通り雨みたいな恋だった

 あの日のことは、なかったことにするつもりだった。

 ただの二人乗り。
 一回だけの、変な出来事。

 それだけ。

 そう思えば、忘れられると思っていた。

 ——思っていたのに。

 次の日。

 放課後、教室を出るとき。

 少しだけ、足が止まる。

 理由は分かってる。

 でも、考えないようにする。

(来るわけないし)

 一回だけだし。

 あんなの、ただの気まぐれだし。

 そう思って、歩き出す。

 昇降口を出て、外に出る。

 今日は、晴れていた。

 昨日の雨が嘘みたいに、空は明るい。

 それでも、どこか落ち着かない。

 意味もなく、後ろを気にしてしまう。

 振り返りそうになるのを、ぐっとこらえる。

 自転車置き場で、鍵を外す。

 ハンドルを引いて、外に出る。

 そのまま帰ればいい。

 何もなかったみたいに。

 そう思って、自転車にまたがろうとしたとき。

「今日も乗せて」

 後ろから、あの声。

 反射的に振り返る。

 やっぱりいる。

 昨日と同じ顔で。

 何でもないみたいに立っている。

「……なんで」

「いいだろ、別に」

「よくない」

「じゃあ一回だけ」

「昨日も言ってた」

「じゃあ今日で最後」

 軽い。

 全部が軽い。

 なのに、断りきれない。

 昨日と同じ。

 押されてるわけでもないのに、なぜか流される。

「……勝手に乗らないで」

「分かってる」

 そう言ったくせに——

 次の瞬間には、もう後ろに乗っている。

「ちょっと!」

「大丈夫だって」

「大丈夫じゃない」

「行けるって」

 昨日と同じやり取り。

 違うのは、少しだけ慣れてしまっている自分がいること。

 それが、一番嫌だった。

 ペダルを踏む。

 昨日よりも、少しだけスムーズに動く。

 体が覚えてしまっている。

 重さも、バランスも。

 それと同時に——

 距離も。

 後ろにいる感覚。

 背中にある気配。

 近さ。

 全部。

 昨日と同じなのに、少しだけ違う。

 驚きが減って、その分だけ意識してしまう。

「慣れてきたじゃん」

 後ろから声。

「慣れてない」

「いや、さっきより安定してる」

「うるさい」

「照れてる?」

「照れてない」

 即答。

 でも、少しだけ声が強くなる。

 それを自分でも分かっていて、余計に腹が立つ。

 少しだけ風が強い。

 髪が揺れて、後ろに流れる。

 その流れが、そのままあの人のほうに行っている気がして、変に意識する。

 距離が近い。

 昨日よりも、ちゃんと分かる。

 逃げ場がない。

 でも——

(……嫌じゃない)

 一瞬、そう思ってしまう。

 すぐに否定する。

 そんなわけないって。

 ただ慣れただけ。

 それだけ。

 そう思わないと、何かがおかしくなりそうだった。

「今日さ」

 後ろから声がする。

「なに」

「なんで昨日、断ったの」

 一瞬、言葉に詰まる。

「……別に」

「理由あるだろ」

「ない」

「嘘」

 また、その言い方。

 見透かすみたいな。

「関わりたくなかっただけ」

 少しだけ本音を混ぜる。

 全部じゃないけど。

 でも、それだけでも十分だった。

 少しの沈黙。

 風の音だけが通り過ぎる。

「ふーん」

 短い返事。

 それ以上は何も聞いてこない。

 でも。

 その後、ほんの少しだけ——

 距離が近くなった気がした。

 触れてないはずなのに。

 確実に近い。

 背中に、熱が伝わるみたいに。

 それが、一番困る。

「ここでいい」

 昨日と同じように、途中で止まる。

 後ろの重みが消える。

 一気に軽くなる。

 なのに。

 昨日と同じように、少しだけ変な感じが残る。

「ありがと」

「……もうやらないでって言ったよね」

「最後って言ったじゃん」

「信用できない」

「ひど」

 軽く笑う。

 やっぱり、何も変わらない顔で。

「じゃあ、また」

 そう言って、歩いていく。

 昨日と違うのは、その一言。

 “また”。

 軽く言っただけ。

 深い意味なんて、たぶんない。

 なのに——

(……またって何)

 その言葉だけが、やけに残った。

 一人になる。

 自転車にまたがる。

 軽くなったはずなのに、どこか落ち着かない。

 走り出しても、ずっと残っている。

 距離も、声も、気配も。

 たった二回。

 それだけなのに。

 もう、ただの出来事じゃなくなっている。

 気にしないなんて、できなくなっている。

 この距離が、当たり前みたいになるなんて。

 それが、あとでこんなに苦しくなるなんて。

 そのときの私は、まだ知らなかった。