君が忘れた物語

 奏多が、私にとっての少し特別な相手になった翌日は、タイミングがいいのか悪いのか土曜日で学校は休みだった。

 昨日は勢いであんなやり取りをしてしまったという恥ずかしさから顔を合わせずに済むことに安堵しつつも、逆に会えないことに対する残念な気持ちも浮かんでいた。

 休みというある種の暇を得ると、困ったことに、私の完全記憶は都合のいいように何度も昨日の一連のやり取りを脳内に再生してきた。

 ――瑚子って呼んでほしい。

 ――下の名前で。そっちの方が、仲良しな同級生って感じがするでしょ?

 ――奏多、手伝って。私が前を向けるように。

 「〜〜〜〜っ!!」

 恥ずかしかったと意識すればするほど、思い起こされるのは私から発した言葉ばかりだった。

 私はそれをベッドに横たわって枕を抱えながら悶絶して耐える。ここまでの恥ずかしさを伴っても一切の後悔はないのだから、これは私の中で消化しなければならない気持ちなのだ。

 そう枕に力強く顔を押し込んでいると、携帯がメッセージの着信音を鳴らした。

 「ほんと、タイミングがいいのか悪いのか……」

 相手は奏多だった。今日はなにをしているのか、そんなことを問う旨の世間話のような内容だった。

 特に予定もないのでそのまま返すとすぐにも既読がついて、まるで対面で会話しているくらいの速度感でメッセージのやり取りをする。

 【暇してるよ】

 【休日らしくてめっちゃいいじゃん】

 【秋岡くんは――】

 そこまで書いて、すぐに打ち直す。恥ずかしさには無理やり蓋をして、自分から言い出したことだとグッと液晶パネルをタップする指に力を込めた。

 【奏多は、なにしてるの?】

 【俺は外出の準備〜】

 自然な流れで名前を呼べたと少し満足していると、追加のメッセージで【てか、名前呼び嬉しい】なんて送られてきた。

 「わざわざ言及しなくていいのにっ」

 そんなふうに悪態をつく口角が上がっている自覚をしつつも、気に留めてないように繕って返信を続ける。

 【奏多はいつも忙しそう。どこ行くの?】

 その私の問いに、しかし既読がついても少し間が空けられた。怪訝(けげん)な表情が顔に浮かぶも、直後きた返信に驚きを隠せなかった。 

 【デート】

 その言葉を飲み込むのに、数秒の時間を要した。それほど奏多から発せられると思っていなかった単語だった。

 「……えっ」

 私にあんなにも優しい言葉をかけてくれたのは、本当にただお人好しでお節介ないい人だったってだけで、やっぱりそういう特定の相手がいたのかな――瞬時にそこまで考えると、返信に迷った。

 迷っているうちに次のメッセージが送られてくる。動揺している視線で新たなメッセージを追うと、それを目にした途端、私が浮かべる動揺は種類を変えた。

 【ということで、瑚子さん、よければこれから買い物にでも行きませんか?】

 それが私に向けられた言葉だと認識すると、どうしてか反射的に目を瞑ってしまった。私に対してだったという安堵感、誘われているという戸惑いと嬉しさ。この数分の中で瞬く間に私の感情を揺さぶってきた彼に、小声で「ずるい奴」と毒突いておいた。

 ただ、そうなると、次の行動に迷ってしまう。

 服装はどうしよう、寝癖のままな自分にどうしよう、誘われちゃった事実にどうしよう。

 そんなふうに半ば混乱しながら浮かれていると、追加でメッセージが。

 【だめ、かな?】

 そういうところがずるいんだよ、と思いながらも、恥ずかしさを押し殺して返信する。

 【いく】

 どうにかその二文字だけ捻り出して、次にはリビングに駆けて少し大きめな声を出した。

 「お母さん! これから出掛けたいんだけど、送ってもらってもいい!?」

 私の慌てように何かを察したのか、母は楽しそうに笑うと「いつでも行けるわよ」と、どこか力強く言ってくれたのだった。