フロントガラスを雨粒が叩く。
天候が少しずつ悪化し始めている。
急激に勢力が衰えているためなのか、それとも台風の進路が車の進行歩行から逸れているのかは分からない。確かなことは、確実に天候が悪化しているということだ。
姉の告白に何も言い返せなかった。
自分が思っていたことは、ほとんど見抜かれていた。姉の存在がどれほど自分にとって負担だったか。しかし、それは他ならぬ姉の言葉で粉砕された。確かにその通りだったからだ。姉の行動はよく知っていた。目の前でずっと見ていたからだ。早起きしてランニングしていたことも、毎日朝練のために7時前には登校していたことも、帰宅がいつも遅かったことも、時間があれば勉強していたことも。それを知っておきながら、自分は試験勉強さえ一夜漬けで、部活も適当に流していた。気が向いたら参加し、遊びたいときはサボった。
それなのに、努力してきた姉と怠惰な生活を送ってきた自分を比較され、腐って不貞腐れた。そりゃあ、姉弟を比較する環境も悪い。でも、それは姉には関係の無いことだ。本人の努力を知っているにも関わらず、それを無視して斜め下を向いた。姉と同じくらいに努力したことがあっただろうか。どう考えても、ない。
「まあ、もう過ぎたことだし、思い切って吐き出したから、もう良いけどね」
―――――良くない。
それは、良くない。このまま、ってことにはいかない。
前に向き直って運転している姉の横顔は、先程よりも穏やかになっている。本当に、「もう終わったこと」なのかも知れない。このまま黙っていても、それはそれで終わりになってしまうのだろう。でも、それだと自分が赦せない。でも、謝ることもできない。そんなことを姉が望んでいるとは思えない。
「ああ・・・えっと、もっと本気出すよ」
一瞬、姉がコチラに視線を送り、噴出すように笑った。
「・・・何それ」
時折、突風が車体を揺らすようになった。
バチバチと雨粒が窓ガラスを叩く音が聞こえる。
ポケットからスマートフォンを取り出して天気予報にアクセスすると、台風の暴風域が消滅していた。同時に、中心部にあったはずの目は、周囲の雨雲に飲み込まれるようにして消滅してしまった。つまり、ここは吹き荒れる強風と入道雲によって取り囲まれているということだ。
突風に横から煽られながらどうにか山を下り、久し振りの故郷に入る。故郷と呼ぶほど遠く離れた場所にいた訳ではないが、こんなことでもない限り戻るつもりはなかった。
何も理不尽な思いを抱いていたのは、姉に対してだけではないのだ。姉が家を出てからの4年間、面白い事などひ1つも無かった。
山道から平地に変わった最初の交差点に、赤信号で停車する。
「どっちに行く?」
目の前にある選択肢を前にして、姉が意見を求めてきた。
左は全く違う方向であるため無関係であるが、他の進路はどちらも病院に繋がっている。近道になる海岸線通りと、遠回りになる山側のルート。海岸を通る方が早いが、高潮の影響で一時的に通れない可能性がある。逆に山側の道は遠回りにはなるが、通行止めになる可能性は低い。
「真っ直ぐ、かな」
ちょうど信号が青に変わり、姉がアクセルペダルを踏み込んだ。
「了解、海岸線ね。もしかしたら通行止めになってるかも知れないけど」
「それは山も一緒じゃん。山崩れとか起きてたらと通れないよね。それなら、距離が近い方で。最悪の場合、合羽もあるし、途中から歩いて行くよ」
その言葉を聞いた姉が大きなため息を吐いた。
「あんたね、そういうのをフラグを立てるっていうのよ」
病院まではあと30分余りで到着する。予想していたよりもかなり速いペースだ。天候の悪化が予想できたため、移動している人が少ないためだ。特に、横倒しになる危険が高いためか、大小問わずトラックが走っていなかったこの影響は大きい。
所々、見慣れていたはずの風景が変わっている。あったはずの古びた家屋が無くなりマンションが建っていたり、見知らぬ道路が新設されたりしている。古いカーナビを使用すると、他人の敷地の中を突き進むように表示されるヤツだ。
