君が忘れた物語

 なんとなく気まずい空気だった。きっと、夏目さんが付き合ってるどうこう、恋人がどうこうなんて、そういう話を私と秋岡くんに当てはめて話していたせいだ。

 カフェから家までの徒歩十五分程度の時間、この気まずさのままなのかと思っていると、隣で車道側を歩いてくれている秋岡くんが口を開いた。

 「やっぱ、春木さんメイクすごく似合ってる。こんな可愛い春木さんを見せてくれた夏目さんには感謝しなきゃな」

 この言葉に軽く頷く。メイクは嬉しかったし、楽しかった。いつもと違う自分、可愛いと思える自分を見られて、それを褒めてくれる男の子がいて、正直気分がよかった。

 でも、きっと彼は褒めるだけじゃない。

 「だからこそ、春木さんは夏目さんきっかけでいろんな人と仲良くなれると思うんだけどな。勉強教えるのも上手だし、話せば話すほど、みんな春木さんを好きになる。俺としては少し寂しいけど、それはめっちゃいいことなんじゃないかな」

 「…………」

 お節介、お人好し。秋岡くんは私に対していつもそうだ。彼はいい人だし、他の男子とちょっと違う。

 でも、私の避けていることから目を逸らさせてくれない。ある意味で私に対して厳しい人でもある。

 そんな私を見透かしたように、秋岡くんは優しげな声音で私の心を後押しする。

 「もし、人と仲良くできない理由とかあれば、話してほしいな。こうして仲良くなれた俺が一緒に考える」

 仲良くなれてるって思っていいよね?なんて小声で付け加える彼を見ていると、今まで抱えてきたコミュニケーションに対する警戒心を和らげてしまいそうになる。

 彼の優しさにあてられたせいか、口を開いていたことに気がつく。

 「私は――っ」

 ふと、そんな声が出ていた。
 
 言ってしまおうかと。

 人に強く当たったという嫌な記憶、私の話をして気味悪がられないかという不安な記憶。

 誰かに話してしまえば、そういう負の記憶が蓄積してしまうのだろうと思って、今まで打ち明けることができていなかったことなのだけど。

 横を見ると目が合った。

 彼と転校初日に目が合った瞬間を思い出す。

 あの時から、彼は私を真っ直ぐ見てくれていた。その上、何度無視をしても、相手にしなくても、めげずに声をかけ続けてくれた。

 そして、今は一緒に帰路を歩くほどの距離にいる。

 この人になら話せるかもしれない。そう思った時には――。

 「私は」

 「うん」

 優しい合いの手。全部聞いて受け入れると言ってくれてるみたいだ。

 だから。

 「私は、病気なの」

 「……病気」

 「ううん、正しくは先天的な症状があって、言ってみれば呪い、みたいなもの」

 そう言うも、抽象的な言葉になってしまった。知ってほしいと思う内容が伝わっていない感覚を払拭するために、今度は具体的な名称を明かした。

 「……超記憶症候群なの」

 そう、告白した。

 超記憶症候群、ハイパーサイメシア、あるいは完全記憶能力。カメラアイなんて呼ばれ方もするこの症状。

 「見たものを瞬時に記憶して、一切忘れることのない症状。今のところ生命には影響ないんだけどね」

 「超記憶症候群……」

 秋岡くんの反応は薄かった。ただ、耳に馴染みのない単語をぼそっと呟くだけ。

 「私は勉強ができるんじゃなくて、教科書や先生の書く板書を一度見れば覚えてしまうだけ。カメラアイだなんてよく言ったものだと思うけどその通りで、脳内に保存されたその瞬間の画像や動画を取り出して常にカンニングしているようなものなの。だから頭がいいなんてことないんだよ」

 言われて引っかかった頭がいいという評価。でもそれは違うんだ。努力で得たものではないから、いつだって後ろめたい。

 やっぱり自分の症状の話題になると、どうしてもマイナスな思考や言葉が出てしまう。私の症状を否定してくれ、なんて言わんばかりの言い草なのに、否定されるのを怖がるという、面倒な私が嫌だった。

 なのに、彼は。

 「いや、春木さんは頭いいよ。自分の症状を、自分が受け入れられない気持ちも一緒に、満遍なくわかりやすく説明できているから。記憶力がいいのと説明が上手なことは、イコールじゃないと思う」

