あーカラカラ音が聞こえる。
青空がきれいだ。
空が青く見えるのは、青色が一番波長が短いからだったか。一番早く散乱するから、青く見えるとかだった気がする。一番早く散乱するなら、見えない気がするけど、実際は逆なんだなあ。レイリー散乱とか何とかって、カッコイイ名前が付いてた気がする。
「イテテテ・・・」
そりゃ、こうなるよなあ。
道路の真ん中に大の字に転がり、苦笑いをする。
追い掛けてくる暴風域との境界線から逃げるように先を急いだ。交通量はほぼゼロで、順調に距離を稼いだ。でも、路面状態は最悪で、大きいものから小さいものまで、幟旗や金属製の看板、空き缶からペットボトル、大きめの石から小石、小さなネジまで散乱している。小さなネジが見えなくて、前輪で弾いてバランスを崩し、濡れたマンホールの蓋で滑った。
こんな風に転んだのは何年ぶりだろうか。
スローモーションに見える景色。
冷静な判断力。
完璧な転び方で影響を最小限にする。
走馬灯というよりアドレナリンのバーゲンセール。
それでも、後頭部からはアスファルトでヘルメットが擦れる音がして、バイクとともに数メートル滑って転がった。少し先が投げ出されたバイクが、カラカラと後輪だけを回している。
不思議なほど冷静だった。
いつもなら恥ずかしくて慌てて立ち上がり、即座にエンジンをかけ直して逃げ出すところだ。でも、今は周囲に誰もいないはずだ。誰の目も気にならない。自分の醜態も笑って許すことができる。
実際、仕方ないと思う。
この状況でバイクに乗るなんて正気の沙汰ではない。
エンジンが止まったのに、後輪がカラカラ回っている。
カラカラ回る後輪。
あの時も、同じように道路の真ん中に転がって、青い空を見上げた。
小学校の低学年のとき、初めて補助輪を外して自転車に乗る練習をした。当然、いきなり乗ることが恐くて、父親に自転車の後ろを持っていてくれるように頼んで練習した。よくある話だ。いつの間にか手を放していて、1人で乗れているなんてパターン。
でも、現実はそんなに簡単ではなくて、思い切りバランスを崩した。アスファルトで舗装された道路に頭から転げそうになった瞬間、後ろから走ってきた父親に抱きかかえられた。それでも完全には庇いきれなくて、父親と2人で道路に大の字になった。
実家の横の道路を使用する人は近所の人しかいなくて、ほとんど何も通らない。父親が道路との間に体を滑り込ませたため、身体のどこにも怪我はしていなかった。転んだことに対して驚いて、泣き出しそうになった。でも、目の前に広がる雲ひとつない空に目を奪われて見入ってしまった。得意技の泣きマネさえも忘れて、透き通るような青に染まった空にこころを奪われた。
すぐ側で、自転車の後輪だけがカラカラと音を立てて回っていた。
感傷的になっているのだろうか。
いつもは空を見たくらいで、こんなことを思い出すことなんてないのに。
「草刈機の燃料なに?」
なんて意味の無い問いが最後の会話になったことが脳裏に浮かぶ。
照れ隠しだったのかも知れない。
体調は大丈夫、とか。
早く元気になってね、とか。
もっと、伝えるべき言葉があったはずなんだ。
もっと、もっと、話しておくことがあったんだ。
今、こんなことを思い出しても仕方ないことは分かる。分かっているけど、思い出の中にある後悔という引き出しが、目の前の光景がキーになって突然開いたように。路面を叩く暴風雨のように、斜めに強く振り続ける。いつもは考えないようにしていただけなのか。いや、きっと、そうなのだろう。
父親は普通の人だった。
どこにでもいる、一般的な、平均的な、何の特徴も特技もない、ありふれた人だと思っていた。朝早く家を出て、夜日が沈んでから家に帰る。いつも食卓に座って晩御飯を食べ、風呂に入って、地元のプロ野球チームを口汚く罵りながら応援する。いつの間にかタバコは止めていた。元から晩酌はしない人だった。たまに友人とゴルフに行くくらいで、休日には家にいて、家族のイベントに振り回され、その他の時間は農作業をしていた。兼業だから大した面積ではないが、田も畑もある。
