登録だけしていた電話番号を使用する。1コール、2コール目で早朝に聞いた声が響いた。
「珍しいわね・・・で、何?」
失敬な応答に思わずムッとしてしまうが、今はそんなことを考えている場合ではない。グッと堪えて言葉を紡ぐ。
「どこにいるの?もし、まだ家にいるなら乗せてくれない?」
用件を伝えると、姉の反応が止まった。どうやら言葉の意味を咀嚼しているようだ。気持ちは分かる。同じことを言われれば、まったく同じ反応になると思う。
「えっと・・・どこにいるの?」
「外」
次の瞬間、上の方から声が聞こえた。
「何でここにいるのよ!?」
「は?」
どうしてって、自分がすぐに病院に行くように言ったからに決っているだろうに、何い驚いているのか分からない。
頭上で窓が閉まる音がしてしばらくすると、マンションの中から姉が飛び出してきた。今から出発しようとか、そんな気配は微塵も感じられなかった。
手にしているヘルメットと壁際に停めたバイクを見て、姉は深いため息を吐いた。
「もしかして、ここまでバイクで来たの?台風が直撃してるから、二輪車での移動とか自殺行為でしかないと思うんだけど」
その質問に若干イラつきながら答える。
「いや、一刻も早く病院に行かないと後悔すると言ったのは姉貴だろ。だからこうして、急いで移動してるんじゃないか。たまたま台風と移動方向が一緒だったから、天候の影響はほとんど受けてないけどな」
その説明を聞いて、姉が空を見上げる。
「確かに・・・さっきから静かだと思っていたけど、台風の目に入ってたんだ。子どもの頃、台風の目に入りたって、いつも思ってたんだったわ」
思い出に浸っている姉には申し訳ないが、現実に引き戻す。
「それで、姉貴も病院に向かうんだろ?ここまではどうにか来れたけど、台風の速度も上がってるし、当たり前に考えて、ずっと台風の目の中って訳にもいかないだろ。電車もバスも止まってるし、車で移動する以外に方法はないよな、だからさ、車に乗せてもらえないかと思って来たんだよ」
「は?」
一瞬、姉が固まる。
「やっぱバイクは危ないし、連れて行ってくれよ」
なぜか、怪訝そうな表情の姉。それでも、意を決したように頷いた。
「分かった。着替えてくるから、ちょっと待ってて」
姉はそう告げると、急いでマンションの中に入って行った。
それから5分後。女性にしては短い時間で準備を整えた姉が再び姿を見せた。帽子にメガネにマスク。確かにこれなら時間は必要ないかも知れない。
姉はマンションに隣接する駐車場に移動すると、シルバーとピンクのツートンカラーで可愛く装飾された軽自動車に向かう。これまで2度目にしたことがあるが、乗せてもらうのは初めての経験だ。
「鬱陶しいから、その合羽は脱いで後ろのトランクにでも投げといて。あと、ダッシュボードとか勝手に触らないでよ」
「分かった」
ついさっきもらった合羽を脱ぎ、大雑把に畳んで後部座席の後ろにある申し訳程度のトランクに押し込む。そして助手席に座り、シートベルトを締めた。
「じゃあ、行こうか。何も起きなければ、ここから1時間半くらいで着くと思う」
「了解」
姉の言葉に頷くと、車が駐車場から発進した。
目指すは母親が入院したという地元の総合病院。ヤブだという噂が絶えないが、急患はなぜか総合病院に搬送されてしまう。きっと、市の偉い人と病院の理事長が悪事を働いているに違いない。
自分が運転する必要がなくなると、必然的に余裕が出てきた。バイクを運転していたときには気付かなかったことが見えてくる。
そこそこ大きい街のはずなのに、まったく車が走っていない。信号は通常通りに動いていることから、大規模停電が発生しているなどということはない。それなのに、対面に車線の道路を走っていても、前にも後ろにも、対向車線にも車の姿が見えない。当然、歩行者は皆無だ。
もしかして、バイクで移動していた自分が異常なのだろうか?
