二人ともクリームソーダを堪能しつつ、彼から会話が再開される。
「仕事、どう?」
「まあ、それなりに」
「そっか」
言葉は羽のように軽く、薄い内容のキャッチボールが始まる。さっきの意味深な会話を搔き消すように続いていく。
こんな他愛ない話しかできない私たちって、何だったんだろう。
彼がまた、グラスの水滴を指先でなぞって、考え事をしているようだ。
そもそも私たちは、大恋愛をして付き合ったわけではない。他人に背中を押されて付き合い始めたから。
大学のゼミの仲間内で、気づいたら二人だけがフリーで、「ねえ、お似合いじゃない?」と言ったのが誰だったのかも覚えていない。お互い拒否しなかったのもあるけど、ノリで付き合ってみることに。
でも、一緒にいると結構居心地が良かった。趣味も合うし、テンションの高さも。ただ街をぶらぶらして、お茶してのんびり過ごすだけでも楽しめたり。言葉が少なくても沈黙が怖くなくて、それで十分だと思っていた。
季節が巡るたびに、私たちの時間は少しずつ形を失っていった。
忘れられない夜がある。
十一月の終わり、仕事帰りに駅のホームで、ふと彼に電話をかけた。呼び出し音が六回鳴って、繋がらなかった。何か用事があったわけでもないし、怒っているわけでもなくて、特別に寂しいわけでもなく、ただ声が聞きたかっただけ。
折り返しは来ず、翌朝「昨日寝てた、ごめん」とだけ届いた。私は「大丈夫」と返す。本当に大丈夫だったから……それがかえって怖かった。芽吹き始めた恋が、始まる前に終息していくような、説明出来ない感情が纏わりついていた。
就職準備に入ったくらいから、お互いバタバタし始める。返信が遅くなり、既読のまま眠ってしまう夜が増えていく。
それでも、このまま消えてしまうとは思っていなかった。
ある夜、彼から短いメッセージが届いた。
『今度また、リモロ行こうね』
私はその文字を何度も読んだ。研修で疲れていて、頭が回らなかったのもあるけど、返信を書きかけて消してを繰り返し、結局『うん。またね』とだけ打って送信した。
しかし、その「また」は結局来なかった。
最後に会ったのは、三月後半の土曜日、桜が咲き始めた頃だった。
研修の合間にお互いの会社の中間地点のカフェで、二人でコーヒーを飲んだ。スーツ姿で落ち合うのは初めてで、彼の仕事の話、私の職場の人間関係、五月の連休になったらどこに行こうかなんて相談したり。二人とも疲れていたけど、笑顔が絶えなかった。
帰り際、改札の前で彼が言った。
「また連絡する」
「うん」
それだけだった。久しぶりに会ったのに、ハグも、別れのキスも何もなかった。そういえば、随分とそういうことをしていない。友人時代と変わらない対応に戻っていることに気づく。
改札を抜けて振り返ったら、彼の背中がもう人混みに溶けていくところで、止める気力も、理由も見つからなかった。
五月の連休に大学時代の仲間で集まる機会があった。彼も来るだろうと思っていたのに、珍しく来ていない。いつも、こういうのは必ず参加していたのに。
彼とはあれ以来連絡を取っていなかった。忙しいだろうからと、遠慮したのもあるけど、私の方も新人研修が忙しく、余裕がなかったのもある。連休に遊ぶ約束をしていたから、きっと時間が出来れば、連絡してくるだろうと思っていたのに……。
田中が何気なく言ったことに驚愕する。
「あいつ、先月から香港勤務になったらしいぞ。一年の研修だってさ」
は? 私には一言もなく行くとか、そんなことある?
