今だけ、ちょっとムリをする。

「何をしてんだか・・・」
 意図せず零れた言葉に、姉が笑いながら応えた。
「あんた、明日死ぬの?」
 意味が分からず姉の横顔に視線を向けると、なぜか穏やかな表情をしている。
「男性の平均寿命って、日本人の場合81歳くらい。まあ、平均だし、それ以上かも知れないし、父さんみたいに短いかも知れない。でも、統計上、まだ20歳のなんだから、あと60年くらいあることになるのよ?遅いことなんかない。また、くだらないプライドがーとか言い訳をするのなら、もう別にどうでも良いけどね」

 姉の言葉を聞きながら、父と交わした最後の言葉を思い出す。
「草刈機の燃料って何?」
 何だよそれ?
 最後になるかも知れないと分かっていたのに、くだらない反抗心で素直になれなくて、どうでもいいことを口にしてしまった。あのとき、父はどう思ったのだろうか。何で草刈機の燃料なんだよ、って呆れただろうか。それとも、一丁前に反抗期か?って笑っただろうか。でも、やっぱり、ちゃんと会話をしたかったに違いない。母のこと、姉のこと、家のこと、農業のこと、自分の将来のこと、話しをしたかった事がたくさんあったはずだ。それなのに―――――

 それを決めたのは自分だ。
 でも、今はそれに気付いている。
 何度も夢に見るくらい後悔もした。
 思い直せばいい。
 まだ、これからの方が長いんだ。
 ああ、くそっ!!

「姉貴」
「何さ?」
「ちょっと、十字屋に寄ってくれない?」
「は?だいぶ遠回りになるんだけど。それに、こんな日に開いてると思ってんの?」
 姉が呆れたような口調で応えながらタメ息を吐く。
「閉まってても知らないわよ」
 そのくせ、笑みを浮かべて信号を左に曲がった。
「私にもカスタードね」
「分かったよ」
 どういう状況なのか分からないし、肝臓の治療で入院するのであれば食事制限があるかも知れない。それでも、母は十字屋のシュークリームが好きだった。たぶん、それは今も変わってはいないだろう。

 フロントガラスを動き回るワイパーが役に立っていない。
 時折自動車の屋根をバラバラと音を立てながら雨粒が落ちてくる。
 路面は全体が水の膜に覆われたような状態だ。
 強風に煽られ、まるで湖面のように波が走る。
 味方だったはずの台風が、最後の力を振り絞り行く手を阻む。プラスとマイナスのバランスを取っているようだ。


 小学生の頃、家族のイベントがあると訪れた店。1年のうちに数回しか訪れることができなかった特別な店だった。

 家族の誰かが誕生日を迎えると、必ずここでホールケーキを注文していた。流行りのケーキではなく、昔ながらの生クリームの上にイチゴが飾り付けられたケーキ。チョコレートのプレートに、手書きの名前プラスHAPPY BIRTHDAYの文字。どこに立てるのか分からない本数のロウソク。
 何があっても全員出席の誕生日のお祝い。この日だけは主役が希望する料理を母が作ってくれた。母の誕生日だけは外食だった。お決まりのハンバーグ。最初から作るクリームシチュー。それでも、主役はこの店のケーキだった。

 そんな特別な店のシュークリームが母は好きだった。別の街に住むようになり、流行りの店にもたくさん行ったし、女の子相手にトレンドリーダーぽく振舞うために話題の店にも訪問した。でも、どの店も、あの店のシュークリームを越えることはできなかった。それほどまで美味しい。いや、そう植え付けられただけかも知れない。
 それでも、母の一番好きなスイーツは、間違いなくこの店のシュークリームだ。例え食事制限があったとしても、看護師の目が届かないところで口に入れてしまえばいい。一口だけ。

 県道から逸れた古い商店街の入口に、その店はあった。頑固に看板を維持しているのか、それとも資金難なのかわ分からないが、最初に見たときから変わらない白地に黒で書かれたシンプルな十字屋の文字。ネオンライトは点灯していた。
 老舗は天候が悪いくらいでは店を閉めない。もしかすると常連客が来るかも知れない。それだけのために商品を並べ、開店している。そういうものだ。

 店の近くに車を停めてもらい、傘など差さずに飛び出した瞬間に走り出す。この土砂降りの中では、傘など役に立たない。
 10メートルほど先のアーケードまでの間にズブ濡れになる。あとでシートを濡らしてしまうことになってしまうが、洗車するので赦してもらいたい。

 スライド式の自動ドアなのに、開くと同時にチリンチリンと不似合いな鈴の音が店内に響く。すると、奥から声が聞こえてきた。
「はーい。ちょっと待って下さいね」
 数秒遅れて姿を現したのは、ずっとこの店でレジ打ちをしている奥さんだ。奥さんはこちらを見ると、オーバーアクションで驚いてみせる。
「あら、珍しいお客さんが、こんな天候の中に来るなんて。まさか、台風に乗って来た訳ではないのよね」
 半分当たっている。
「ご無沙汰しています」
「2年ぶりくらいかしらねえ・・・で、今日は何にする?」

 昔と変わらないラインナップが、この悪天候の日でもショーケースの中に鎮座している。手を抜かない。いつでも真摯に客に向き合っているのだ。

 2段目の一番右側を指差して告げる。

「シュークリームを5個」