今だけ、ちょっとムリをする。

 昼間でもはっきりと分かるくらい、周囲が真っ白に照らされた。
 数秒後、轟音が上空から降り注ぐ。反射的に膝が折れそうになるほどの音が、振動になって地面を揺るがした。
 過去に引き摺り込まれていた意識が覚醒する。我に返って顔を上げると、歩行者専用の信号が青になっていた。点滅する青い光の中に注視しながら小走りで渡り切ると、もう病院の入口は目の前だった。

 変わらず、気を抜くと飛ばされそうになるほどの今強風背中を押てくる。風向きを考えると、もう台風は通り過ぎたように思われた。その証拠に、先ほどまでの叩き付けるような雨粒が小さくなった気がする。
 なだらかな下り坂。その先に母が搬入された病院がある。分かってはいる。このために、台風だと分かっていて無理をしてここまで来たのだ。それなのに、6階の病室に視線が縫い付けられて足が動かない。


 本当の闘病生活は、手術が終わってからだった。
 手術後、集中治療室に1日いたものの、すぐに一般病棟に移された。とはいえ、大部屋では管理ができないため、6階の南から3番目の個室で容態の経過観察ということになった。

「その病室から、どっちに移動するかだなあ」
 顔馴染みになった60代の入院患者と面談室で一緒になり、まるで都市伝説のような話を聞かされた。でもそれは、余りにも笑えない内容だった。
「順調にいけば、そこから大部屋に移されるか、1つずつナースステーションから遠い部屋に移動させられる。もし、病状が悪化すれば、ナースステーションに近くに変えられる。まあ、当然だわな」
 当然、本人が経験した話でもないし、入院患者たちの中に広まっている噂に違いない。それでも、この内容は大病を患っている本人や家族にとっては、心を抉られる内容には違いない。

 手術後の1週間、手術前と比較しても格段に顔色は善くなり、肝臓の数値は安定していた。目や顔、指先まで黄色く染めていた黄疸は、すっかり影を潜めた。
 食事も少しずつ摂れるようになり、元気が良かった頃のように軽い冗談を口にするようになっていた。だからこそ、1ミリも肝臓が元の状態に戻っていなかったことに気付かなかった。

 異変が起きたのは1ヶ月が過ぎた頃だった。
 髪が切りたいと言った父親を病院内の理容室に連れて行った後、突然体調を崩した。38度近くの発熱により、食事を摂ることができなくなった。
「だから髪を切ることには反対だったのよ」
 母は髪を切ることには反対だった。髪と一緒に生気を切り取られるとか、よく分からない理屈で抵抗した。しかし、父親がどうしても折れなかった。絶対に今日、散髪に行くのだと言ってきかなかった。もしかすると、自分のことだけに理解していたのかも知れない。

 3日もすると、白目が薄っすらと黄色がかってきた。立って歩けていたが、ベッドから移動するときには車椅子が必要になった。めっきりと口数が減った。目に見えて体力が落ちてきたことが分かった。
 そして、散髪から3週間後の午前中に、1部屋分ナースステーションに近付いた。


 完治するとは思っていなかった。
 ただ、一度は自宅に帰れるのではないかと思っていた。
 だって、病院は冷酷な施設で、どんなに症状が悪かろうと、2ヶ月で退院させられるって、みんなが言っていた。だから、2ヶ月過ぎれば帰宅できるんじゃないかって、そう思っていたんだ。そこで、病院なんて、やっぱりクソなんだな。って、悪態を吐いてやろうと思っていたのに。
 一度帰宅して、電動ベッドの上で、冗談を言いながら何年か過ごして、でも、また悪化して、入院して、また手術して、追い出されて、病院の悪口言って、ネットで喚き散らして、自宅で療養して、もしかしたら再発しなくて、せめて10年は一緒に過ごせるって、ベッドを置く部屋も、方角も、全部決めていたのに。

 帰れない。
 おかしいだろ。
 何か、目を開けている時間が少なくなってきた気がする。
 声を掛けることができない。
 一緒に見舞いに行っても、母の背中から眺めることしかできなかった。どうしても、言葉にすることができなかった。徐々に弱っていることは分かった。
 主治医に母と一緒に呼ばれた。
「肝臓が大きくなっていないため、機能を果たしているとは言えません。おそらく、肝臓の機能が低下しているためだと思われます。そして、リンパ節に転移している可能性が高いかと」

 ―――――余命宣告だった。

 主治医から呼ばれた時点で、ある程度予想はできた。毎日見ていれば分かる。父親の体の中で何が起きているのか。1週間に1度の検査結果を見れば、言われずとも状態の想像はつく。
 それでも、家族ってヤツは、答えを確認するまでは夢を見るものだ。
「現状は少し悪化していますが、心配する必要はありません。2ヶ月が過ぎたので退院して下さい」
 それは、ただの寝言だった。


 母方の祖母は、母が一人っ子だったこともあり、最期は我が家で看取った。家族全員で布団を囲み、最期の瞬間を目の当たりにした。人が呼吸を停止する瞬間を、前の前で見た。
 独特の呼吸リズムを、決して忘れることができない。