今だけ、ちょっとムリをする。

 お見舞いの品を入手し、姉の待つ車に戻る。びしょ濡れの服を目にして一瞬嫌な表情を見せたものの。アクセルを踏み込んだ。再び海沿いの道へと続くメイン通りに戻り、先を急ぐ。ここからであれば、もう30分もかからないはずだ。県道と合流する交差点を左に曲がり、一路病院を目指す。

 海岸に出ると残り15分程度で到着する。しかし、その直前に気になる場所があった。海岸線を進むには、必ず線路を横切らなければならない。踏み切りはそれなりに数があるが、どこを横断しても海岸線には繋がらない。海岸線に出るためには、必ず高架下を通らなければならない。
 高架下といっても新幹線に代表されるような、電車等が高い場所を通る訳ではなく、線路の下をU字型に掘る形式のものだ。その形状から、短期間に雨が集中的に降ると、排水が間に合わず水没してしまう。ちょうどこのような天候のときには注意が必要になる。

 少し先に線路が見え始める。現在、この路線は全線が運行停止になっている。線路が近付いてくるに従い、高架下の状況が分かってくる。最悪の想定よりも更に上をいく現実。
 雨水が溜まって通行できないのであればまだマシだ。高架の下に、水没した車で見えた。しかも、薄暗いためかオート設定のライトが点灯している。周囲に人影が見えないことから、まだ車内に人がいる可能性が高い。

 高架まで20メートルほど離れた場所で姉が車を止める。そんな姉に対して頭を下げた。
「こんなに天気が悪いのに、ここまで連れて来てくれてありがとう。もうそんなに距離もないし、ここからは歩いて行くよ。申し訳ないけど、姉貴は引き返して別ルートで行ってもらっていいかな」
「ゆ、悠太!!」
「じゃあ、後で病院でね」
 後ろに積んでいた合羽に手を伸ばし、躊躇することなく外に飛び出した。

 合羽の上着に手を突っ込み、ズボンを手にして高架下に向かう。そして、ズボンをその辺りに放り投げ、高架下の水溜りに駆け寄った。豪雨による影響なのか、最深部まで10メートルほどの位置まで水が溜まっていた。未だに道路から水が流れ込んでいるため、除所に水嵩は増している。
 グレーのハッチバックタイプの車は、ブレーキをかけなかったのか真ん中辺りに浮かんでいる状態だった。既にボンネットまで水没しており、今なお沈んでいる。車内に取り残された人がいるのではないか、という予想が杞憂であれば良いと思っていたものの、運転席側の窓から手が出ていることに気が付いた。

 躊躇せず濁った水に足を踏み入れる。水底に瓦礫などがあるかも知れないが、いちいち確認している余裕はない。ピラニアやワニが潜んでいるのであれば入念なチェックも必要になるが、日本の高架下にそんなものは存在しない。
「大丈夫ですか!!」
 水際から声を掛けると、車内から女性の声が聞こえてきた。その声に子どもの泣き声も混じっている。
「助けて下さい!!子どもが、子どもがいるんです!!」

 車までの距離は5メートル足らず。あまり勢い良く水を掻き分けると波で車が揺れてしまい、水没を早めてしまう可能性があるため少しずつ移動する。すぐに水は腰まで到達し、履いているズボンを越してしまう。最終的に、車の運転席側に到着したときには、胸の辺りまで水深があった。これだと、車は完全に水没してしまうだろう。

「すいません!!子どもを、子どもをお願いします!!」
 運転席側の窓が半分ほど開いた状態で止まっていて、中には若い母親とまだ幼い男の子の姿があった。車内には水が入り込んでいて、シートまで水に浸かり始めていた。
「この子を、助けて下さい!!」
 水没する車の中、母親は抱きかかえていた幼い子どもを自分の膝の上に立たせ、窓から身を乗り出させるようにする。開いているスペースは30センチほどだろうか。大人は無理かも知れないが、確かに子どもであれば出ることは可能だろう。
「ドアは開かないんですか?」
「ロックが解除できなくて、どうしても開かないんです。ですから、子どもを助け出して下さい。お願いします!!」

 雨なのか涙なのか分からない水で顔をグシャグシャに濡らした母親の意を汲み、窓から子どもを引っ張り出すことにした。泣き続けていた子どもが、窓から半分ほど身体が出た状況で振り返る。
「ママは?ママはどうなるの?」
 母親は子どもを不安にさせないように、笑顔で応えた。
「すぐに行くから、まあ君は先に行って待ってて」
「でも・・・」
「すぐに行くから、ね」
「・・・うん」

 絶対ではないが、確かにここで助からない可能性は低い。それでも、少しずつ沈んでいく状況が恐くないはずがない。この悪天候を考慮すれば、すぐに救助隊が来る可能性は低い。それでも、まずは子ども、という選択肢になるのだ。
 そういえば、最後に残った唐揚げは、必ず自分が食べていたな。

 運転席側の窓の上部から子どもを受け取り、濡れないように肩で担ぐようにして移動する。そして、水の中をザブザブと移動し、どうにか子どもを水際まで運んで下ろした。
「ママ―――っ!!」
 先ほどまで泣いていたはずの子どもが、車の方に向かって叫んだ。
「ママ!!、ママ―――!!」
 叫ぶ子どもを見詰めながら、母親をどうしたものかと思案する。
 窓ガラスに体重を掛けて押せば、おそらくガラスが滑って下がる。しかし、それをしてしまうと、窓から水が流れ込んで水没のスピードを早めてしまうかも知れない。

 視線の先には車体が揺れながら水面に浮かんでいる。
 浮かんでいる?
 ああ、そうか。
 子どもに「ここで待っているようにね」と何度も言い含め、先ほどと同様に水の中に入っていく。ただ今度は運転席の横で止まらず、車のフロント部分に回り込んだ。
 水中で力が上手く伝達できないものの、どうにか底で踏ん張って車体を押す。一度、二度と力を込めているうちに、ゆっくりと車体が移動を始める。流れがある場所ではできないが、高架下という外部の影響を受けない場所だからこそ可能になる方法だ。人力で押す。車体が完全に水没してしまうとどうにもならないが、まだ浮かんでいるのでれば舟と同じことだ。

 一度動き始めた車体はゆっくりと移動し、やがて後輪が傾斜のある底に着いた。