波にはじまり、波におわる。

 ちょっと無理をする?
 そう口にしたものの、テレビ画面を眺めて固まった。

 NHKでは常に台風情報が映し出されている。強風が吹き荒れる中、合羽を着たレポーターが「立っていられないほどの暴風です!!」と言っているが、本当に危ないから非難した方が良いと思う。決死の覚悟で中継している場所は、見覚えがある海岸線だ。あの少し先に、美味しいラーメン屋があったはずだ。

「もう少しで、この付近に台風が上陸します。不要不急の外出は控え、生命を守る行動を取って下さい!!」
 テレビ画面には天気図が映っている。確かに、台風の中心付近がすぐそばにある。南の海で散々蛇行していたのに。今さら偏西風のレールに乗って北上している。西へ東へと自由に動き回っていたのに。


 4つ上の姉が大学進学とともに家を出た年は、中学3年生になるときだった。前年に父親がガンで亡くなっていたため、母と二人暮らしになった。今までは2分の1だった母からの監視と小言を、一身に受け止めることになった。ちょうど高校受験を控えていた時期でもあったため、送迎付きで進学塾に通わされ、より一層窮屈な生活になった。

 勉強しかすることができなかったため、第一志望の高校に合格した。中学のときにしていたバスケットボールを高校でも続け、部員にもクラスメートにも恵まれて楽しくは過ごした。
 それでも、やはり自由は許されず、どこか息苦しさを感じ続けていた。だから、進学する大学は地元を選ばなかった。通えそうで通えない、絶妙な距離の大学に決めた。

 「おめでとう」と、母は満面の笑みを浮かべて言った。

 台風18号は950ヘクトパスカルという記録的な勢力で本州に上陸するようだ。中心付近の最大瞬間風速は45メートル。せめて一瞬で過ぎ去ってくれれば良いが、時速20キロというマラソンランナー程度のスピードしか出ていない。

 ゴウッ!!という風切り音が鼓膜を叩き、どこかからトタン板が跳ね上げられる金属音が響いてくる。前が見えないほどの雨が、ほんの数秒で道路を川に変えていく。
 台風の中心が近い証拠だ。


 大学生になってから、まだ1度も帰省していない。盆と正月には催促の連絡があるが、完全にスルーを決め込んでいる。
 帰省する理由が無い。
 高校の友達とは大学がある街で会うし、アルバイトでスケジュールも埋まっている。もう、完全に生活の中心が、この街に移っている。今さら、あの場所に帰る理由が無い。

 夜更かしをしても、誰にも文句を言われない。
 2時頃まで起きていれば、強制消灯されることもない。朝日を見ることも、日常的に起きている。夜通しゲームをすることもあれば、誰かと通話していることもある。当然、夜の街に繰り出していることもある。
 昼過ぎに起きて、大学の授業を欠席してしまったこともある。
 ランチのためだけに大学に行き、真面目な知人に出席シートの提出を依頼することも多い。ジュースでも渡しておけば、それでオールオッケーだ。

 自由だ。
 ずっと夢見てきた自由だ。
 渇望していた自由だ。
 東西南北どこに向かうのも自由だからこそ、後から確認すると同じ場所を行ったり来たりしていることもある。
 それでも許される。
 いや、それが良い。


「あんた、帰らなくてもいいから、たまには連絡しなさいよ」
 これまで10回以上、姉から連絡があった。
 姉は大学を卒業した後、隣街で就職した。実家から勤務先のアクセスが悪く、引き続き一人暮らしをしている。姉は頻繁に連絡しているらしく、更に月に1度はローンで購入した軽自動車で実家に帰っている。

 そんな姉は、ずっと母の愚痴を聞かされている。
 連絡がない、と。
 どういう状況なのか全く分からない、と。
 電話に出ない、と。
 代わりに、それとなく様子を窺って欲しい、と。
 選択肢はこちら側にある。だから、自由になっていると言える。それこそが自由の証明だ。だから今、帰省することを決めたのは自分自身だ。


「母が救急車で搬送された」
 この言葉の解像度を上げない。
 想像しない。
 言葉自体はよく見掛ける内容だ。
 テレビのニュースで、ドラマや映画の中で、他人との会話の中でありふれている現象。よくある話だ。有名人が、俳優が、シンガーソングライターが倒れた。「ふうん」程度にしか思わないし、自分の生活には全く影響がない。

 リアルに連想しない。
 救急車で搬送される人物の顔が母だとしたら。
 倒れた理由が父と同じだったとしたら。
 余命宣告を聞かされるのだとしたら。
 2年近く会っていない母。
 自由を縛っていた元凶である母。
 自分に対して説教する姿しか記憶にない母。

 それでも、ベッドに横たわる母をリアルに想像すると足が震える。自分の名前を呼ぶ姿を思い浮かべると、息が詰まりそうになる。目を閉じている母を父と重ねると、胸が締め付けられそうになる。だから―――――

 窓の外は昼間というのに真っ暗で、街灯がセンサーにより点灯している。それよりも明るい稲光が間断なく煌き、雷鳴が窓ガラスを震わせる。

 それでも、「ちょっと無理をする」ことを選択した。