父親は他人のために尽くし、自己を犠牲にするタイプの人間だった。30代後半から地区の世話役に就き行事を取り仕切ったり、就任する人がいないからと若くして民生委員までやっていた。そのため、平日は仕事から帰宅した後も一人暮らしのお年寄りや母子家庭等を訪問し、土日も行事の手伝い等でほとんど家にいることがなかった。
他人に尽くすということが悪いとは思わない。それでも、限度というものがあると思う。お陰で、家族4人でどこかに旅行に行った記憶がない。
この病院に入院したときも、健康診断の結果や自ら受診したからではない。地区で開催される祭りの準備をしていたときに、近所の人に黄疸が出ていることを指摘されたからだった。白目の部分が明らかに黄色く染まっていたため、病院に行くようにしつこく言われ、最終的に母の元にまで連絡が届いた。ここにきて、ようやく受診することを承諾したものの、祭りの準備が全て完了してからだと言い張り、結局最後までやり遂げた。
責任感と実行力は賞賛に値するかも知れないが、家族としてはたまったものではない。特に、母からしてみれば、本当に苦悩の日々だったに違いない。
たぶん、自分では分かっていたのではないだろうか。だから、最寄りの総合病院で受診する前日までに、祭りの準備と平行して「一応」と、来年以降の引継ぎを済ませていた。本当にそうなのであれば、他人に対してではなく、家族に対してもっとできる事があったのではないかと思う。
簡易的な血液検査の結果が出た瞬間、その数値を目にした医者が、「どうして立って歩けているのか」と驚愕した。結局、そのまま最も設備が充実しているこの病院に緊急入院することになった。
「ステージ3の肝臓ガン、しかも進行が早い」
それが、担当医の最終的な見解だった。即日の入院、明日から精密検査となった。これが一体どういう状態なのかは知らなかったが、周囲の反応から、正直なところ「もうダメなのか」と思った。
湧き上がる焦燥感。何をどうすれば分からないが、何かをどうにかしなければならないという思いが頭の中を支配する。いつも覇気に溢れていた父親が、力無くベッドに横たわる姿を目にし、それ以降、直視することができなくなった。元々、会話が多い関係性ではなかったが、これまで以上に言葉を交わすことが減った。
たぶん、知りたくなかったのだと思う。
「リンパ節や多臓器への転移は見られませんし、肝臓を半分ほど摘出すれば―――――」
と、ものすごく簡単なことのように医者が説明する。それでも、それ以外に可能性が無いのであればチャレンジするしかない。落ち着いて内容を確認する父親の隣に座る母の手が、小刻みに震えていることに気が付いていた。
しかし、投薬の効果が薄く、何かの数値がなかなか改善されなかったため、手術は緊急入院して1ヶ月ほど過ぎた頃になった。
父親の手を握り締め、どうにか笑顔を保つ母が「頑張って」と声を掛ける。その直後、ストレッチャーが扉の中へと吸い込まれて行った。それから3時間程度だと説明があった手術は6時間にも及ぶことになる。手術室の前で微動だにしない母の隣には、姉が座っていた。長くなればなるほど、嫌な予感が増していく。少し離れたベンチに座り、何となく2人の姿を眺めていた。
予定の倍ほどの時間が経過した頃、主治医が姿を現した。急いで駆け寄る2人の後を、ゆっくりと追い掛ける。
「ひとまず、最善をつくしました」
成功とは微妙に違う言い回しに、自分を含めた3人の表情が曇る。
「想像以上に浸潤していて、肝臓の3分の2ほどを切除しました。見られますか?」
「はい」
母は一瞬たりとも躊躇することなく答える。
医師は金属製の台に載っていた同じ銀色の大きいトレーを手に取った。幅が30センチ以上ある金属製のトレーに入っていたのは、ラグビーボールほどの物体だった。
「これが切除した肝臓です。もう半分以上は機能が停止しています。肝硬変のような状態と思って頂いて結構です。ガン細胞のみを切除しても意味がないので、悪い部分を全て取り除きました」
「こんなに取って大丈夫なんですか?」
誰もが真っ先に思い付く質問を母がする。それはそうだ。これだけ大きく肝臓を切り取ると、生命を維持する機能そのものに影響が出ると感じてしまう。
「肝臓という臓器は、通常は切除しても再生します。例えば3分の1を切除しても元の大きさに戻ります。残した3分の1という大きさは、元に戻るための最低限必要な大きさです。順調に回復すれば、少しずつ残った肝臓が大きくなり肝機能も改善されていきます」
医師の説明を聞き、少しだけ安堵の笑みを浮かべる母。しかし、説明はそこで終わりではなかった。
「ただ、ガン細胞がこれ以上浸潤していないこと。リンパ節等に転移していないこと。本人の体力があること。などが前提になります。手術の際に確認はしましたが、見える範囲に転移はありませんでした。しかし、進行が速いガンなので安心はできません」