感慨に耽って眺めていた風景が、煙るほど激しい雨に視界を塞がれて見えなくなってしまう。最高速のワイパーでも前が見えなくなり、姉が前を確認しながら減速する。アスファルトを跳ねる雨により、もう路面状態さえも分からなくなってきた。突風にハンドルを取られた姉が、逆方向に回してバランスを取る。
「ところで、母さんはどこが悪いんだ?」
救急車で運ばれたとは聞いていたものの、詳しい病状を知らされていなかったため、今さらのように訊ねた。
「言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
「そう、だったかな。・・・えっと、知ってるのかどうか分からないけど、母さんはさ、ずっと肝臓の調子が悪くてね。だから疲れやすくて、いつも体調不良って感じだったんだよ。で、とうとう倒れて入院、という感じかな」
「肝臓」という単語を耳にし、条件反射的に血の気が引く。
父親の死因も肝臓だったからだ。「3分の2くらい失くなっても少しずつ元に戻るから大丈夫」だとか言われて、ラグビーボールほどに膨れ上がった肝臓を切除した。でも、「大丈夫」なのではなく、「それしか方法が無いから気休めを口にした」のであれば、状態が改善されることはない。父が亡くなった病院で、同じ肝臓の病気で搬送。小刻みに手が震える。
あの日、母親が口にした言葉を思い出す。
母方の祖父母は早世であったため、既にこの世にはいない。一人っ子である母親には、もう身内は4人の家族以外にいない。そう思っていた。
しかし、父が亡くなったとき、その身体にしがみ付きながら口にした。
「もう1人になってしまった。これでもう、1人になってしまった」
その言葉の哀しさと、心の痛み、その本当の意味が今でも分からない。
ただ、自分の存在が見えていないようで呼吸ができなくなった。
天候が少しずつ悪化し始めている。
急激に勢力が衰えているためなのか、それとも台風の進路が車の進行歩行から逸れているのかは分からない。確かなことは、確実に天候が悪化しているということだ。
姉の告白に何も言い返せなかった。
自分が思っていたことは、ほとんど見抜かれていた。姉の存在がどれほど自分にとって負担だったか。しかし、それは他ならぬ姉の言葉で粉砕された。確かにその通りだったからだ。姉の行動はよく知っていた。目の前でずっと見ていたからだ。早起きしてランニングしていたことも、毎日朝練のために7時前には登校していたことも、帰宅がいつも遅かったことも、時間があれば勉強していたことも。それを知っておきながら、自分は試験勉強さえ一夜漬けで、部活も適当に流していた。気が向いたら参加し、遊びたいときはサボった。
それなのに、努力してきた姉と怠惰な生活を送ってきた自分を比較され、腐って不貞腐れた。そりゃあ、姉弟を比較する環境も悪い。でも、それは姉には関係の無いことだ。本人の努力を知っているにも関わらず、それを無視して斜め下を向いた。姉と同じくらいに努力したことがあっただろうか。どう考えても、ない。
「まあ、もう過ぎたことだし、思い切って吐き出したから、もう良いけどね」
―――――良くない。
それは、良くない。このまま、ってことにはいかない。
前に向き直って運転している姉の横顔は、先程よりも穏やかになっている。本当に、「もう終わったこと」なのかも知れない。このまま黙っていても、それはそれで終わりになってしまうのだろう。でも、それだと自分が赦せない。でも、謝ることもできない。そんなことを姉が望んでいるとは思えない。
「ああ・・・えっと、もっと本気出すよ」
一瞬、姉がコチラに視線を送り、噴出すように笑った。
「・・・何それ」
時折、突風が車体を揺らすようになった。
バチバチと雨粒が窓ガラスを叩く音が聞こえる。