就職したばかりの私を巻き込めなかったのか、忙しくて忘れたのか。そんな訳はない。
普通、付き合ってたら教えてくれるはずだ。恋人なら……大切な人ならば。
ただ、そこまでの関係じゃないと思っていたのだろうか。
別れを告げる余裕すら、なかったのかもしれない。別れ話で私を傷つけるのが嫌だったのかも……。
ぐるぐる考えたけど、泣かなかった。本当に涙は出なくて……それが今でも不思議だ。
学生の時だけの恋人だと、心の奥底では感じていたのかもしれない。
燃えるような恋も、運命の恋も——最初から当てはまらなかったから。
どちらかが扉を閉めたわけではない。ただ、互いの時間からいなくなっていた――それだけのことだった。
「仕事、どう?」
「まあ、それなりに」
「そっか」
言葉は羽のように軽く、薄い内容のキャッチボールが始まる。さっきの意味深な会話を搔き消すように続いていく。
こんな他愛ない話しかできない私たちって、何だったんだろう。
彼がまた、グラスの水滴を指先でなぞって、考え事をしているようだ。
そもそも私たちは、大恋愛をして付き合ったわけではない。他人に背中を押されて付き合い始めたから。
大学のゼミの仲間内で、気づいたら二人だけがフリーで、「ねえ、お似合いじゃない?」と言ったのが誰だったのかも覚えていない。お互い拒否しなかったのもあるけど、ノリで付き合ってみることに。
でも、一緒にいると結構居心地が良かった。趣味も合うし、テンションの高さも。ただ街をぶらぶらして、お茶してのんびり過ごすだけでも楽しめたり。言葉が少なくても沈黙が怖くなくて、それで十分だと思っていた。
季節が巡るたびに、私たちの時間は少しずつ形を失っていった。
忘れられない夜がある。
十一月の終わり、仕事帰りに駅のホームで、ふと彼に電話をかけた。呼び出し音が六回鳴って、繋がらなかった。何か用事があったわけでもないし、怒っているわけでもなくて、特別に寂しいわけでもなく、ただ声が聞きたかっただけ。
折り返しは来ず、翌朝「昨日寝てた、ごめん」とだけ届いた。私は「大丈夫」と返す。本当に大丈夫だったから……それがかえって怖かった。芽吹き始めた恋が、始まる前に終息していくような、説明出来ない感情が纏わりついていた。
就職準備に入ったくらいから、お互いバタバタし始める。返信が遅くなり、既読のまま眠ってしまう夜が増えていく。
それでも、このまま消えてしまうとは思っていなかった。
ある夜、彼から短いメッセージが届いた。
『今度また、リモロ行こうね』
私はその文字を何度も読んだ。研修で疲れていて、頭が回らなかったのもあるけど、返信を書きかけて消してを繰り返し、結局『うん。またね』とだけ打って送信した。
しかし、その「また」は結局来なかった。
最後に会ったのは、三月後半の土曜日、桜が咲き始めた頃だった。
研修の合間にお互いの会社の中間地点のカフェで、二人でコーヒーを飲んだ。スーツ姿で落ち合うのは初めてで、彼の仕事の話、私の職場の人間関係、五月の連休になったらどこに行こうかなんて相談したり。二人とも疲れていたけど、笑顔が絶えなかった。
帰り際、改札の前で彼が言った。
「また連絡する」
「うん」
それだけだった。久しぶりに会ったのに、ハグも、別れのキスも何もなかった。そういえば、随分とそういうことをしていない。友人時代と変わらない対応に戻っていることに気づく。
改札を抜けて振り返ったら、彼の背中がもう人混みに溶けていくところで、止める気力も、理由も見つからなかった。
五月の連休に大学時代の仲間で集まる機会があった。彼も来るだろうと思っていたのに、珍しく来ていない。いつも、こういうのは必ず参加していたのに。
彼とはあれ以来連絡を取っていなかった。忙しいだろうからと、遠慮したのもあるけど、私の方も新人研修が忙しく、余裕がなかったのもある。連休に遊ぶ約束をしていたから、きっと時間が出来れば、連絡してくるだろうと思っていたのに……。
田中が何気なく言ったことに驚愕する。
「あいつ、先月から香港勤務になったらしいぞ。一年の研修だってさ」
は? 私には一言もなく行くとか、そんなことある?
就職したばかりの私を巻き込めなかったのか、忙しくて忘れたのか。そんな訳はない。
普通、付き合ってたら教えてくれるはずだ。恋人なら……大切な人ならば。
ただ、そこまでの関係じゃないと思っていたのだろうか。
別れを告げる余裕すら、なかったのかもしれない。別れ話で私を傷つけるのが嫌だったのかも……。
ぐるぐる考えたけど、泣かなかった。本当に涙は出なくて……それが今でも不思議だ。
学生の時だけの恋人だと、心の奥底では感じていたのかもしれない。
燃えるような恋も、運命の恋も——最初から当てはまらなかったから。
どちらかが扉を閉めたわけではない。ただ、互いの時間からいなくなっていた――それだけのことだった。



