君が忘れた物語

 街唯一の路線が通っている最寄駅に車で送ってもらうと、駅前にはすでに奏多の姿があった。

 「瑚子、いってらっしゃい。帰りも連絡してくれたら迎えに行くから」

 「うん、ありがとう」

 「彼、イケメンね。頑張って」

 悪戯っぽく笑う母に「そういうんじゃないから!」なんて言い返したいところだったけど、奏多に気づかれるのも嫌だったので(にら)みつけるに留めておいた。

 車から降りると、奏多はすぐさま私の姿を見つけてくれた。

 「瑚子! いきなりだったのに来てくれてありがとう」

 「ううん、暇だったし」

 反射的にしてしまった返事に、素直じゃないなぁと少し反省しつつ付け加える。

 「……嬉しかったし」

 「それなら良かった!」

 どうしても素直じゃない答えになってしまう私に対して、真っ直ぐに爽やかな笑顔を向けてくる奏多は少し眩しくも映った。

 奏多に促されるまま電車に乗る。改札がない駅を「田舎だなぁ」と呟く姿が、全然違う世界で生きてきた人なんだなと、隣にいる男の子との日常の違いを実感させる。

 朝は一時間に一本、昼間は二時間に一本程度しか走っていない電車に乗り込むと、すっからかんな車内にふたり横並びになって腰を下ろす。

 「田舎の電車って、なんか雰囲気好きなんだよね」

 見る限り私と奏多のふたりしかいない乗客を運ぶために電車が動き出すと、奏多は浸るようにそう言った。

 「私はこれ以外知らないからなぁ」

 「東京はもっとね、人で溢れてて、なんとなく常に急かされている感じがして、こうして窓の外の景色をゆっくり眺める、なんてことはしない、というかできないんだよね。そこにいるだけで余裕がなくなるというか」

 いつか私もそんな世界を知る日が来るのかなと思案するも想像がつかなかった。記憶の隅にあるテレビなどで見た東京の近代的な街並みを情報として思い起こせる程度だ。

 「じゃあ好きじゃなかったの?」

 経験として刺激の強いものは、良くも悪くも記憶に強く結びついてしまうから、基本的に避けてきた。だから東京なんて大都会に行く未来なんて想像したことなかったけど、奏多の住んでいた街は少し気になった。

 「うーん、電車の中って意味ではこっちの方がずっといいけど、でも電車だって三分待てば次が来るような便利な街でもあったから、見方によるんじゃないかな。俺はどっちの街も好きだよ」

 「それなら、いつか行ってみたいな」

 「いいね、一緒に行くことがあれば案内するよ」

 同級生の男の子とそんな会話をしながら乗る電車もまた、今までの私の日常とはまったく異なるものだと感じつつも、この時間の心地よさに身を委ねながら電車に揺らされた。

 片道一時間半かけてようやく多少高い建造物が視界に入るような街に出てこられたところで、そう言えばとようやく本題に入った。

 「こんなところまで出てきて、どこ行くかとか決めてるの?」

 「それはある程度決めてるんだけど、先に聞いておくべきだったね。行きたくない場所、苦手な場所はない?」

 それは、不思議な聞き方だなと思った。

 「行きたい場所を聞くんじゃないんだ」

 「それを聞くのは、誘った身としてはなんか違う気がして。俺が先導したいと思って行くところは考えてきたんだけど、嫌な場所には連れて行きたくないから、そこは聞いておこうかと思ったんだ」

 そう聞いて納得すると、嫌な場所なるものを思案する。

 「うーん……」

 記憶にある嫌な場所は、嫌な出来事が起きた場所が大半で、それは場所というより他人のせいであることが多かったから、この場合は適さない返答だと思う。そう考えていると奏多が「俺の場合は」と続けてくれた。

 「東京住んでたくせに人混みが苦手だから、遊園地とかは得意じゃないかも」

 そんな感じで、とそう促されると思い当たることをそのまま口にする。
 
 「それなら、映画館かなあ。暗くて大きい音のする場所はちょっと苦手。それに、映画の内容って結構残るから」

 うんうん、と頷く奏多の姿に、少し安心する。自分の意見を尊重してくれていることがく伝わってきたからだ。

 「それじゃあカラオケとかも、あまり得意じゃないかな?」

 「カラオケかぁ、あまり行ったことはないけど、複数人で行って盛り上がる、みたいなのはちょっと避けたいかも」

 そんなやり取りを続けていると「わかった、ありがと」と奏多は満足そうに笑った。

 「じゃあ俺が考えていたところはとりあえず行けそうだな」

 「どこ行くの?」

 「メイク用品見に行こ! 俺が連れて行くのに、俺が戦力にならない場所っていうのがちょっと微妙だと思ったから、夏目さんに少し教えてもらってきたんだ」

 少し誇らしげに言う奏多に、私も素直な笑顔で返す。

 「え! めっちゃいいね!」

 「瑚子、自然に笑うようになったよな。すごくいいと思う」

 「え、そうかな」

 でもそう言われてみると、奏多の隣で話すことに慣れてきたように感じる。だから、そのまま素直に続けた。

 「奏多がそうしてくれたんだよ」

 「そうかな、そうだといいな」

 そう満更でもなさそうに微笑む奏多の笑顔を、ちょっと可愛いな、なんて思いつつ。

 目的地まで地図アプリの誘導で向かうのだった。