ポケットからスマートフォンを取り出して天気予報にアクセスすると、台風の暴風域が消滅していた。同時に、中心部にあったはずの目は、周囲の雨雲に飲み込まれるようにして消滅してしまった。つまり、ここは吹き荒れる強風と入道雲によって取り囲まれているということだ。
突風に横から煽られながらどうにか山を下り、久し振りの故郷に入る。故郷と呼ぶほど遠く離れた場所にいた訳ではないが、こんなことでもない限り戻るつもりはなかった。
何も理不尽な思いを抱いていたのは、姉に対してだけではないのだ。姉が家を出てからの4年間、面白い事などひ1つも無かった。
山道から平地に変わった最初の交差点に、赤信号で停車する。
「どっちに行く?」
目の前にある選択肢を前にして、姉が意見を求めてきた。
左は全く違う方向であるため無関係であるが、他の進路はどちらも病院に繋がっている。近道になる海岸線通りと、遠回りになる山側のルート。海岸を通る方が早いが、高潮の影響で一時的に通れない可能性がある。逆に山側の道は遠回りにはなるが、通行止めになる可能性は低い。
「真っ直ぐ、かな」
ちょうど信号が青に変わり、姉がアクセルペダルを踏み込んだ。
「了解、海岸線ね。もしかしたら通行止めになってるかも知れないけど」
「それは山も一緒じゃん。山崩れとか起きてたらと通れないよね。それなら、距離が近い方で。最悪の場合、合羽もあるし、途中から歩いて行くよ」
その言葉を聞いた姉が大きなため息を吐いた。
「あんたね、そういうのをフラグを立てるっていうのよ」
病院まではあと30分余りで到着する。予想していたよりもかなり速いペースだ。天候の悪化が予想できたため、移動している人が少ないためだ。特に、横倒しになる危険が高いためか、大小問わずトラックが走っていなかったこの影響は大きい。
所々、見慣れていたはずの風景が変わっている。あったはずの古びた家屋が無くなりマンションが建っていたり、見知らぬ道路が新設されたりしている。古いカーナビを使用すると、他人の敷地の中を突き進むように表示されるヤツだ。
感慨に耽って眺めていた風景が、煙るほど激しい雨に視界を塞がれて見えなくなってしまう。最高速のワイパーでも前が見えなくなり、姉が前を確認しながら減速する。アスファルトを跳ねる雨により、もう路面状態さえも分からなくなってきた。突風にハンドルを取られた姉が、逆方向に回してバランスを取る。
「ところで、母さんはどこが悪いんだ?」
救急車で運ばれたとは聞いていたものの、詳しい病状を知らされていなかったため、今さらのように訊ねた。
「言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
「そう、だったかな。・・・えっと、知ってるのかどうか分からないけど、母さんはさ、ずっと肝臓の調子が悪くてね。だから疲れやすくて、いつも体調不良って感じだったんだよ。で、とうとう倒れて入院、という感じかな」
「肝臓」という単語を耳にし、条件反射的に血の気が引く。
父親の死因も肝臓だったからだ。「3分の2くらい失くなっても少しずつ元に戻るから大丈夫」だとか言われて、ラグビーボールほどに膨れ上がった肝臓を切除した。でも、「大丈夫」なのではなく、「それしか方法が無いから気休めを口にした」のであれば、状態が改善されることはない。父が亡くなった病院で、同じ肝臓の病気で搬送。小刻みに手が震える。
あの日、母親が口にした言葉を思い出す。
母方の祖父母は早世であったため、既にこの世にはいない。一人っ子である母親には、もう身内は4人の家族以外にいない。そう思っていた。
しかし、父が亡くなったとき、その身体にしがみ付きながら口にした。
「もう1人になってしまった。これでもう、1人になってしまった」
その言葉の哀しさと、心の痛み、その本当の意味が今でも分からない。
ただ、自分の存在が見えていないようで呼吸ができなくなった。