これが、これだけのことをすることが、どんなに大変なことなのか知らなかった。
父親は必ず家族みんなで食卓を囲む人だった。どんなに遅くなろうと、会食や飲み会があろうと、付き合いで外食しようと、夕食を必ず自宅で摂る人だった。非効率だと思っていた。面倒臭いと感じていた。友達と外食して食べなかったこともある。たぶん父親は、食卓を家族みんなで囲むことを一番大切にしていたんだ。それを、自分が描く家族の原点だと考えていたのだろう。
健康診断で異常が見付かり、再検査でガンが見付かった。
進行性の肝臓ガン。そこからはあっという間だった。見る間に転移して広がり、2ヵ月後には手の施しようがなくなっていた。
家から父親がいなくなり、食卓には誰も寄り付かなくなった。母親は病院に行ったままだったし、姉は受験生であったこともあり学業に専念していた。肉体労働ができる者がいなくなったため、必要最低限の農作業をやった。
遊ぶ時間が削られ、部活にもあまり顔を出すことができなくなっていた。だから、当て付けだったのかも知れない。何も聞いていなかったし、すぐに退院して元の生活に戻るものだと思っていたからかも知れない。まさか、二度と言葉を交わせないなんて想像すらしていなかった。父親というものは、いつも家族の中心で、何かあったときには必ず解決してくれるものだと、勝手に信じていた。だから、当然、その席に戻ってくるものだと信じて疑わなかった。
くだらない意地で、子どもっぽい理由で、最後の会話をしてしまった。かすれた声で、途切れ途切れに吐き出した言葉。気付かなければならなかった。分かったはずだった。
ずっと、ずっと、後悔している。
思い出さないように記憶の底に沈めている。
でも、忘れることはできない。
バイクの後輪が、カラカラと音を立てて止まる。
青い空を見上げて吐き出す息が震える。
それは痛みでもなく、寒さでもない。
近くで誰かの足音が聞こえてきた。
青空がきれいだ。
空が青く見えるのは、青色が一番波長が短いからだったか。一番早く散乱するから、青く見えるとかだった気がする。一番早く散乱するなら、見えない気がするけど、実際は逆なんだなあ。レイリー散乱とか何とかって、カッコイイ名前が付いてた気がする。
「イテテテ・・・」
そりゃ、こうなるよなあ。
道路の真ん中に大の字に転がり、苦笑いをする。
追い掛けてくる暴風域との境界線から逃げるように先を急いだ。交通量はほぼゼロで、順調に距離を稼いだ。でも、路面状態は最悪で、大きいものから小さいものまで、幟旗や金属製の看板、空き缶からペットボトル、大きめの石から小石、小さなネジまで散乱している。小さなネジが見えなくて、前輪で弾いてバランスを崩し、濡れたマンホールの蓋で滑った。
こんな風に転んだのは何年ぶりだろうか。
スローモーションに見える景色。
冷静な判断力。
完璧な転び方で影響を最小限にする。
走馬灯というよりアドレナリンのバーゲンセール。
それでも、後頭部からはアスファルトでヘルメットが擦れる音がして、バイクとともに数メートル滑って転がった。少し先が投げ出されたバイクが、カラカラと後輪だけを回している。
不思議なほど冷静だった。
いつもなら恥ずかしくて慌てて立ち上がり、即座にエンジンをかけ直して逃げ出すところだ。でも、今は周囲に誰もいないはずだ。誰の目も気にならない。自分の醜態も笑って許すことができる。
実際、仕方ないと思う。
この状況でバイクに乗るなんて正気の沙汰ではない。
エンジンが止まったのに、後輪がカラカラ回っている。
カラカラ回る後輪。
あの時も、同じように道路の真ん中に転がって、青い空を見上げた。
小学校の低学年のとき、初めて補助輪を外して自転車に乗る練習をした。当然、いきなり乗ることが恐くて、父親に自転車の後ろを持っていてくれるように頼んで練習した。よくある話だ。いつの間にか手を放していて、1人で乗れているなんてパターン。
