えられない。確かに関係性は深まったように思うけど、交際が始まったわけではないし、この噂のせいで今日は瑚子に避けられているようにすら感じられた。

 「なにもないよ。なにも。仲良いことは否定しないけど、お前たちも仲のいい女子くらいいるだろ」

 口々に「いないよな……」なんて悲しい反応が聞こえてくるけど、その傍ら考える。俺は瑚子と付き合いたいのかな。たしかに名前の呼び方が変わって、一緒に出掛けて、お家にも招待してもらって。俺の中での瑚子の存在は、以前よりもずっと大きくはなっているけれど、それを恋愛感情として直接結びつけていいのだろうか。

 「これが好きってことなのか……?」

 思考が口に出てしまったらしい。でも、側から見たら俺がどう映っているのかは少し気になった。

 「いやそんなの、なあ?」

 「うんうん、なあ?」

 「なあ?」

 三人が適当に反応する。ほんと仲のいい奴らだなと思いつつ、どんな反応だと思ってい ると口を揃えて言った。

 「好きにしか見えないぞ」

 「というか、転校初日から好きなんだと思ってた」

 「好きじゃないのにそんな頑張れないって」

 夏目さんも同じような反応をしていたなと思い返す。俺は周囲から見たら、疑う余地もないほどに瑚子のことを好きに見えているようだった。

 放課後には、その夏目さんに話しかけられた。「瑚子ちゃんと話していないみたいだけど、 どうしたの」とのことだ。夏目さんも親しみを込めた名前呼びになっていることに微笑ましく思いながらも、その問いに素直に答えた。

 「俺が調子乗って名前呼びまくってたら、校内で付き合ってると噂になって、気まずくされて避けられてるんだと思う……」

 情けない話だけど、気まずいと思えば思うほどに話しづらくなっていっている。

 「じゃあさ」

 少し間を置いて、おもむろに口を開いた。

 「付き合っちゃえばいいと思うよ。噂を本物にして、堂々としていればいいんだよ」

 だって秋岡くん、瑚子ちゃんのこと好きでしょ? そう続いた言葉に少しどきりとした。

 「好きって難しい。特別に感じてるのは間違いないけど、いわゆる恋愛感情かどうかがわからない」

 さらに情けないと思いつつも、素直な言葉を吐き出した。

 「これは受け売りでしかないけど、こう考えてみたらどうかな。その相手と、キス、したいかどうかって」

 そう言った夏目さんの口元に視線が誘導される。そのたった二文字の言葉が、妙に扇情的で、余計に意識してしまいそうになる。

 メイクを施したあの日の瑚子を思い出す。控えめなリップは普段よりも発色を良くし、艶やかな光沢を出していた。だからこそ、俺もプレゼントしたのだ。

 そう具体的に指摘されて、ようやく異性として魅力的に感じているのだと自覚する。

 「秋岡くん、ほんと素直な反応するね。だから噂になってるんだよ」

 「……でも、俺は瑚子を大切にしたいって思っているから。自分の欲求の対象にしたくないんだ」

 「瑚子ちゃんも同じこと望んでるとしたら?」

 「…………っ!?」

 「大切にしたいと言うのなら、瑚子ちゃんが本当はどう思ってるのか、その気持ちにも向き合って大切にすべきなんじゃないかな」

 夏目さんの言葉に、俺は頷くしかなかった。瑚子を大切にしたいと思う俺の気持ちを大切にしているだけだったのだと思い知らされた。

 本当の意味で彼女を大切にするなら、しっかりと向き合って知って、その上で考えるべきなのだろうと。

 「夏目さんありがとう」

 「いいえ、私としてもふたりには上手くいってほしいと思っているから」

 それから、すぐにでも瑚子と話そうと思った俺は、しかし、そこから動けなくなった。
 
 好きと自覚したからこそ、話したいこと、伝えたいことがあるのに。

 俺の気持ちなんて、都合なんてお構いなしに、父親は身勝手な選択を押し付けてくるんだ。

 「いつもいつも、俺を振り回しやがって……」

 そう悪態を吐かずにはいられなかった。

 中学二年の終わり、春先を感じ始めた頃に無情にも告げられた父親からの一方的な宣告。

 ――高校からは、また東京戻るから。

 父親の都合で転校を繰り返してきた人生ではあったけど、それをそういうものだと言い聞かせてきたけど、今俺はここを離れたくない。

 「瑚子に、もう伝えられないよな……」

 やっとこの想いの輪郭が鮮明になったのに、伝えたい気持ちで胸の内がいっぱいなのに。

 中学卒業後、東京からこっちの高校に通うのは現実的ではない。こうして日常のようにいつも会える環境ではなくなってしまう。

 忘れることのできない彼女に、俺との記憶を悲しいものだと思わせることだけは避けたい。きっと恋人同士になったら、離れている時間をもっと寂しく感じさせてしまうから。

 この気持ちは、どうにかしまっておかないとな、と胸中で呟いた。