 なんて肯定してくれる。
 
 嬉しかった。

 優しさも多分に含まれた言葉だけど、気休めの気遣いで言っているわけじゃないことくらいはわかる。彼は私にいつだって真っ直ぐにいてくれるから。

 そう、肯定されただけで満足だった。

 だからこの話題はもう終わりにしようと、そう思ったのに。彼は一拍の間に思案を挟んだ。

 そして続ける。

 「忘れられないって、きっと辛いよな。いい思い出ばかりの人生ならいいのかもしれないけど、嫌な思いをしたことない人間なんていないだろうしさ。そのくせ人は嫌な記憶ほどよく覚えてたりする。俺だって、家庭環境が微妙で、両親が喧嘩してた記憶とか、母さんが家から出て行った時の虚しさとか、そういうのをふとした時に思い出してしまうから」

 それは、私が抱え続け、でもなかなか理解されない苦悩。それを的確に言い表しているようだった。

 「俺でもそういう記憶に苦しめられるのに、春木さんは鮮明なまま覚えている嫌な記憶を、常に頭に貼り付けている状態なんだもんね、そんなの、苦しいよ」

 私がずっと、誰かに告白したかった苦しみを、彼が代弁してくれる。

 ちゃんと、考えて見ていてくれているんだと、心の奥と目尻がじんわりと温かくなった。

 「口にも出したくないことかもしれないけど、もしよければ頻繁に思い出すような記憶を教えてほしい」

 秋岡くんの懸命な表情は、優しさを含みながらも、私をその記憶から逃してはくれないみたい。引きずってる記憶を知られる抵抗感はあるけど、彼の直向(ひたむ)きな姿勢から逃げる方が嫌だと思い、話すことにした。

 「幼少期の記憶とかが多くなってしまうんだけど」

 そう前置きすると、全然構わないという素振りで続きを促してくる。

 「さっきも言った勉強関連では、必死に勉強したクラスの子からだけでなく、その親御さんからも冷めた目で見られるようになったこと」

 その経験をもうしたくないから、それ以降意図的にテストなどでは点数を落としている。と付け足した。

 「なるほど、だから勉強面で目立ってた印象がなかったんだ」

 そうやって、彼は私が何を話してもそのすべてを受け入れつつ、小気味の良いタイミングで相槌(あいづち)を打ってくれた。

 「私の嫌な記憶なんて、周りからしたら些細(ささい)なものなんだと思う。でも、それを忘れることができないからこそ、そういった些細な記憶の積み重ねで、押しつぶされそうになることがあるの」

 「自分が周りの人と違うっていうことを感じてしまうのって辛いよね」

 実体験からきた言葉なんだろう。そうなのかもしれない、と素直に思った。

 納得している私の様子を見つつ、秋岡くんは言った。

 「忘れられないならさ、上塗りしていこうよ。周りとの違いを感じるなら、俺が〝普通〟に引きずり込んでやる。そうやって、気にしなくて済む環境を作ろう。それでまた違う嫌な記憶ができてしまったら、それすらも上塗りするくらい楽しい記憶を増やそう。そうやって、楽しく生きよう」

 畳み掛けるように言うと、最後には一呼吸置いて、あらたまって言った。

 「それを、俺に手伝わせてください」

 成績いいことに文句を言われた記憶が嫌なら、成績いいことに対して称賛される環境を作る、と。周りと違うのが嫌なら、俺が春木さんを普通の女の子って思える環境を作ってやる、と。そう言ってのけた。

 そんな言葉、はじめてもらった。

 私も踏み出さないと。こうして、私を見てくれてる人がいるんだから。彼からの想いに恥じないように。

 「ねえ」

 私なりの一歩を踏み出す。

 恥ずかしいことも、強い記憶として残ってしまうから極力避けてきたけど、恥ずかしくとも、嫌な記憶じゃないと胸を張って言いたいから。

 今日が第一歩の日だと記憶したいから。

 「瑚子って呼んでほしい」

 「えっ」

 「下の名前で。そっちの方が、仲良しな同級生って感じがするでしょ?」

 そんなこと言って。ただ、少し特別感を味わいたいだけなのに。

 でも、これが今の私の精いっぱいだから。

 「わかった、瑚子。俺のことも奏多って呼んでほしい」

 「うん……奏多」

 恥ずかしい。恥ずかしいけど、この気持ちを私だけは一生忘れないでいられるのは、なんだか素敵なことのように思えた。

 はじめて、本当の意味でこの症状があって良かったと思えた瞬間だったかもしれない。

 「奏多、手伝って。私が前を向けるように」

  彼の「任せろ!」という自信たっぷりの言葉と笑顔が、私の向くべき前を照らしてくれているようだった。