でも、現実はそんなに簡単ではなくて、思い切りバランスを崩した。アスファルトで舗装された道路に頭から転げそうになった瞬間、後ろから走ってきた父親に抱きかかえられた。それでも完全には庇いきれなくて、父親と2人で道路に大の字になった。
実家の横の道路を使用する人は近所の人しかいなくて、ほとんど何も通らない。父親が道路との間に体を滑り込ませたため、身体のどこにも怪我はしていなかった。転んだことに対して驚いて、泣き出しそうになった。でも、目の前に広がる雲ひとつない空に目を奪われて見入ってしまった。得意技の泣きマネさえも忘れて、透き通るような青に染まった空にこころを奪われた。
すぐ側で、自転車の後輪だけがカラカラと音を立てて回っていた。
感傷的になっているのだろうか。
いつもは空を見たくらいで、こんなことを思い出すことなんてないのに。
「草刈機の燃料なに?」
なんて意味の無い問いが最後の会話になったことが脳裏に浮かぶ。
照れ隠しだったのかも知れない。
体調は大丈夫、とか。
早く元気になってね、とか。
もっと、伝えるべき言葉があったはずなんだ。
もっと、もっと、話しておくことがあったんだ。
今、こんなことを思い出しても仕方ないことは分かる。分かっているけど、思い出の中にある後悔という引き出しが、目の前の光景がキーになって突然開いたように。路面を叩く暴風雨のように、斜めに強く振り続ける。いつもは考えないようにしていただけなのか。いや、きっと、そうなのだろう。
父親は普通の人だった。
どこにでもいる、一般的な、平均的な、何の特徴も特技もない、ありふれた人だと思っていた。朝早く家を出て、夜日が沈んでから家に帰る。いつも食卓に座って晩御飯を食べ、風呂に入って、地元のプロ野球チームを口汚く罵りながら応援する。いつの間にかタバコは止めていた。元から晩酌はしない人だった。たまに友人とゴルフに行くくらいで、休日には家にいて、家族のイベントに振り回され、その他の時間は農作業をしていた。兼業だから大した面積ではないが、田も畑もある。
これが、これだけのことをすることが、どんなに大変なことなのか知らなかった。
父親は必ず家族みんなで食卓を囲む人だった。どんなに遅くなろうと、会食や飲み会があろうと、付き合いで外食しようと、夕食を必ず自宅で摂る人だった。非効率だと思っていた。面倒臭いと感じていた。友達と外食して食べなかったこともある。たぶん父親は、食卓を家族みんなで囲むことを一番大切にしていたんだ。それを、自分が描く家族の原点だと考えていたのだろう。
健康診断で異常が見付かり、再検査でガンが見付かった。
進行性の肝臓ガン。そこからはあっという間だった。見る間に転移して広がり、2ヵ月後には手の施しようがなくなっていた。
家から父親がいなくなり、食卓には誰も寄り付かなくなった。母親は病院に行ったままだったし、姉は受験生であったこともあり学業に専念していた。肉体労働ができる者がいなくなったため、必要最低限の農作業をやった。
遊ぶ時間が削られ、部活にもあまり顔を出すことができなくなっていた。だから、当て付けだったのかも知れない。何も聞いていなかったし、すぐに退院して元の生活に戻るものだと思っていたからかも知れない。まさか、二度と言葉を交わせないなんて想像すらしていなかった。父親というものは、いつも家族の中心で、何かあったときには必ず解決してくれるものだと、勝手に信じていた。だから、当然、その席に戻ってくるものだと信じて疑わなかった。
くだらない意地で、子どもっぽい理由で、最後の会話をしてしまった。かすれた声で、途切れ途切れに吐き出した言葉。気付かなければならなかった。分かったはずだった。
ずっと、ずっと、後悔している。
思い出さないように記憶の底に沈めている。
でも、忘れることはできない。
バイクの後輪が、カラカラと音を立てて止まる。
青い空を見上げて吐き出す息が震える。
それは痛みでもなく、寒さでもない。
近くで誰かの足音が聞こえてきた。



