波にはじまり、波におわる。

 超大型で強い台風18号の接近は、地域に多大な被害を与えていた。道路には空き缶などの小さいゴミから、行く手を阻むような看板までもが散乱しており、バイクにとっては最悪の状態だった。しかし、意外なことに停電しているエリアはなく、信号は通常通りに稼動していた。

 信号待ちで停車し、前後左右360度を確認する。
 それは、本当に不思議な光景だった。真上だけが晴れ渡り、少し離れた場所にある山は黒雲に覆われている。雲の中を稲光が走り数十秒後に遠雷が轟く。
 雨雲の上で暴れる雷鳴を耳で追っているうちに、正面の信号が青に変わった。


 アパートを出発して30分ほどか経過した。台風の規模が大きいのか、それとも進行方向が同じなのかは分からないが、順調に快晴の中を移動できている。

 ちょうど郊外の住宅地に差し掛かったときだった。信号待ちで停車していると、正面から歩いてきた女性に声を掛けられた。
 いくら雨が止んでいるとはいえ、瞬時に暴風雨の真ん中に放り出されるような状況だ。この女性以外に外出している人は見当たらない。他人の手を借りなければどうにもならない緊急事態なのだろうか。

「すいません。この辺りで傘を見かけませんでしたか?
 このくらいの長さの、赤い傘です。ネコのキャラクターがプリントしてある傘なんですけど」
 急いでいるが、予想を覆す問いにその内容を確認してしまった。
「えっと、どういう事ですか?」
 すると、その女性が縋るような目で説明を始める。
 車道の端にバイクを移動させ、空の様子を確認しながら話しを聞いた。

「娘の傘が、先ほどまでの強風で飛ばされてしまったんです。玄関の中に入れておけば良かったのですけれど、玄関の外に立て掛けてしまっていて。その事に気が付いて慌てて外に出たら、もう、どこにも見当たらなくて。
 幼稚園に入った時に買った、あの子の初めての傘だったんです。とても気に入っていたので、他の傘を買ってあげると言っても納得してくれなくて・・・私の不注意なので申し訳なくて。だから、どうしても見付けたいんです」

「自宅は、どの辺りですか?」
 飛ばされた位置を確認するために訊ねると、女性は200メートルほど先の住宅団地を指差した。

 ―――――なるほど。
 先ほどまでの風向きは南西だった。それを考えれば。この方向で間違いないだろう。しかも天気予報が言っていた最大瞬間風速であるなら、数百メートル飛ばされていたとしても不思議ではない。
 通行の妨げにならないようにバイクを歩道に移動させ、エンジンを切った。
「少しだけですが、一緒に探します」
 自分の対応を目にした女性が、驚いて身体の前で両手を振った。その意味も気持ちも十分に分かるが、それを無視して周辺を探し始める。
「そこまでして頂かなくても大丈夫ですから!!」
「あ、いえ、この晴れ間は長く続きませんし、ここで見付からなかったら、もう無理だと思います。言い争う時間があったら、早く探しましょう」
 そう応えると、女性は申し訳なさそうに頭を下げて周辺を探し始めた。

 別に、善人という訳ではない。
 どちらかというと、悪人だと思う。
 いつも小賢しい事を考えているし、かなり計算高い方だと思う。
 無償の善意など信じない。
 奉仕活動(ボランティア)、何それ?。
 思い遣りの意味など分からない。
 優しさとか考えたこともない。
 今こうして手伝っているのは、ただ思い出したからだ。
 偽善であろうと一緒に探せば、何か分かるかも知れないと思っただけ。


 幼稚園に通っていた頃、今と同じように傘を失くしたことがあった。あの時に使っていた傘は今でも覚えている。5人組のキャラクターの絵が大きくプリントされた、目立つ格好良いブルーの傘だった。幼稚園に通うようになったら必要だろうと、親族の誰かが買ってくれた傘だ。すぐに決闘をして骨組を折ってしまったけど、それでも、そのままの状態でずっと使っていた。
 あの日も、同じように台風が近付いていたのかも知れない。天気予報など分かるはずもなく、いつものように幼稚園から帰宅した後、玄関の外に立て掛けた。夕方には雷が鳴っていたものの、目が覚めた時にはも空は晴れ渡っていた。大した被害は無かったが、玄関に置いていた傘が無くなっていた。

 人間という存在は、子供だろうと大人だろうと、失くしてしまうと妙に(コダ)ってしまう。意固地になって、「アレが良い」「アレでなければダメだ」と。「仕方がない」と言われれば左右に首を振り、「代わりの物を」と言われれば泣き喚く。

 今となっては、外に置いたままにした自分が悪と思える。幼稚園児には納得できなかったかも知れないが、それは自分の責任だ。今となっては、そう思う。いや、今でも、そういう場面になれば首肯しないかも知れない。
 あの時、当然のように駄々をこねた。床を転げ周り、泣き喚き、玄関に入れてくれなかった母親が悪いと責めた。

 だから、母は自分をテレビの前に座らせて外に出た。


 普通に玄関に立て掛けていただけであれば、そんなに遠くまで飛ばされる事はない。しかし、ちょうど傘の部分に風が吹き抜ければ、宙を舞って上空に飛ばされる。そうなれば、かなりの距離をパラシュートのように滑空する可能性も出てくる。それに、真っ直ぐ飛ぶとは限らない。もし上空に吹き上げられたとすれば、ユラユラと降下して予想とは違う方向に落ちた可能性がある。

「あっち側を探しますね」
 女性にそう告げると、道路を横断して反対側に移動する。
 道路沿いを飛んでいれば見付ける事ができる可能性もあるが、道路脇の草むらや民家の庭先に飛び込んでいれば発見することは不可能に近い。

 道路脇を探しながら女性の方に振り返ると、腰を屈めた状態で一心不乱に視線を左右に移動させていた。
 あの様子では、本当に見付かるまで探しそうだ。天候が暴風雨に変わったとしても、探すことを止めるような気がしない。その背中から、そんな強い執念を感じる。

 自分としては早く探し出すか、理由を付けてこの場を離れるしか選択肢はない。