などという疑問まで浮かんでくる。
「あんた、あれからすぐに出たの?」
不意に問い掛けられる。
「そうだよ」
後悔しないように。とか言われて、父親との会話を思い出したからだ。確かに、と思う。後悔しないようにしなければならない。後悔を挽回することは永遠にできない。常にキズを抉る。だから、思い出さないように箱に詰め込んで一番深いところに沈める。それでも、気付かないうちにカギが壊れて溢れ出す。
ああしておけば良かった。
もっとできたはずなのに。
少し考えれば分かったはずなのに。
終わらない「たられば」を続ける。
それが分かっている今、それだけはしたくない。
「へえ・・・」
前を向いてハンドルを握ったまま、少し笑みを浮かべる。
「何だよ?」
「別に・・・」
相変わらず道路の状態は最悪だ。
これまでのように街路樹の枝が散乱し、所々で飛来物が道を塞いでいる。その度に助手席から出て道路脇に寄せた。運転していないのだ。これくらいのことは、やって当然だろう。
スマートフォンで天気予報を確認すると、一気に台風の勢力が弱まっていた。中心気圧は980ミリバール、移動速度は時速40キロ。移動速度は、もう車と大差がない。道なりの走行と、直進移動。追い越されるのは時間の問題だろう。
サイドミラーで背後を確認すると、すぐ後ろの空が真っ黒に染まっていた。
「珍しいわね・・・で、何?」
失敬な応答に思わずムッとしてしまうが、今はそんなことを考えている場合ではない。グッと堪えて言葉を紡ぐ。
「どこにいるの?もし、まだ家にいるなら乗せてくれない?」
用件を伝えると、姉の反応が止まった。どうやら言葉の意味を咀嚼しているようだ。気持ちは分かる。同じことを言われれば、まったく同じ反応になると思う。
「えっと・・・どこにいるの?」
「外」
次の瞬間、上の方から声が聞こえた。
「何でここにいるのよ!?」
「は?」
どうしてって、自分がすぐに病院に行くように言ったからに決っているだろうに、何い驚いているのか分からない。
頭上で窓が閉まる音がしてしばらくすると、マンションの中から姉が飛び出してきた。今から出発しようとか、そんな気配は微塵も感じられなかった。
手にしているヘルメットと壁際に停めたバイクを見て、姉は深いため息を吐いた。
「もしかして、ここまでバイクで来たの?台風が直撃してるから、二輪車での移動とか自殺行為でしかないと思うんだけど」
その質問に若干イラつきながら答える。
「いや、一刻も早く病院に行かないと後悔すると言ったのは姉貴だろ。だからこうして、急いで移動してるんじゃないか。たまたま台風と移動方向が一緒だったから、天候の影響はほとんど受けてないけどな」
その説明を聞いて、姉が空を見上げる。
「確かに・・・さっきから静かだと思っていたけど、台風の目に入ってたんだ。子どもの頃、台風の目に入りたって、いつも思ってたんだったわ」
思い出に浸っている姉には申し訳ないが、現実に引き戻す。
「それで、姉貴も病院に向かうんだろ?ここまではどうにか来れたけど、台風の速度も上がってるし、当たり前に考えて、ずっと台風の目の中って訳にもいかないだろ。電車もバスも止まってるし、車で移動する以外に方法はないよな、だからさ、車に乗せてもらえないかと思って来たんだよ」
「は?」
一瞬、姉が固まる。
「やっぱバイクは危ないし、連れて行ってくれよ」
なぜか、怪訝そうな表情の姉。それでも、意を決したように頷いた。
「分かった。着替えてくるから、ちょっと待ってて」
姉はそう告げると、急いでマンションの中に入って行った。
それから5分後。女性にしては短い時間で準備を整えた姉が再び姿を見せた。帽子にメガネにマスク。確かにこれなら時間は必要ないかも知れない。
姉はマンションに隣接する駐車場に移動すると、シルバーとピンクのツートンカラーで可愛く装飾された軽自動車に向かう。これまで2度目にしたことがあるが、乗せてもらうのは初めての経験だ。
「鬱陶しいから、その合羽は脱いで後ろのトランクにでも投げといて。あと、ダッシュボードとか勝手に触らないでよ」
「分かった」
ついさっきもらった合羽を脱ぎ、大雑把に畳んで後部座席の後ろにある申し訳程度のトランクに押し込む。そして助手席に座り、シートベルトを締めた。
「じゃあ、行こうか。何も起きなければ、ここから1時間半くらいで着くと思う」
「了解」
姉の言葉に頷くと、車が駐車場から発進した。
目指すは母親が入院したという地元の総合病院。ヤブだという噂が絶えないが、急患はなぜか総合病院に搬送されてしまう。きっと、市の偉い人と病院の理事長が悪事を働いているに違いない。
自分が運転する必要がなくなると、必然的に余裕が出てきた。バイクを運転していたときには気付かなかったことが見えてくる。
そこそこ大きい街のはずなのに、まったく車が走っていない。信号は通常通りに動いていることから、大規模停電が発生しているなどということはない。それなのに、対面に車線の道路を走っていても、前にも後ろにも、対向車線にも車の姿が見えない。当然、歩行者は皆無だ。
もしかして、バイクで移動していた自分が異常なのだろうか?
などという疑問まで浮かんでくる。
「あんた、あれからすぐに出たの?」
不意に問い掛けられる。
「そうだよ」
後悔しないように。とか言われて、父親との会話を思い出したからだ。確かに、と思う。後悔しないようにしなければならない。後悔を挽回することは永遠にできない。常にキズを抉る。だから、思い出さないように箱に詰め込んで一番深いところに沈める。それでも、気付かないうちにカギが壊れて溢れ出す。
ああしておけば良かった。
もっとできたはずなのに。
少し考えれば分かったはずなのに。
終わらない「たられば」を続ける。
それが分かっている今、それだけはしたくない。
「へえ・・・」
前を向いてハンドルを握ったまま、少し笑みを浮かべる。
「何だよ?」
「別に・・・」
相変わらず道路の状態は最悪だ。
これまでのように街路樹の枝が散乱し、所々で飛来物が道を塞いでいる。その度に助手席から出て道路脇に寄せた。運転していないのだ。これくらいのことは、やって当然だろう。
スマートフォンで天気予報を確認すると、一気に台風の勢力が弱まっていた。中心気圧は980ミリバール、移動速度は時速40キロ。移動速度は、もう車と大差がない。道なりの走行と、直進移動。追い越されるのは時間の問題だろう。
サイドミラーで背後を確認すると、すぐ後ろの空が真っ黒に染まっていた。