この時、家族の中の誰ひとりとして、闘病がここから始まることを分かっていなかった。
他人に尽くすということが悪いとは思わない。それでも、限度というものがあると思う。お陰で、家族4人でどこかに旅行に行った記憶がない。
この病院に入院したときも、健康診断の結果や自ら受診したからではない。地区で開催される祭りの準備をしていたときに、近所の人に黄疸が出ていることを指摘されたからだった。白目の部分が明らかに黄色く染まっていたため、病院に行くようにしつこく言われ、最終的に母の元にまで連絡が届いた。ここにきて、ようやく受診することを承諾したものの、祭りの準備が全て完了してからだと言い張り、結局最後までやり遂げた。
責任感と実行力は賞賛に値するかも知れないが、家族としてはたまったものではない。特に、母からしてみれば、本当に苦悩の日々だったに違いない。
たぶん、自分では分かっていたのではないだろうか。だから、最寄りの総合病院で受診する前日までに、祭りの準備と平行して「一応」と、来年以降の引継ぎを済ませていた。本当にそうなのであれば、他人に対してではなく、家族に対してもっとできる事があったのではないかと思う。
簡易的な血液検査の結果が出た瞬間、その数値を目にした医者が、「どうして立って歩けているのか」と驚愕した。結局、そのまま最も設備が充実しているこの病院に緊急入院することになった。
「ステージ3の肝臓ガン、しかも進行が早い」
それが、担当医の最終的な見解だった。即日の入院、明日から精密検査となった。これが一体どういう状態なのかは知らなかったが、周囲の反応から、正直なところ「もうダメなのか」と思った。
湧き上がる焦燥感。何をどうすれば分からないが、何かをどうにかしなければならないという思いが頭の中を支配する。いつも覇気に溢れていた父親が、力無くベッドに横たわる姿を目にし、それ以降、直視することができなくなった。元々、会話が多い関係性ではなかったが、これまで以上に言葉を交わすことが減った。
たぶん、知りたくなかったのだと思う。
「リンパ節や多臓器への転移は見られませんし、肝臓を半分ほど摘出すれば―――――」
と、ものすごく簡単なことのように医者が説明する。それでも、それ以外に可能性が無いのであればチャレンジするしかない。落ち着いて内容を確認する父親の隣に座る母の手が、小刻みに震えていることに気が付いていた。
しかし、投薬の効果が薄く、何かの数値がなかなか改善されなかったため、手術は緊急入院して1ヶ月ほど過ぎた頃になった。
父親の手を握り締め、どうにか笑顔を保つ母が「頑張って」と声を掛ける。その直後、ストレッチャーが扉の中へと吸い込まれて行った。それから3時間程度だと説明があった手術は6時間にも及ぶことになる。手術室の前で微動だにしない母の隣には、姉が座っていた。長くなればなるほど、嫌な予感が増していく。少し離れたベンチに座り、何となく2人の姿を眺めていた。
予定の倍ほどの時間が経過した頃、主治医が姿を現した。急いで駆け寄る2人の後を、ゆっくりと追い掛ける。
「ひとまず、最善をつくしました」
成功とは微妙に違う言い回しに、自分を含めた3人の表情が曇る。
「想像以上に浸潤していて、肝臓の3分の2ほどを切除しました。見られますか?」
「はい」
母は一瞬たりとも躊躇することなく答える。
医師は金属製の台に載っていた同じ銀色の大きいトレーを手に取った。幅が30センチ以上ある金属製のトレーに入っていたのは、ラグビーボールほどの物体だった。
「これが切除した肝臓です。もう半分以上は機能が停止しています。肝硬変のような状態と思って頂いて結構です。ガン細胞のみを切除しても意味がないので、悪い部分を全て取り除きました」
「こんなに取って大丈夫なんですか?」
誰もが真っ先に思い付く質問を母がする。それはそうだ。これだけ大きく肝臓を切り取ると、生命を維持する機能そのものに影響が出ると感じてしまう。
「肝臓という臓器は、通常は切除しても再生します。例えば3分の1を切除しても元の大きさに戻ります。残した3分の1という大きさは、元に戻るための最低限必要な大きさです。順調に回復すれば、少しずつ残った肝臓が大きくなり肝機能も改善されていきます」
医師の説明を聞き、少しだけ安堵の笑みを浮かべる母。しかし、説明はそこで終わりではなかった。
「ただ、ガン細胞がこれ以上浸潤していないこと。リンパ節等に転移していないこと。本人の体力があること。などが前提になります。手術の際に確認はしましたが、見える範囲に転移はありませんでした。しかし、進行が速いガンなので安心はできません」
この時、家族の中の誰ひとりとして、闘病がここから始まることを分かっていなかった。



